ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

夢のアーセナル試合観戦

2009-03-26 15:42:46 | イギリスの生活
エミレーツ・スタジアムは6万人収容。2階席に着いてみると、ピッチの上の人影がとても小さく見える。ピッチ自体が思ったよりずっと大きいのにはびっくりした。やはりテレビで見るのとは違う。夫は少々高所恐怖症気味である。

ウォーミングアップを始めた選手たちの顔もはっきりとは見えず、肌や髪の色・体格・走るしぐさなどからでないと見分けがつかない。ところが不思議なことに、いざ試合が始まると、1つ1つのプレイがすぐ目の前で行われているような気分になる。

最初はスペインの近所のバーのでテレビ観戦するときよりずっとリラックスして見ることができた。ここにいるだけで幸せで、勝ち負けはどうでもいいという感じ。が、試合が進むにつれ、必死にアーセナルの勝利を祈る自分に気がついた。周りのサポーターたちと一緒に歌を歌い、声をからして応援する。すごく気持ちがいい。

試合は結局2対1でアーセナルの勝ち。試合自体は混乱していて、プレイの質もいまいちであったが、準決勝に駒を進めることができた。が、試合後の事件によって、この試合はのちに論争を呼び、プレイ自体とは別の意味で有名な試合となる。

アーセン・ヴェンゲルとアーセナルファンがレフリーに圧力をかけたため、レフリーのマイク・ライリーはハルのゴールキーパーを警告処分せざるをえなかったとハルの監督、フィル・ブラウンは試合後主張した。が、わたしに言わせれば、後半のイエローカードは遅すぎたくらいだ。1ゴール差で勝っていて、残り時間10分というときに時間稼ぎ戦術に出るというのなら理解できるが、前半20分から時間稼ぎをするとなどという馬鹿げた策は今まで見たことがない。もっと早くイエローカードを出していれば、キーパーの行ないは早めに改まり、観客の不満もおさまったはずである。試合を通してレフリーは統制力に欠けていた。もっとレフリーが試合をコントロールしていたら、整然としたいい試合になったと思う。

ただ1つの心残りは、フットボール観戦になくてはならないパイを賞味できなかったこと。スタジアム内の売店では、ピザとナッチョとホットドッグしか売っていなかった(ホットドッグもナッチョもお勧めしません)。が、1人の男性がパイを食べているのを見かけた。いったいどこで入手したのだろうか。赤い箱に入っていて、アーセナル公式パイらしい様相を呈していたのだが。次回は絶対にパイを食べたい。

というわけで、初めてのエミレーツ体験はすごく楽しいものになった。近年で一番楽しかった経験かもしれない。



憧れのエミレーツ・スタジアムへ!

2009-03-26 15:41:22 | イギリスの生活
今日の天気はのちときどき

今回のイギリス滞在の目的は自動車購入だったのだが、スペイン出発の前日になって、もう1つイギリスへ行く理由ができた。その朝、いつものようにわが愛するアーセナルの公式サイトにアクセスすると、FAカップ対ハル・シティ戦のチケット一般売出しの宣伝が目に飛び込んできた。ちょうど、わたしのイギリス滞在中だ。前からイギリスに行ったら、アーセナルの元有名選手によるスタジアム案内に参加したいとは思っていたのだが、実際の試合のチケットは有料会員でないとなかなか手に入らないので、アーセナルの本拠地、エミレーツ・スタジアムでの試合観戦はあきらめかけていたのだった。夢のようなタイミング!ということで、早速チケット2枚をサイトから購入した。

試合開始は7時45分。余裕を見て家を出る。地下鉄の中で同じアーセナルサポーター(若い男性3人組だが、変な人たちだった)と選手について話したり、早速もサッカー観戦気分が盛り上がった。6時に、まだ人気(ひとけ)もまばらなエミレーツ・スタジアムに到着する。

イギリスに到着したものの

2009-03-25 15:08:59 | イギリスの生活
今日の天気はたりたりときどき

12日(木)にイギリスに到着した。今回のイギリス滞在の目的は車の購入。さすがにここ3年間毎年移動のたびに車が故障しているには閉口し、ついに買い替え時とあきらめて、車を買うことにした。中古車は、イギリスのほうがスペインよりもずっと安い。というか、同じ値段でずっとよいものが手に入る。それに売買手続きもずっと簡単で費用が安い。

木曜日の晩に飛行機でスペインからイギリスに渡り、トレーラーハウスに着いてみると、電気・水道・ガスが無い。というわけで、その晩は近くのホテルに泊まることにした。

電気とガスは翌日すぐに解決したものの(この冬2回近くの川があふれ、床下浸水があったのが原因のようだ)、水道のほうはそう簡単には復旧しなかった。厳冬で水道管が凍結し、あちこちで銅管に亀裂が入ったり、継ぎ目が壊れたりしていたのだった。キャラバン場の事務所の人が水道の元栓を閉めてくれたおかげで、水漏れによる被害はなかったのが不幸中の幸い。金曜日の午後すぐに配管工が来てくれたものの、一箇所修理して水道の元栓を開けると、別のところから水が噴出すという具合で、金・土・月と配管工が3日間通いで、やっと完全に元に戻った。今年の夏の終わりにイギリスを去るときには、必ず水を落として水道管を閉めていかなくては。昨年は2月に、水道管凍結・破裂を恐れた夫がわざわざイギリスに飛行機で駆けつけて、水道管の様子を見に来たのだが、被害がなかったので、今年はすっかりたかをくくっていたのであった。今年の冬は異例の寒さだったようである。零下11度になったこともあったそうだ。

イギリスは思ったより天気もよくて、ずっと暖かかった。が、今日から天気は崩れ、明日・あさって・土曜日と天気は下り坂とのこと。

おまけに、5ヶ月ぶりに使い始めたコンピュータは、アップデートに次ぐアップデートのためか、あるときアップデート後に立ち上がらなくなってしまった。いつもだったらバックアップ用にノートブックPCを持ってきているのだが、今回は飛行機での移動だったこと、たった2週間のうちにコンピュータが壊れることはないだろうと思って、油断したのが間違い。そういうときに限って危機は訪れるのであった。各種ソフトウェアCDを調達し、再インストールをして、やっとコンピュータが使えるようになる。

実りの少ない年

2008-08-29 09:24:04 | イギリスの生活
16日にフランスのベルジュラック空港からイギリスのロンドン・ガトウィック空港に飛び、イギリスに来ています。今回のイギリス滞在は2週間半の予定で、来週火曜日の夜のフェリーで再びフランスに渡る予定。短い滞在なので、人に会うので忙しい。日曜日は、毎年恒例の夫の家族・親戚一同が集まるピクニックがあった。一度に20人以上の人に会えるのは都合がいい。

今年のイギリスの夏は雨が多く、気温も低いということで、わたしが来てからも、すっきり晴れたのは3連休初日の先週の土曜日くらいしかない。

トレーラーハウスの横のリンゴの木には、実がたわわになっている。お向かいのローズがアップル・クランブルを作るというので、いくつか分け(しっかり完成品のおこぼれにあずかった)、チャリティーイベントである豚の丸焼き大会用にアップルソースを作りたいというお隣のパットにもいくつかあげた。また、毎年我が家のリンゴでコンポートを作る義理の妹にもいくつか持っていった。

そのほかは今年はとても実りの少ない年だ。フランスの家のさくらんぼは、今年はほとんど実がつかなかった。ご近所でも同じ状況らしい。ミラベル(プラムの一種)も一つも生っていない。インディアン・ビーン・ツリーにはまったく花が咲かなかった。そのためか、木は上に成長する一方で、今年は巨大になっている。イチジクは、昨年かなり激しく剪定したせいで今年は成長が遅く、16日にフランスを出たときには、大きなものでもまだ直径1センチ半大ほどだった。帰るときまでには食べごろになっているといいのだが。

4月の雪

2008-04-06 14:05:51 | イギリスの生活
連日20度以上の天気の続いたスペインからイギリスに着いた当初は寒い!と思ったものの、先週は比較的温暖な天気が続いた。日中太陽が出るとトレーラーハウスの中は暑いくらいで、夜もセントラルヒーティングがいらなかったくらい。ところが今日は朝から雪が降っている。来週はロンドンマラソンだというのに、この天気。ランナーたちのためにも、来週は雪にならないことを祈る。

