1977年/パラマウント映画/VIDEO 初回版(廃版)販売価格14,800円
昼は養護学校の先生、夜は売春婦まがいに男を漁ってバーに繰り出す、
という愛とセックスに飢えた女の話。
当時は秀作として持ち上げられたそうだが、今ではよくあるパターン。
30年の間に女の生き方も変わったようだ。
まあ、そうは言ってもこの頃のD・キートンは可愛い。
別れを切り出す男の前で、誘うようにスカートをめくりあげ、
しかもパンティをはいていないで恥部をさらけ出すのは
見ていてこっちがドキッとさせられる。
また、勉強一筋だった彼女が真面目な男(:ジェイムス)を拒絶し、
いかれた危険な男に惹かれるところなどは、なかなか女の心理をついている。
それゆえ最後は狂った男に惨殺されるというのも、しかたがないかなと納得。
似たような話でC・ドヌーヴの「昼顔」があるが
あちらは貴婦人が娼婦となって売春宿で性をむさぼるせいか、
「危険な男」との接触はあっても「常に管理された場所」であり、
「男」そのものに夢中になることはない。
その意味では男を次々に誘い込んで心を通わせる「ミスターグッドバー……」の
テレサの方が身近だし、映画的には面白い。
しかしながらテレサが「わたしは(病気だから)一生結婚しない」
「一生子供は産まない」と言い切るところは、観ていて少し淋しい。
そこから「だからバーで男を漁ってもいい」と繋がり、
彼女が惨殺されて「自業自得」となるのだろうが、
おれなんかは「真面目なジェイムズとさっさと結婚しろ」と思ってしまうのである。
テレサの求める楽しさは、淋しさを紛らわすための「いっときの快楽」なのであり、
底辺に潜む物悲しさが全編を通じて感じられる。
この手の話、男ならユアン・マクレガーの「猟人日記」なる映画があるが、
相手を次々に替えるのは男が似合うのであって、
男を次々に替えていく女に待っているのは、やはり「不幸」なのだよ。
そればかりは30年前も今も変わらないということだ。