超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

超精神回路

2006-10-31 | 読書ガイド
55番目には、ライン夫人の著書。

●ルイザ・ライン『超精神回路』日暮雅通訳、国書刊行会(1986)

デューク大学で超心理学研究室を運営し、実験超心理学を極めたJ・B
ライン教授の夫人で、共同研究者である著者は、ライン教授と研究方法
を棲み分け、超心理現象の事例の収集・分析を行なった。

本書は原題をHidden Channels of the Mindと言って英語版は1965年
に出版され、1989年に再版された人気の書である。邦題からはかなり機械
的な印象を受けるが、さにあらず、事例にもとづいて超心理現象のパターン
を解説しており、実験統計的な話題に興味が薄い読者にとくにお薦め。
なかなか楽しめる。

ただルイザは、スティーヴンソンと異なり個々の事例の正当性の評価を
フィールドワークするといった確認手段をとっていないので、その分は
割り引いて注意深く事例を読まないといけない。

この邦訳書の巻末の解説は25番の訳者で登場している猪股氏であり、
ルイザの著述を完全に無視して、自分のとんでもない「大理論」をとうとう
と述べている。まったく解説になっていないので、クレームものである。
彼は、意識工学会という団体を作って会長をしていたが、死去された後、
団体はすぐに解散してしまった。

超心理学

2006-10-30 | 読書ガイド
本流の読書ガイドを続けよう。
54番は、気軽に読める庶民向けの入門書を。

●大谷宗司『超心理学~あなたにもある不思議な力を解明する』
 ごま書房(1994)

小トピックごとに簡潔にまとまっており、広い話題をカバーしている。

著者は日本超心理学会の会長(次に写真あり)であり、
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jspp2/japanese/aboutus/about_us.html
(財)日本心霊科学協会の理事長でもある。
http://www.shinrei.or.jp/yakuin.html

なお、日本超心理学会の公開ESP実験の第1回目締切が明日なので、
まだ試してない方、ぜひ行なってみられたい。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jspp2/japanese/exp/exp.html

テレビ―「やらせ」と「情報操作」

2006-10-29 | 読書ガイド
この話題から離れようと思っていたところで、的確なコメントが来たので、
53番にもう一冊その手の本を。

●渡辺武達『テレビ―「やらせ」と「情報操作」』三省堂選書(1995)

番組制作側の「論理と文法」を学ぶ、テレビ・リテラシーの教科書。
UFOの模型でUFO番組ができるというくだりもある。

ところで、コメントにあったように多少の「演出」はいいではないか、と
いう意見はある。しかし、私はその場合でも「演出」と断るべきと思う。
(理由1)誰かから聞いて演出すると、伝聞が直接証拠のように見える。
(理由2)撮り損ねたものを演出すると、発生頻度を誤って印象づける。
 ⇒ちゃんと撮影できるほど頻繁に起きていることなのだと。

だが、今、大きな問題となっているのは、上の「演出」でなくて「捏造」
なのである。番組制作者が、真実であるとは思っていないか、あるいは
まったく判断がつかないことを、たんに視聴率を獲得するために、真実の
可能性が高いように見せかけているのである。

昨年のことである。テレビ出演(エキストラ)のバイトに行ってきた学生が
「ひどいんですよ」と教えてくれた。街頭にテントを張っての実験・調査
番組で、血液型と食事の仕方との関係を調べるという。ところが、街頭
調査といいながら、参加者はすべてエキストラで、血液型は割り振られ
(少ないAB型に別の血液型の人が回った)、食べ方は「指示」されたと
いうのだ。私も番組を見た(録画放映だったので)が、客観的調査のように
印象づけられていた(血液型判定はやっぱり本物だといいたいらしい)。

ついに科学的方法まで悪用しはじめたか・・・と、私は唖然とした。
業界でルールづくりでもしなければ、映像全体が信頼を失ってしまうだろう。

超能力/映像/情報操作のトリック

2006-10-28 | 読書ガイド
52番目、講談社現代新書のトリック三部作。

●松田道弘『超能力のトリック』(1985)