イギリスに到着

2008-04-02 15:11:09 | イギリスの生活
ときどきのちまたまたご無沙汰していてすみません。実は、わたしの応援するフットボールのチームがこの1ヶ月間スランプ状態にあり、わたしも落ち込んでいました。そういうときはまったくやる気がわかず、ブログを書く気にすらなれなかったのです。「世の中に絶えて桜のなかりせば…」と詠んだのは在原業平であったが、世の中にフットボールがなかったら、1年のうちの9ヶ月をもっと心穏やかに過ごすことができたのにと思う今日この頃である。

先週の土曜日の朝にスペインを出発して、北スペインを東から西に横断した後、フランス大西洋岸を車で北上する。フランスの我が家にて一泊。一部の荷物を降ろし、翌日正午に我が家を出発して、フェリーの港であるサンマロに向けて6時間ほど車を走らせた後、ホテルに一泊する。途中フランスで、スピード違反のため警察に止められたほかは、特にイベント無し。90ユーロ(約14,400円)の罰金は痛かったが、フランスの警察がイギリスの免許証に違反事項を記載することはできないため、減点されなかったのは不幸中の幸いであった。

スペインで目をひくのは、風力タービンの多さ。何もない荒涼とした茶色の大地に巨大な風力タービンが並んでいた。

フランスは黄色の風景。道路の脇の畑には菜の花が、中央分離帯にはハリエニシダが咲いていた。

この週末はヨーロッパで一斉に夏時間が始まった。30日日曜日の早朝(イギリスの午前2時)に時計が1時間進む。睡眠時間が1時間減って残念。

イギリスに着いた当初は寒い!と思ったが、昨日は正午近くから太陽が出て、トレーラーハウスの中は暑いくらいだった。日中は半袖で過ごし、夜もセントラルヒーティングがいらなかったくらい。このまま本格的な春になるといいのだが。

午後の散歩

2007-10-23 17:57:26 | イギリスの生活
我が家の平日の朝食がシリアルからポリッジに変わって2週間以上経つ。イギリスはいよいよ寒くなってきた。最高気温は12~13度。朝は霜が降りる。

日曜日は3年ぶりに近くのpublic pathを散歩した。うさぎが出没する野原を横切り、線路沿いにしばらく歩く。映画「スタンド・バイ・ミー」の冒険気分。線路を越えると池があり、それから見捨てられた果樹園の中を歩く。30分ほどのコースなのだが、前回は夏の暑い日で、コースの最後はパブなのにもかかわらず、お金を持って出かけるのを忘れたため、冷たいビールを飲む人たちを横目に家に帰った。今回はしっかりお金を持って出かけたのだが、パブに行く気にならず、まっすぐに家に帰った。せっかくカロリー使ったのに、ビールでそれを相殺してしまってももったいなかったから、まあいいか。

写真はその果樹園のリンゴの木。収穫する人もいないので、近くに行った途端に、リンゴの発酵した匂いがしてきた。ケントはリンゴで有名で、サイダーブームのため、リンゴの生産が再び増えているとか。

それから、病院から電話があって、カルテは間違いではなかっということだった。すばやい対応に驚いた。不祥事が全国ニュースにまでなっているので、患者の苦情にはかなり神経を尖らせているのかもしれない。

ちなみに、たぶん来週末あたりにはフランスに移動の予定でいます。

全快!

2007-10-16 09:34:54 | イギリスの生活
先週から医療関係のニュースが話題を集めている。わたしが通院していた病院と入院していた病院とで、合計90人のディフィシル菌感染による死者が出たというヘルスケア委員会の報告が先週の木曜日に発表され、それに対して保健省大臣が国会で謝罪し、ローカルニュースだけでなく、ついに全国ニュースにもなったほどだ。病院の写真なども公表されたが、これがもう恐ろしいくらいの汚さ。これは通院していた病院のほうで、実際にわたしが入院した病院はとてもきれいだったし、看護婦さんたちも衛生には細心の注意を払っていたのだが、やっぱり2日半で退院してきてよかったと思った。

おまけに、この報告書が発表される直前にこれらの病院の運営を担当していたNHSトラストの最高責任者が巨額の退職金をもらって辞職していたという事実が明らかになり、物議をかもしだした。保健省大臣がこの退職金の支払いをストップさせている。

