貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

弁慶の真似

2020-05-08 15:36:29 | 日記

弁慶の真似

令和2年5月8日(金)

 家内が、「治癒間近」という

退院証明書をもらい、次の

リハビリ専門病院に転院。

 9時から午後1時ごろまで、かかる。

 出合う方達は、疲れている

であろうに、皆気持ちよく挨拶を

交わされていく。

 現在松葉杖で、骨折した右足は

50%体重の負荷を掛けてのリハビリ。

 無理せず、このまま頑張ってくれること

を信じて、私も息子の援助で、退院

後の暮らし、特に、寝室を2階から

1階へ整備完了!

 ほんと、お世話になるのみ!

 このブログで声援を送ってくださる

皆さんにも感謝のご報告。

 有り難きのみ!

 さあ、関市へ。

 弁慶庵・惟然記念館訪問!

 4時前に到着。

 門を潜ると、惟然が住み、

娘が尼になってその後守り抜いた

という庵、

 「弁慶庵」。

 受付に初老の女性が見える。

 すぐお相手していただき、

置かれている案内書など手渡し

ながら、いろいろと説明して

くださる。

 蕉門十哲の一人、広瀬惟然の住まい。

芭蕉の大坂での臨終の世話をした

弟子のひとり。

 幼少時、名古屋の商家の養子に入り

、日々本を読んだり、俳句を作ったり

する生活を送る。       

 ある日、梅の木に鳥が舞い降り、

羽風に梅の花びらが散るのを見て、

世の無常を知り、

妻子を捨てて家を出、

郷里の関で仏門に入る。

 弁慶と同じ、

「膳、椀等七器だけ」を用いて

質素な生活をし修行。

 椀箱の蓋に「弁慶庵」と自筆して

入口に掲げる。

 その後、捨てた娘と名古屋や京都で

ばったり出会う。

 父を慕い続けていた娘は、

とうとう尼になり、この弁慶庵で

一緒に住む。

 惟然と尼になった娘の墓。

  芭蕉句碑は片隅にあり。

 句は、

「鶯や 

  柳のうしろ 

    藪の前」