34番のメンタルマジック事典の著者による。
34番に掲載されてないトリックものっている。

●新藤健一『映像のトリック』(1986)

真実を伝えると思われている映像が、じつは作為に満ちている。
そういう映像ジャーナリズムの裏側を暴く。

●川上和久『情報操作のトリック―その歴史と方法』(1994)

戦争とは、マスメディアを使った情報操作の歴史である。
マスメディアによる事実の歪曲・捏造、行き過ぎた広告、など。

--
ところで今、奇術師がたいへん困っているのをご存知だろうか。
テレビの奇術番組の映像パフォーマンスがエスカレートして、
奇術のテクニックの範囲を逸脱しているのである。

従来から聴衆の一部分がサクラである程度の奇術はよくあった
が、今や、聴衆は全部、番組スタッフも全部グル、捏造に等しい
番組制作が横行している。

ちょっと立ち寄ったお店で奇術の実演と見せて、お客も設備も
全部事前にセッティング、加えて映像もあとからさらに編集する
ときたもんだ。どんな不可思議な映像効果もお手のもの。

テレビで流れたような奇術ができないと一流じゃない、と思われ
始めた奇術師は、たまったもんじゃない。

ましてや、超能力の実演などますます影が薄くなっている。

超常現象の心理学~人はなぜオカルトにひかれるのか

2006-10-27 | 読書ガイド
さて、読書ガイドに戻ろう。
51番目は、間奏曲に関連した本を。

●菊池聡『超常現象の心理学~人はなぜオカルトにひかれるのか』
 平凡社新書(1999)

正統派の批判者で、クリティカルシンキングの専門家の菊池先生の著書。
菊池先生は、5番、29番に引きつづき3回目の登場。

本書の第4、5章で「真夏の激闘」ど題して、テレビ番組で霊能者と戦う
菊池先生の苦悩が書かれており、なかなか読みごたえがある。

否定派としてテレビに出るとどのような不当な状況に巻き込まれるかが
よくわかる。これを機会に菊池先生は、同様なかたちでは2度とテレビに
出るまいと決心するのである。


間奏曲(6)信じるより考えよう

2006-10-26 | 間奏曲
(前日からの話題)

「イシカワはメディアが嫌いなのだ」という囁きが聞こえてきた。
そんな趣旨のことは言ってないだろうに。

そういうレッテル貼りが問題なのだ。超能力のあるなし論争が
ウケルのも、視聴者がレッテル貼りを指向しているからである。
レッテル貼りは、なるべく考えないで済まそうという態度の
あらわれである。

人間や社会や物事の実態は複雑なのである。複雑なまま把握
するには「考える力」が必要である。超常現象の信奉者には、
とかく信念が先行する者が多い。超心理学は科学的手法で、
考える学問であり、超常現象信奉とは一線を画しているのだ。

メディアも信じることを助長するのでなく、考えることを促進する
ものであって欲しい。

(この話題おわり)

間奏曲(5)超能力あるなし論争をめぐって

2006-10-25 | 間奏曲
(前日からの話題)

どうやら肯定派の役者が揃ったので、否定派をやって欲しいらしい。
あの「プラズマ」先生はもう引退されたのだろうか。

それにしても、超能力はホントかウソか的な番組ばかりよく作っている
ものだ。視聴者にとってそれがわかりやすく、制作者も作りやすいと、
思っているのだろう。

しかし、科学的な論争は文献32番、33番にすでに紹介したように、
膨大な実績がある。善良な番組制作であれば、その内容をいかに
視聴者に伝えられるかなどと、まずは考えるべきであろう。そういう
企画の相談ならば喜んで協力するのに。。

ところで、肯定派と否定派の論争では不公平に思えないだろうか。
超能力否定派は、「科学的にありえない」とか、「インチキの可能性
がある」などと、一見有無を言わせぬ論理を使える。科学分野の慣習
に従うと、奇跡的な現象になればなるほどその主張には確実な証拠
が必要であり、肯定派には過剰な実証責任がかかってくるのである。

つまり、否定派は左うちわで気軽に行なえるが、肯定派はときには
人生をかけるほどの、大きな労力を必要とするのである。超心理学者
たち(そしてその被験者たち)の真摯な努力をまのあたりにすると、
なおさら私は、そのような安易な論争にくみすることができない。

