ネコ好きSENの洋画ファン

ワン5ニャン9と共棲。趣味は洋画と絵画。ライフワークは動物・野生動物の保護救済、金融投資。保護シェルターの設立をめざす

友だちじゃなかったんだね(さらに続き

2019-08-08 12:56:37 | ネコ大好き★

 

 

年齢を重ねると

友だちになるのは難しいようだ

 

もっと若いころは、気があったり話があったり、好みが同じだったりで

友だちになる。

 

用もなく会ったり、話したり

さっきまで会っていたのに

家に帰ってから電話するのもざらで

 

 

大人になると

みんな忙しい

 

用がなければ会うこともない

 

あの団体さんたち

数人は懇意に

 

考え方も一緒だし

がんばっているし

 

友人になろう、友人だ、と思っていた。

 

でも

こうしてみると

違ってたんだね

 

手足だったんだね

 

都合よく動く手足

それが欲しかったわけだ

 

それでいいんだし

じゅうぶんなんだけどね

 

もう少し深いところで付き合えているかな

 

思ってたこっちが馬鹿で

 

 

友人なら~~してくれる、と思ったのが間違い。

 

 

ぼくは要求したことがないし、

むしろ

いつも提供していただろう

 

 

いちどくらい考えてくれたってよかったのに

 

あの人、よくやってくれてる。

一度くらい要求があれば受け入れてやろう、

とか

ダメもとで当たってみようか、とか

友だちならあるはずの

寛容とか

やさしさ

 

 

微塵もなく

 

友人もどきみたいなこともなく

 

 

けっきょく

 

友だちは必要なく

 

都合のいい手足が欲しいわけで

 

それでいい

 

それでいいんだけど

 

ゲッコーが

「友だちが欲しいなら犬を飼え」と

言っていたが

 

ぼくの場合なら

「友だちが欲しいならネコと暮らせ」

 

なるほど

なるほど。

言い得ている。

 

なるほど。

 

 

 

 

 


あがいたがダメだった。(昨日の続き

2019-08-06 11:49:32 | ネコ大好き★

 

 

昨日の続きである。

 

昨日、おらは我慢しきれずとうとう

「〇〇を返してください。悲しくて何も手につきません」

とメールしたのだ。

 

いけないことだとわかっていたが

ほかにどうしょうもなかった。

 

 

そして、帰ってきてくれる、と儚い夢を抱いた。

(儚い(はかない)と夢、っていう字は似ているね。

いま気がついたよ

 

もしかしたら〇〇は帰ってきてくれる

から

きっと帰ってきてくれる

ぜったいに帰ってくる

と思った。

 

 

そして、数時間後

我が家のプロムナードに

団体さんの車が入ってきた!!

 

「〇〇が帰ってきた!」

 

飛び出すおいら、

しかし車から降りてきた団体さんは手ぶらだった。

 

「なんだ、手ぶらか」

「いいところにもらわれたよ。

若いご夫婦で、戸建ての家だし。こっちが言わなくてもすぐに写真を送ってくれてね」

 

 

アイパッドを開く団体さん。

確かにきれいな室内だ。

我が家と違ってゴミ一つ落ちていない。

 

〇〇の写真

見るだけで胸が苦しくなってくる。

 

みがかれた階段の途中で、こっちを見ている〇〇

ご飯をうまそうに食べている〇〇

 

だが

写真にうつる〇〇はとても幸せな表情とは言えなかった。

ぼくの家ではこんな表情はなかった。

 

 

「寂しい顔をしているじゃないか」

「そりゃあまだね。しかたがないでしょう。

でも二人ともすごく気に入ってくれて

この子は幸せだよ」

 

 

それはあんたが思う幸せなんだろう、と思った。

 

まいどまいどきれ~~~にお掃除が行きとどいてる部屋で

ご飯食べさせてもらえたら

あんたらのいう「ネコさんは幸せ」なんかね、と思う。

 

ひとりぽっちで幸せなんかね。

 

なにがなくたって

生まれ育った兄弟といっしょが一番いいに決まってるじゃないか。

ずっとずっと

いっしょで

ネコが大好きで飼い方のすべてを理解している飼い主と

大好きな兄弟と楽しく日々を過ごせるなら

その以上の最良なんてないじゃないか。

 

兄弟を飼っているおれが、これ以上は飼えない、っていうならしかたがないが

飼える、っていうのを

飼わせてくれと懇願するのを

飼わせないのは

子ネコのためでなく

あんたらの都合なんだろう。

 

まだ引き渡し時の翌日なのに「もう無理」というのは

ネコのためでなく

あんたらの面子なんだろう。

 

おれに相手の住所も電話番号も教えないのは

直接行動されたら困るからなんだろう。

 

 

この団体から抜けよう。

おれはもう辞めよう。

 

 

 

 

今頃さがしているだろう。

お兄ちゃんはどこにいるの

弟はどこにいるの

 

どうしていないの

 

泣いているだろう

 

そしてひとりぼっちで眠る

 

夕方

飼い主さんが帰ってきて

食事をし

愛撫をされて喉をならし

やわらかいベッドで眠る

 

だけどふと

夜なく蝉の声に目を覚まし

まわりをみる

 

誰もいない

どうしていないの

あの暖かな

優しいぬくもり

悲しさに小さな声をもらす

 

そして

何日かが過ぎ

似たような日々を過ごし

 

やがて

秋となり

 

涼しげな気配に目を覚ました時

ふとまわりをみる

 

なにもない

いつものように

なにもない

 

わたしは何を探しているのだろう

いつも

何を見たいのだろう

 

わからない

 

でも

前に何かあったような

それは何だったのか

確かにあったはずの

なにか心を濡らしたものが

それがなんだったのか

 

だんだん思い出せなくなる

 

もう

まわりを見ることもなくなる

 

日々に慣れ

生活に慣れ

 

 

でも

ときどき

なぜか

やわらかい日差しの中に

ふと

何かわからないものがこみあげてくる

 

それがなんなのか

思い出せないけれど

 

遠い昔

 

ずっとずっと遠い昔に

なにか

心が溶け込むようなぬくもりのあったことを

 

すぐ横に

優しい眼差しがあったことを

 

よくはわからないけれど

わからないけれど

 

思い出すのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


つらくて悲しくて

2019-08-05 11:17:20 | ネコ大好き★

 

つらくて悲しくて涙が止まりません。

 

やらなければいけないことが山ほどあるのに

なにも手につかない。

 

 

それは、保護していた子猫を

里親に出したからです。

 

さいしょに、ぼくが協力している保護団体から

兄弟子ネコが二頭きて、

翌日のこりの一頭、女の子ネコがきました。

三人ともまだ生後一か月半ほどです。

 

 

女の子ネコはとてもこわがって、

二頭の兄弟に身体をおしつけてふるえていました。

 

ぼくは三頭をかわいがりました。

やせっぽっちで

まだ幼くて

こんな小さな子たちを捨てる人がいることが

信じられない。

 

 

名前も付け、

おいしいご飯と

飲み物

そして遊びの時間。

愛情たっぷりにかわいがっていました。

 

しだいに

その女の子ネコも徐々に徐々に慣れてきてくれて

一週間目あたり、ようやく触らせてくれるようになり、

十日を過ぎる頃に、抱っこして撫でると

目を細めてごろごろと喉を鳴らし、甘えてくれるようになりました。

 

 

三人子ネコは仲がとてもよく、

お姉ちゃんは弟の体をなめてきれいにしてあげ

身体の弱い弟も

目を細めて幸せそうに身体をゆだね

三人がいつもいっしょに重なるように寝ていて

元気いっぱいに遊んで

食べて

なにをするにも本当にほほえましかった。

 

 

それが

それが

先週

保護団体から電話があり

「三匹の里親探しを始めるので写真を送るように」と言われました。

 

ぼくはまだ早いと

とくに身体の小さな弟は動かすことが危険だ。

女の子ネコは怖がりで、ようやくなれたのに

また新しいところ(里親さんのところ)で最初から始めるのは厳しいと

返事をした。

 

すると

里親は探してもすぐには見つからない

時間がかかるから

よゆうをもって探したほうがいい。と言うのです。

 

 

そうかもしれない、

このご時世、そう簡単に見つからないだろうと

三日ほどおいて

しかたなく写真を何枚か送りました。

 

 

しょっちゅう三子猫の写真を撮っていたので

可愛く撮ってしまったので、また、それもいけなかったのかもしれない。

 

 

写真を送った後

ああは言われたものの

すぐに決まってしまうのではないかと不安になり

 

ぼくは身体の弱い弟、

他の二人に比してあまり遊ばない、

一番小さな男の子ネコを引き取ると

申し出ました。

 

この子の育成にはとても注意が必要で、他人に預けることが心配だったからだ。

 

だから

「〇〇は自分が引き取ります」と。

これはよかった。

 

間違いはこの後だ。

 

 

写真を送って、

 

まだ二日もたたないうちに

「女の子の里親さんが決まった」という。

 

早かった。

あっという間だ。

 

 

ぼくは、話が違うじゃないか、とおもった。

 

もう少し,人なれして、心が成長してから譲渡するのだと。

すぐには決まらない、と言ったじゃないか、と。

 

それにぼくは、自分で飼いたい、とも思い始めていた。

 

でもそこは、その里親さんは、

団体さんとも知り合いだそうで、ネコ好きの、申し分のない里親さんだと。

もう話は決まっていて、

明日取りに来る、と言う。

 

 

だから

ぼくは「その子も自分で飼いたい」と言うことができなかった。

なんか無言の圧力があって、飼いたいといえなかった。

 

 

なんどもなんども

里親さんによくない点があったらぼくに返してと頼んだ。

よくない点があるはずないだろうと思いながらも、なんとかぼくの意向をくみ取ってほしかった。

 

そして

ぼくはあわてて

「のこりの一頭(男の子ネコ)も自分で飼う」、と言った。

ぼくが言えたのは

その言葉だけだった。

 

 

女の子が連れていかれるまで

何枚も写真を撮った。

何十枚もとった。

 

その子もわかっているかのように寂しい顔をする。

泣きそうな顔をして、兄弟の体に顔をうずめている。

 

わかるのだ。

きっとわかっているのだ。

 

 

 

迎えが来たとき

その子は部屋から姿を消した。

 

ぼくは大声で探した。

探しながらも

出てくるな、隠れていてくれ、と願った。

 

そうしたら迎えに来た人を返せるから。

 

 

でも何度も名前を呼ばれたその子は

隅のほうから

出てきてしまった。

 

名前を呼べば出てくる子だった。

 

あんなに人間を怖がっていたのに

ぼくを信用して

なついて

呼ばれたら出てくる子だった。

 

 

ぼくは涙が止まらなかった。

取りに来た人が

泣いているぼくを見て

理解しがたい顔をしていた。

 

 

泣いているぼくに

「そんなに懐いているなら」

という言葉もくれなかった。

 

 

今はもういない。

二頭だけは確保した。

 

あの子のいない世界がさびしくて

悲しい。

悲しいよ。

 

ごはんも二皿

 

走りまわる姿も

一人足りなくて

 

あの子の存在がこんなにもこんなにも大きかったなんて

今更ながら

ただ

泣くばかり

 

 

あの子が一番悲しいだろう。

やっと幸せになれたのに

三人一緒で

もう離さないでと

ぼくに祈っていただろうに

 

見知らぬ地で

一人だ。

兄もいない。

弟もいない。

心落ち着く匂いと暖かいぬくもりもない。

 

 

ぼくのせいで。

ぼくの優柔不断なせいで。

 

 

 

ぼくには金もあるし

大きな家もある

 

その子を飼うことに

三人を飼うことに

まったく障害はなかった

 

なのに

こうなってしまった

手放してしまった

 

こんなに愛していたことを

いまさらながらに

 

心から愛し合っていた子を

 

 

もう返してくれとは言えない

 

止まらない涙で

残った二人の背中を撫でるだけだ。

 

こんご

もし団体さんからの希望で

子ネコを預かることがあるなら

 

ぼくは

所有権はぼくにある、

と約束を交わしてから預かることにする。

 

そして

ぼくが所有権を放棄した場合のみ

里親を探せる

という条件を付けることにする

 

 

でも

 

まだ

帰ってきてほしいと願っている。

なにか

懐かないからとか

先住ネコとうまくやれないから

とか

 

なんでもいいから

ぼくのもとに帰ってきてくれないか

 

お願い

お願い

 

帰ってきて

 

そうしたらもう二度と

ぜったいに

放さないから

 

 

 

 

 

 

   

  

 

 

 

 

 

 

 

 


悲しみが立ち込める瞬間(とき)

2018-04-19 14:06:28 | ネコ大好き★

 

暖かい午後となりました。

 

おかげで集中できず、ストロングブラックなコーヒーを飲んでもあくびばかり。

 

 

 

そんな午後は

過ぎ去った日々に想いを馳せる……

なんて。

 

 

まあ。

ふと、

なんの脈絡もないまま

ふっと。

想いが湧き上がってくるときがあります。

 

いいようのない想いが。。。

 

 

 

 

常に心の底にある感情

けっして変わることなく

常にどこかさらさらと流れているみたいな

 

 

そんな想いが

何かしらのきっかけで

ふわっとわきあがり

しばし

包まれることがあります。

 

 

みなさんにもそんな感情がありますか?