ちょうど金曜日に術後6週間検診があり、その問題の病院に行ってきた。あと1時間ほど入り口の辺りでうろうろしていたら、お昼のニュースに映っていたかもしれない。

案の定今度も執刀医には会えなくて、医局員のジュニアドクターが診察にあたったのだが、診察後順調に回復している、もう病院に来なくてもよいというお墨付きが出た。それは結構なのだが、どうも不審な点がある。2つほど手術の内容について質問したのだが、実際に執刀した医者ではないのでファイルを見ながら答える。前に手術をしたことがありますか?帝王切開の経験は?と聞く。ないと答えてその場は終わったものの、思い起こしてみると、もしかしたらほかの患者の記録を見ていたのではないかという気がしてきた。同じ日に同じ病院で同じ手術をして、やっぱり同じ日に6週間検診を受けに来ていたサンドラには子供がいて、前に開腹手術をしたことがあると言っていたのが思い出される。そこで、病院宛に手紙を書いて、病理検査の報告書のコピーを送ってもらうことにしたが、現在返事待ち。これで実はほかの患者と間違えていたなんてことになったら、またもや不祥事である。

というわけで、とりあえず全快ということになったので、そろそろフランス経由でスペインに戻ることを考え始める。あまりにもイギリスに落ち着きすぎてしまったので、にぎやかなスペインの生活に戻るのがちょっとこわいくらい。

驚きのイギリス入院体験(3)

2007-09-19 14:17:58 | イギリスの生活
のちときどき3週間続いた遅い夏がついに終わった。一昨日は28日ぶりに雨がが降る。気温も下がって、15度程度。

さて、今回はイギリスの病院に関するお話の最後です。

日本では手術前日に入院するのが普通らしいが、イギリスでは手術日の朝に病院に行くのが普通のようだ。手術当日の朝、病院に電話をしてベッドの空きがあることを確認してから病院に来てくださいという病院も少なくないらしい。幸い、わたしが手術を受けた病院ではこういうことはなかったが、病院からもらった書類には、手術予定日間際になって手術がキャンセルされることもありますという注意書きがくどいほどあちこちに載っていた。もともと、わたし外来で行った病院は救急病院のため、手術当日になって緊急手術が入ったためキャンセルということが多かったらしい。そこで、予め決まっている手術はすべて、同じ管轄内で急患受付のない別病院で行うことにしたのだそうだ。

昔はイギリスでも、手術の1~2日前に入院させて、入院前の準備の忙しさから患者を解放し、術前にリラックスしてもらうという医者がいたらしい。が、ベッド不足の現在、こういう贅沢はもう許されなくなったのだそうだ。

また、手術前の準備というのがないので、前日に入院する必要もないのだろう。手術10日前に検査のため病院に行ったとき、手術の準備として下剤を医者が処方しようとしたので、なるほどイギリスでは手術のための腸の準備はDIYなのねと思っていたのだが、結局これは無しになった。手術当日も腸の準備はまったくなし。もっとも、アメリカのサイトなどによると、最近は万が一手術中に腸に傷がついてそこから漏れた内容物で感染する危険性よりは、浣腸や下剤などで脱水症状になったり、それによる精神的・肉体的な負担のほうが患者にとってずっと害が大きいというので、腸の準備はしないところも増えてきたらしい。剃毛はというと、手術前に使い捨てのかみそりを渡され、自分のベッドの周りにカーテンを引いて、その中で自分で処置するように言われた。

イギリスの病院は、体制としては放任主義だと思う。医者や看護婦による説明というのがあまりなくて、いくつか薄いパンフレットを渡されて、これを読んでおくようにというのが多い。手術の手順や手術に伴うリスク、手術以外の治療法などを具体的に統計を揚げて解説した20ページほどのコピーを看護婦が手術当日にくれて、これを読んでおくようにと言う。いまさらリスクやほかの治療法など説明されても遅いのにと思うのだが、手術当日に気を変えることもできるのだそうだ。が、わたしの場合、この手術を10ヶ月も待って、この日を中心に今年1年の計画を立ててきたのだから、ここにきて尻込みするわけにはいかない。

手術前に主治医が来て、手術のリスクを説明する。今までこんなことは一つも言わなかったぞ。幸い手術まで10ヶ月もあったので、十分研究・調査し、考える時間があったからよかったものの、この日初めて聞いたら、ものすごく動揺していただろうと思う。リスクについて説明を受けました、それを承知した上で手術に同意しますという書類にサインすると、控えをくれて、主治医にして執刀医の医者が去っていった。この医者に会ったのは術前に2回、手術当日の術前・術後に1度ずつ合計しても5分ほどであった。あとは、6週間後のチェックのときだけで、それも必ずしも主治医が診るとは限りませんと但し書きがしてあった。退院後、何か問題があったらGP(かかりつけの家庭医)に行くようにということである。

