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超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

神秘体験の再考

2010-11-07 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(20)

第20章:神秘体験の再考

神秘体験をする人々の体験報告が数々ある。たとえば、リチャード・
モーリス・バックの宇宙意識(ナチュラルスピリット社より邦訳あり)、
アラン・スミスのそれである。両者の共通点や臨死体験のパターンと
の類似も指摘できる。こうした報告を「データ」として扱い、科学的な
方法が適用できる。それを通して霊性領域への接近が可能だろう。

最後に、私(タート)の現時点での私見を述べよう。
・神秘体験は本当か⇒報告者の文化的背景、信念、希望や恐れ、言語の
 限界があるが、そこには重要な真理が含まれていると思う。
・宇宙は生命体か⇒いち人間が確かなことは言えないが、生命や意識は
 世界に広がっていると思う。
・魂は不死か⇒永遠かどうかはわからないが、肉体の死後にも存続する
 ものがあるという強い証拠(※1)がある。
・世界中のものはすべて協働している⇒そう期待したいが、よくわから
 ない。状態特異科学(※2)によって将来明らかになるかもしれない。
・世界の原理は愛であり、万人の幸福は達成されるか⇒そう期待したい。
さらなる議論は私のサイトで:http://www.paradigm-sys.com/

※1 本書の議論では「強い証拠」はまだないと思えるのだが…
※2 ⇒http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/8-5.htm

(以上、本書読了)


科学と精神性

2010-11-06 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-5)

第19章:根源に立ちかえった再考
・科学と精神性

本書で紹介した超心理学の実験事実は、精神性(霊性)について
理解を深める。人間の精神は、時空間を超えてつながったり、
物体と作用したりする。これは、精神性を物質世界におしこめ
られない、という現実を示している。精神は、脳に閉ざされた
ものではなく、霊性領域に開かれているのである。しかし、
その領域の実態は明らかにはなっていない。科学と精神性を
ともに追究することで、その理解が進むだろう。

精神性の体験を深めるために、夢見や瞑想に着目するとよい。
数々の宗教的儀式にも重視すべき内容がひそんでいる。
私(タート)はシンゼンから瞑想の教えを受けた。
http://www.shinzen.org/
しかし、体験を深める訓練は、個人によって向き不向きがある。
個人の特性と、適合する訓練法の間の統計的な関係が求まる
ようになるとよい。たとえば、「この特性をもった人が禅を行なう
と12%悟りが得られるが、2%は精神疾患におちいる」など、
時間をかけた追跡調査が必要である。


組織化された宗教

2010-11-05 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-4)

第19章:根源に立ちかえった再考
・組織化された宗教

神という概念を歪めて、恐怖をあおり、支配に利用する人々
に対しては、怒りを覚える。こうした組織化された諸宗教と
霊性領域を区別せねばならない。人間が物質を超えた霊的
体験をすることは明らかであり、それに関連した厳密な科学
的データも得られている。こうした領域へも科学的方法論、
つまり経験的事実をもとに総合して理論を立て、また検証
するといったサイクルが、適用できるはずだ。

組織化された宗教に対して疑問を呈したい。その宗教活動を
通して、精神的な在り方に対する理解が「進展」してきた
のだろうか。この数世紀のあいだになされた科学的進歩は
めざましい。宗教は、「信じろ、さもないと恐ろしいことが
起きる」として、進歩をさまたげてきたのである。

この霊性領域の理解の進展をはかる科学的試みが、トランス
パーソナル心理学である。


肉体の死後における生存

2010-11-04 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-3)

第19章:根源に立ちかえった再考
・肉体の死後における生存

死後生存の信奉には危険な面がある。現世での主体的な行動
を失わせる可能性がある。「どうせ業(カルマ)なのだから」と
思うと意欲も減退する。しかし、カルマがあると思うことで、
生活に意欲が生まれる面もある。私は、死後生存に賭けている。
げんに私が意識をもっていること、臨死体験がなされることなど
がその信念を支え、道徳的に日々を送っている。そう思うと
日々の生活も楽しいし、死を恐れることもない。かりに間違って
いたとしたら、「しまった」と思うこともできないのだから。


霊的存在、目的、そして現実

2010-11-03 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-2)