(この話題まだ続く)

間奏曲(4)メディア人の職業倫理

2006-10-24 | 間奏曲
(前日からの話題)

目白と新大久保の間の「高田馬場」さんの合いの手が入ったところで
続けよう。資本主義の社会では、「われわれ」が「テレビというメディア」
の広告で宣伝されているものを買っているから、という指摘である。

確かにその通りなのだが、一方で、公共の電波をなかば独占的に使用
しているメディアにとっては、放送法を始めとした社会的規制がかかって
いる。その基本的精神は、大衆に対する影響力が強いので片寄った
使われ方を防ぐこと、そして願わくば政府などの他の権力に対し批判的
役割を担う民主主義の要となってもらうことである。

メディアに従事する者はその社会的影響力をつねに意識し、自らの生産物
の社会的な妥当性を反省する義務があるのではないか、それがメディア人
の職業倫理なのではないかと思うのである。法律に触れない範囲なら広告
収入をまず第一に考えるというのではまずいのではないか、それはメディア
の自殺行為なのではないか(つまりメディアに信頼が寄せられなくなり利用
者がいなくなること)。

私のところに電話をかけてきた番組の制作者が、再度出演を依頼してきた。
私の言うことが理解できないようである。このブログも見てないにちがいない。

(この話題まだ続く)

間奏曲(3)超能力と奇術のはざまで

2006-10-23 | 間奏曲
(前日からの話題)

超能力エンターテイメント番組を超能力者の立場から考えてみよう。
(あくまでも真の超能力者がいると仮定してのことだが。。)

超心理学の文献によると、証拠として評価できる超能力現象は滅多
に起きないとある。真の超能力者であっても、ときどきしかその力を
発揮できないとみられる。ということは、真の超能力者は、超能力
エンターテイメント番組に出演する気になるだろうか。現象が出せな
ければ「どうせニセモノだったのだ」とバカにされるのがオチである。
いくらなんでもそんな危険なことはしないだろう。

すると合理的に考えて、番組に出演するのは何らかのエンターテイナー
だけになるはずである。本当のニセモノか、真の超能力者であっても
奇術の心得があったり、霊魂などのトークにたけていたりして、気まずい
状況もうまく切り抜けられるエンターテイナーたちである。

推測するに、苦労して超能力を発揮するより、奇術を行なったほうが
ラクなのだ。そして重要なことは、番組制作者が暗にそれを望んでいる
のである。絵になる瞬間が収録できなければ番組にならないのだから、
制作費に見合う最低限のリスク管理として、奇術の可能性を残した緩い
管理をするのである。結果として視聴者は、超能力と名づけられた奇術
を見せられ、「これは本当に超能力でしょうか、それとも奇術でしょうか。
判断するのはあなたです」と、とても判断できない映像を見せられるのだ。

そう考えると、森達也さんの「職業欄はエスパー」(4番目の紹介本参照)
が優れた映像ドキュメンタリーであることに改めて気づかされる。
「超能力者」と呼ばれる人々の視点から社会を描き、彼らの人間性という
判断の手がかりを視聴者に提供してくれる。

私のところに電話をかけてくる番組の制作者は、超能力や超能力者に
ついて調べているのだろうか。森さんの業績を知っているのだろうか。

それともこうした願いは、制作の忙しい現場には無理な要求なのだろうか。
だとしたら、なぜこうなってしまったのだろうか。テレビというメディアを
われわれは今後どのように位置づけていくべきなのだろうか。。。

(この話題まだ続く)

間奏曲(2)超能力はエンターテイメントだった

2006-10-22 | 間奏曲
(前日から続く)

「企画書」がきた。なんとたったの1ページ。
よく見たら「番組概要書」だった。さすがに本物は出せないのかなー。

内容は、「超能力エンターテイメントSHOW」とか、「様々な超能力が
飛び交いスタジオはどうなってしまうのか」などという文字が踊っている。

ああ、超能力はエンターテイメントだったんだ。。。(溜息)
超能力を「研究対象」とする、これまで紹介してきた50冊の著者の大多数
との意識のギャップに愕然とする。

エンターテイメント番組に科学者が何をコメントできるのだろう。そもそも
管理していない状況で「超能力」が発揮されても、奇術と区別がつかない。
「今のは本当に超能力でしょうかねぇ」と聞かれれば、「奇術でもできそう
ですね」と言うしかない。本音は「学問的には意味のないことをやっている」
と叫びたいところだ。

考えてみれば、はやりの「血液型心理判定テスト」のたぐいの番組に心理学
者がきてコメントしたのは見たことがない。「こんなテストは学問的に意味が
ない」と言うに決まっているからだ(そうでなければニセ心理学者だ)。
ということは、こんな番組に出演依頼するのは、私のことをニセ科学者と
思っているのか、何も考えていないかのどちらかだ。

・・・

私がなんて回答したかって? 決まっているじゃないか。

(この話題まだ続く)

間奏曲(1)テレビ局からまた電話がきた

2006-10-21 | 間奏曲
ブックガイドが50冊の節目にきたところで、少々休憩しよう。

(最近の経験から)
一昨日、あるテレビ局の制作プロダクションから電話があった。
どうやら電話を再三かけまくっていたらしい。

メールなら確実なのにと言ったら、前日に私がメールを受け取った
当の人であるとわかった。すでに返事を出してあるのに、それを見ず
に電話をかけてきたのである。

なんかテレビに出演して欲しいらしい。
「それで、どんな番組なのですか?」と聞くと
「○○が○○で、スタジオに○○を集めて・・・×××」
「えっ、それで私にどんな役割を期待しているのですか?」と問うと
なんと、別の番組の内容をとうとうと説明していたことが判明。

「いや、すみません。いろいろ同時に担当しているもので。。」
そんな状態では、ドタバタ番組しか作れないなぁ、と苦笑する私。

正しいほうの番組は「超能力者をたくさん集めてスタジオで超能力を
発揮してもらう」のだそうだ。その超能力にコメントして欲しいという。

「それで、超能力は滅多に起きないらしいので、発揮できなかったら
どうするのですか?」
「発揮できるように超能力者の方々には、体調を整えてもらってます。」
「・・・」(それでも出なかったときのことを聞いているのー)

「批判的立場からのコメンテーターでもいいですよ。」
「・・・」(なんと軽いノリだ!)

「超能力者には、○○さんと、○○さんを呼んでいます。」
「とにかく番組の企画書をメールしてください。それで判断しますから。」

(続く)


自己はどのように脳をコントロールするか

2006-10-20 | 読書ガイド
節目の50番目は、18番に続いて2人目のノーベル賞受賞学者の著書。

●ジョン・エックルス『自己はどのように脳をコントロールするか』
 大野忠雄/齋藤基一郎訳、シュプリンガー・フェアラーク東京(1998)

エックルスは大脳生理学者で1963年のノーベル医学生理学賞を、神経
細胞の抑制性結合の発見で受賞した。1997年に94歳で亡くなるのだが、
本書は最後の著作。

エックルスは早くから、自分は二元論者であると表明し、脳を研究して
そこに心の働きを見いだそうとする唯物論的アプローチを批判していた。
エックルスにとっての脳の研究は、心の物への働きかけの端緒を探す
挑戦である。その点では、42番に紹介した脳波の発見者ハンス・ベンダー
と似たような動機である。ベンダーはテレパシーが起きる原理を探して
脳研究に挑んだ。

エックルスの説では、自己は「念力で」脳をコントロールするというに
等しい。つまり自分の指が思い通りに動くこと自体が「念力」なのだ。
となると、外的世界の事物を念力で動かすのは、まちがって脳の外に
心の働きが及んだにすぎない、と解釈されよう。

本書では、第3章までで脳と心にまつわる諸理論がまとめられていて
役に立つ。第4章から神経回路と量子事象のかかわり方が仮設され、
第6章で、エックルスの提唱するサイコンという、心的事象の要素が
導入される。サイコンと神経細胞が心的世界と物的世界を橋渡すとし、
その後の章は、進化の途上で意識が現われた説明にあてられる。

超心理学者には、エックルスのような心身二元論者が多い。
(唯物論者も皆無ではないが)
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/8-3.htm

恐怖のポルターガイスト

2006-10-19 | 読書ガイド
49番目は、日本でほとんど唯一のポルターガイスト研究書。

●ウィリアム・ロール『恐怖のポルターガイスト』
 坂斉新治訳、志水一夫解説、ボーダーランド文庫、角川春樹事務所(1998)

これは1975年に『ポルターガイスト』と題して大陸書房から出版された本の新版
である。装丁を見るとミステリー小説かとも思えるが、れっきとした研究書である。

ポルターガイストは、日本でも10年ほど前に岐阜の公団住宅で発生して大きな
話題になった。ご記憶の方も多いであろう。

ロールは、もう80歳になるが、長年ポルターガイストの研究を続け、霊魂仮説
から距離をおいて現象そのものを論じれるように、RSPK(反復性偶発的念動
現象)なる用語を導入した。その現象の多くは通常の物理現象、ある部分は
8歳以下の子どもが発揮している超能力が中心だそうだ。以下に彼の写真あり。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-4.htm

解説の志水氏は、ネットでは「夜帆」というハンドル名で活躍する著名人。
http://homepage3.nifty.com/kadzuwo/in_j.htm

心霊と進化と―奇跡と近代スピリチュアリズム

2006-10-18 | 読書ガイド
48番目は、あの「ダーウィンに消された男」と騒がれた著者のもの。

●アルフレッド・ウォーレス『心霊と進化と―奇跡と近代スピリチュアリズム』
 近藤千雄訳、潮文社(1985)

ウォーレスは、ダーウィンと同時期に生物進化の自然淘汰説を唱えたが、
心霊主義に傾倒しすぎたために、その成果をダーウィンに奪われたと
みられる博物学者である。

最初は奇跡についてで、ヒュームの奇跡の議論の検討から始まる。科学的
検討がつづき、一流学者らしく内容はかなり論理的である。

当の自然淘汰説にかんしては、ダーウィンが唯物論一辺倒であったのに対し
ウォーレスは、高度化した生物では超越的な知的存在の影響を受けるように
なると、「霊魂流入説」に相当する仮説を加えた生物進化論を打ち出していた
ようである。現代科学にはなじまない説であり、排除の対象となったのだろう。

まえがきをみると、原本が書かれたのは1874年である。本国イギリスでも
とうに絶版になった本を、百年以上たった日本で翻訳する訳者のこだわりも
たいしたものである。近藤氏は21番のコナン・ドイルの本の訳者でもある。


前世の言葉を話す人々

2006-10-17 | 読書ガイド
47番目は、生まれ変わりの決定的な証拠とされる現象について。

●イアン・スティーヴンソン『前世の言葉を話す人々』
 笠原敏雄訳、春秋社(1995)

7番や38番と同様の著者・訳者のペアによる本書は、突然異国の
言葉をしゃべり始めて前世を語る「真性異言(ゼノグロッシー)」の、
調査報告。非常にまれな現象らしい。かなり確実とみなされる2例の、
刻銘な調査をしている。

(1)グレートヒェン事例
米国の催眠施術士のキャロル・ジェイが妻のドロレスに前世逆行催眠
をかけたところ、1970年、グレートヒェンと名のるドイツ語を話す人格が
登場した。スティーヴンソンは直接その人格と話し、かつ夫妻がドイツ
語を習う機会がなかったかどうかを調査している。

(2)シャラーダ事例
インドのウッタラ・フッダル(女性)は、瞑想をならったところ、意識の
変容状態で突然、ベンガル語を話すようになった。1974年ベンガル語
を話す寺の住職と対話をはじめたところ、その人格はシャラーダと名
のりベンガル地方での過去の生活を話した。シンハ博士は、それを
録音し、ベンガル地方に行ってその話の一部が正しいことを確認した。
スティーヴンソン自身も別途確認の調査を重ねた。

スティーヴンソンは、こういった現象をESPで説明するのは無理があり、
霊魂が存在すると考えるべきだと言うが、どうだろうか。