が、医療関係者は実によく面倒を見てくれた。看護婦さんたちはとてもよく働くし、感じがよい。院内感染が心配されていたが、患者が退院すると、即座に新しいシーツに換え、ベッドのすみずみまで殺菌効果のある使い捨てワイプで拭き取る。新しく用意されたベッドに座った後があるのを見て(たぶん隣のベッドに見舞いに来た人が座ったのだろう)、看護婦がまたシーツを取り替えていた。1日に何度も掃除の人が病室に入って、床を拭いている。

日本人女性の友人が入院したとき、差別を受けて、食事の配膳は一番最後、ついには食事を運んできてくれさえしなくなり、配膳所まで行ってその場で食べたというひどい話を聞いていたのだが、ここの配膳係(兼清掃員)の男性はとても親切だった。水曜日の晩家に帰る前にわたしのベッドに立ち寄ってくれて、もし木曜日か金曜日に退院するのなら、自分は休みなのでもう会わないだろうから、元気でねと挨拶をしていった。看護婦さんたちも、かゆいところに手が届くような面倒見のよさで、退院するときに迎えの車を待っていたら、「待っている間にお茶でもいかが?」と聞いてくれた。病院と言うよりは誰かの家にいるような雰囲気である。

あまりに事務の手際の悪さに、一度は自腹を切って私立の病院で手術を受けることも考えた。5,600ポンド(約130万円)かかるらしいと聞いて断念したのだが、自分の希望する時期にすぐに手術を受けられる(国民健康保険だと5~6ヶ月待ち)ということ以外はあまりメリットはないように思う。これらの治療をすべて無料で受けられたのはやっぱりありがたい。

驚きのイギリス入院体験(2)

2007-09-10 17:08:39 | イギリスの生活
のちみなさま、退院祝いのコメントをどうもありがとうございました。手術翌日から歩いていますが、あまり痛みもなく、見た目はほとんど普通です。が、あまり長い間コンピュータに向かって座っていると、下腹が痛んでくるのが困った点です。まあ、ぼちぼち復帰したいと思っています。

日本の病院では、重湯、半がゆとかとだんだんに固形の食事に移っていくということで、いったいイギリスの病院食はどんななのだろうと興味を持っていた。術前検査のときにもらった入院案内の手紙(ほんの2ページ)には、最初は水をすする程度で、それから軽い食事になり、退院までには普通の食事になると書いてあった。これを読んでうちの夫も、きっと退院するときには(まさか3日で退院してくるとは思っていなかったので)痩せて帰ってくるだろうと言うので、ひそかに期待していたのであった。

日本で手術体験のある友だちに、なにがつらいと言って、のどの渇きほどつらいものはないと言われていた。おなかが空くのはあまり苦にならないが、水が飲めないのは確かにつらそうと思っていたのだが、手術直後から水を飲んでも全然問題なし。術後12時間目の午前6時には、紅茶とダイジェスティブビスケット2枚が出てきた。その1時間後には朝食の時間で、シリアルとフルーツジュース、トースト。さすがに、あまり食欲はないので、とりあえずシリアルとジュースだけ頼んだ。昼食は、ローストビーフかチキンキャセロールの選択。看護婦さんがそばにいたので、食べてもいいかどうか聞いてみたのだが、たくさんでなければいいということだったので(1日半寝たきりで過ごして、食欲があるはずがない)、チキンキャセロールといんげん豆を頼んで、トウモロコシとジャガイモは辞退した。この匂いのせいか、すぐ前のベッドで術後休んでいた日帰り手術の患者さんが気持ちが悪くなって吐いていたので、とても申し訳なく思いつつ、昼食をいただいた。タルトなどデザートまであったが、看護婦さんの勧めにしたがってヨーグルトにしておいた。

夕食はサンドイッチかチキンバーガー。暖かいものが食べたかったので、チキンバーガーにしたが、パンの間に加工した肉が入っていただけの代物で、自分の選択を後悔した。これが午後6時半頃。明らかに、1日のメインの食事は昼食のようである。

翌日は同じメニューの繰り返し。午前中に退院することになったので、昼食はキャンセルした。そんなわけで、イギリスの病院食は普通の食事と変わらないというのがわたしの発見である。