令和7年3月11日(火)
大崎市: 尿前(しとまえ)の関跡①
<尿前の関跡>

『奥の細道』には、
「南部道遙にみやりて、
岩手の里に泊る。
小黒崎・みづの小島を過て、
なるごの湯より
尿(しと)前(まえ)の関に
かゝりて、
出羽の国に越んとす。
此路旅人稀なる所なれば、
関守にあやしめられて、
漸として関をこす。
大山をのぼつて
日既暮ければ、
封人の家を見かけて
舎を求む。
三日風雨あれて、
よしなき山中に逗留す 。」
と、
と、
怪しき者と訝られ、
足止めを食う芭蕉たち。
<出羽街道>


しかも、
三日間も
暴風雨に見舞われるという…。
<中山越・尿前の関説明>

かつての鳴子町は、
平成18年3月、
古川、岩出山など一市五町が
合併して大崎市となる。
芭蕉が訪れた頃は、
芭蕉が訪れた頃は、
出羽国で最上、伊達氏らの対立
が続いていたことから、
その波及を恐れた
大崎氏は国境の警備を
更に強めるため、
「岩手の関」に
小屋館の番所を設置。
<尿前の関説明も数カ国語で>


小屋館は、
尿前の西方の山上(岩手の森)、
薬師堂跡付近にあった
といわれる。
<尿前の関石碑>

~つづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます