その麓に蘇我蝦夷、入鹿親子が大邸宅を構えていたという奈良県高市郡
明日香村の甘樫丘は、標高148メートルの緩やかな丘です。畝傍山、耳
成山、香具山の大和三山をはじめ、大津皇子の眠る二上山などを遥か
に見晴らすことができます。上の写真は畝傍山越しに二上山が青く霞
んでいます。香具山は残念ながら木々に隠れて良く見えませんでした。
大和三山はいずれも標高200メートルにも満たない小山ですが、万葉集
の中大兄皇子の「香具山は畝傍ををしと耳成とあらそふらしき神代より
かくあるらし、、、」という歌は、弟の大海人皇子と額田王をめぐる争
い歌ったものだとか。中大兄皇子は自分をこの耳成山になぞらえたので
しょうか?それとも香具山に?
丘の上に至る道は気持ちよく整備されていて、万葉の時代の植生の説明
などもあります。
でも、私がここを訪れたかった一番の目的はこの碑を見ることで下した。
「釆女の 袖吹きかへす 明日香風、都をとおみ、いたづらに吹く」
非常に有名な志貴皇子の歌です。都が藤原京へと移り、寂しくなった明
日香を歌ったものだそうです。字は万葉学者の犬養孝先生です。もう何
十年も前、今は亡き犬養先生と大勢の学生たちと一緒にここを訪れ、先
生が独特の節回しでこの歌を歌われるのを聞きました。それ以来長い時
が過ぎ、色々なことが変りましたが、丘の上から見る景色はあの時のま
まです。私も釆女のように風に吹かれて、しばし佇みました。
丘を下りると、飛鳥川が静かに流れていました。
明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも
(万葉集 十三巻 三二六七)