「 死・神・天・使 」
その1
その夜、年に一度の花火大会が行われていて、多摩川の土手は賑やかだった。
大勢の人、ずらりと並んだ露店、タコ焼きのうまそうな匂いがする。
ゆっくりと歩く人波の中で、片手に赤ん坊を抱いた女はもう片方で娘の手を
にぎっていた。
ああ、どこかにすわりたい。
すわれそうなところは人でいっぱいだ。
向こうの草地にすわってしまおうか。
でも雨でぬれているだろう。
あたしときたら、こんな日に敷物を忘れるなんて。
ひゅるひゅると火の玉があがって夜空がぱっと明るくなると人々は歓声をあげ、
自分の小さな娘もはしゃいだ声をあげた。
「まま、きれいだね」
まだ三つになったばかりの娘は大きな声をあげ目をかがやかせている。
髪を赤いリボンで左右に結い上げ、ピンク色のゆったりしたワンピース姿で、
身体を動かすたびに白いパンツが見える。
なんて蒸し暑い夜だろう。
スモックのたっぷりした服を着た母親は娘から手を放し、額の汗をぬぐうと
赤ん坊が着ている服の襟元をひろげた。
まだ二か月の赤ん坊はよく眠りこくっている。
ドンと音がしようと、すぐ横で大きな歓声が上がろうと目を覚ます気配はない。
こんなことなら連れてこなけりゃよかった。
どうせずっと眠っているんだし……でも誰もいない部屋に置いてくることも
できないじゃない。
「ままあ、アコ、あれがほしい」
娘は甘えた声をだしてスモックの袖を引っ張っている。
まだ三歳だというのにけっこうな力だ。
「なによ」
「あれ」
人ごみの向こうの露店を指でさしている。
赤々とした電燈の前では紐につるした綿菓子が揺れている。
「あれがほしい」
まったくもう、お金なんか持ってきていないのに―――母親は小銭が
あったかとポケットに手を伸ばすが、指先が触れるものは何もない。
綿菓子の前に七〇〇円と書いた張り紙がある。
やだ、あんなにするの。
七〇〇円もあったら夕食のおかずが買えるわ。母親は小さく舌打ちした。
「こんどね」
「いやだあ、ほしい」
「ママね、お財布、おうちに忘れちゃったの。だからこんどね」
いやだあ、いやだあ、娘は母親の袖をつかんで離さない。
両脚で踏ん張ってぐいぐいと引っ張ってくる。
「やめなさい、アコ、放してよ、あぶないじゃない」
母親は赤ん坊を守ろうと娘の手を突っぱね、そのはずみで小さな身体は
しりもちをついた。ぎゃあと泣きだす。
ああ、うんざりするわ。
この子にも、この暑さにも。頭がくらくらしてくる。
八時になるというのになんて暑いのかしら。
ツービーコンテニュー