 

 

 

ときおり

忘れられない想い出のひとつとして

心に刻まれた、決して色あせることのない場面が

よみがってきます。

 

  

 

 

 

それで、

若いころですね。

学生だった頃

中原中也の―――

 

 

いや、中原中也が特に好きだった、というわけではありませんが

 

 

ある日、

中也の詩がラジオから流れてきたんですね。

(ラジオ、なんて古いですね。

 

 

NHKラジオでジャイアンツ戦を流しながら、

おれは書き物に熱中していて、

試合が終わったことも意識として気づかず、

続いての番組だったのでしょう、「詩の朗読」が始まったというわけです。

 

 

おれは本当に集中していたのですが

その朗読の

1行目から

 

どういうわけか

なんとも不思議なことに

今までそんなことはなかったし、

その後も一度もないことですが

 

 

その1行目から心がつかまれ

はっとなって

前かがみだった姿勢が

椅子の背に背中を戻し

時間が止まったかのような感覚、

 

そして自分の耳が、

全身が

その朗読されるひとつひとつの語らいに

胸が締め付けられていくのを感じました。

 

 詩に没入した、というか

……

 

 

 

 

その詩がこちらです。

 

 

 

 

月夜の浜辺

 

 

月夜の晩にぼたんがひとつ

波打際に落ちていた

 

それを拾って役立てようと

ぼくは思ったわけでもないが

 

なぜだかそれを捨てるに忍びず

ぼくはそれをたもとに入れた

 

月夜の晩にぼたんがひとつ

波打際に落ちていた

 

それを拾って役立てようと

ぼくは思ったわけでもないが

 

月に向ってそれは抛れず

なみに向ってそれは抛れず

ぼくはそれふところに入れた

 

月夜の晩にひろったぼたんは

指先に沁み心に沁みた

 

月夜の晩にひろったぼたんは

どうしてそれが捨てられようか

 

 

 

 

 

え、これ?

大した詩でもないのになんで??

 

って

思われたでしょう。

 

なのに

どうしてか

ぼくの胸は締め付けられたのです。

すごくすごく。

 

哀しみ色に……

 

 

たぶんぼくの

胸のずっと奥にある

そっと流れている想いみたいなものに

触れたのだと思います。

 

 

この感情、

深い哀しみの感情。

 

 

 

それで

ぼくは、アビィが死んだことにまだ立ち直れなくて

 

その後、他のネコたちとめぐりあって

楽しく暮らし、

悲しい場面にも立ち会いましたが

そうやって日々は流れていくのですが

 

アビィのことは

記憶は変わらず

悲しい想い出はそのままに

きっと

一生立ち直れないのだろうと思います。

 

 

 

 

それが

 

そのとき

あのとき、

 

アビィのお葬式から数日たって

まあ、日々が流れていく中で

 

あるとき、

何気なく入った兄の部屋

その床の

隅のほうに、

数枚の枯葉が落ちていました。

 

枯葉が数枚

 

 

ところどころ端が砕けた古くなった枯葉でした。

 

他は掃除してあるのに

何でここに枯葉が落ちているのだろうと

ぼくは棄てるために、その枯葉を拾い上げようとしました。

 

 

すると兄が

兄が

ソファにいた兄が

枯葉をそのままにしておいてくれ、と言います。

 

 

それは

あの子が置いていったものだから

 

あの子が元気よく庭を走り回って

この部屋に入ってきて

 

その葉っぱを身体につけて

そこに寝そべっていたから

 

そこがお気に入りの場所だったらしく

いつも寝そべっていたから

 

あの子が運んだものだから

そのまま

置いといてくれ

 

 

 

胸が締め付けられます。

少しも薄れることのない悲しみに包まれます。

 

心から消えないもの。

 

中原中也のあの詩は

そのときの

ぼくの想いに

まったく同じだったと

 

どうしてそれが捨てられようか、と。

 

ほんとうに

ほんとうに

 

悲しい。