第19章:根源に立ちかえった再考
・霊的存在、目的、そして現実

私(タート)は、現時点の最善の仮説は「霊性の領域の存在」
であると考える。この領域は、私たちの日常物質世界の現実性
よりも、もっと高い現実性をもっているのだが、日常の意識状態
では、それが感じられないのだ。そして、私たちの人間性は、
この領域に由来すると思われる。この領域は、私たち個々人
よりもある種知的で、私たちは霊的な方法によってそこへと
かかわりを持っている。超心理現象は、この霊性の領域と物質
世界とのつながりの現れと見なされる。

しかし、霊性領域が作用しているからといって、私たち自身の
主体性が失われるわけではない。私たちは依然として責任ある
個人なのだ。私のこうした世界観は、仏教とグルジェフの教え
によって、主にもたらされた。

※グルジェフについては<読書ガイド108>にあげた以下の
 書を参照のこと。
 『覚醒のメカニズム~グルジェフの教えの心理学的解明』
 タート著、コスモス・ライブラリー

神とは何か

2010-11-02 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-1)

第19章:根源に立ちかえった再考
・神とは何か

私(タート)は、小さい頃、母に言われて、教会の日曜学校
に通った。神とは慈悲深く愛に満ちた最高の存在で、世界を
創造したと教わった。良き行ないをすると天国に行き、悪しき
行ないをすると地獄に落ちる、という決まりがある。また、
罪をおかすと子孫何世代にもわたってとがめられるという。
私は、これでは無条件の愛ではないと疑問に思った。母が
愛する母(私の祖母)が亡くなったときには、さらに疑問が
膨らんだ。

最高の存在である神との、直接のかかわりはごく少ない。
科学の言葉で言うと、十分なデータや事実がない。19歳の
時、私は映画『十戒』を見て感動を覚えた。しかし40代で
再度見たときは、当惑した。感動したモーゼのシーンなどは、
今では少年時代のやるせない怒りを解消する役割を果た
していたのだ、と思っている。また(キリスト教では)、父なる
神というが、なぜ神は男性なのか。それも疑問である。

私の考えでは、精神と物質を橋渡す世界観は、神として
語られてきた描像からは離れた在り方がふさわしく思う。


根源に立ちかえった再考

2010-11-01 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(19-0)

第19章:根源に立ちかえった再考

科学者としての私(タート)は、可能なかぎり客観的に
なり、実験してデータをとり、事実を観察する。そして
それらの意味するところを考え、理論を構築する。一方、
日常の私は、主体的に行動し、身体的に感じ、何かを
大事にしたり誰かを尊敬したりする。

私とは幻想で、機械的な宇宙の意味のない出来事なのか、
まもなく消滅する肉でできたコンピュータなのか。それとも、
私とは、単なる身体的存在を超えた、高次の精神的な
存在物であるのか。

私が思うに、科学者で、かつ、スピリチュアル・シーカー
(精神性・霊性を追い求める人)になることは可能だ。
どちらも人間性の現れ方のひとつである。

私は、完全主義の母親の影響を受けて育った。人は各自
固有の歴史をへて世界観を形成していく。私の世界観は
唯一絶対のものではないが、本書で披歴することで、
読者の参考になればと思う。


西洋の科学主義を信じると

2010-10-26 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(18)

第18章:西洋の科学主義を信じると

物しかないとする科学主義を信じる人生を考えてみよう。
そうすると身体的な安全と健康が第一になるにちがいない。
快楽を求め、苦痛を避け、生をとにかく長びかせることが
大事なのだ。将来の人類のことなど、おかまいなしだ。
こうした考え方には、私は反感を感じる。しかし、科学主義
からは「合理的」に、この考え方が生まれてしまうだろう。


唯物論の終焉・再確認

2010-10-21 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(17)

第17章:唯物論の終焉・再確認

人間は霊的な存在であり、霊的な体験をするにも
かかわらず、それをしばしばあざ笑い、無視して
きた。科学と霊性のあいだに対立はない、対立は
科学主義と霊性のあいだにある。科学は経験から
出発するので、霊的体験はデータとして貴重である。
私(タート)は、科学者の超越体験を集めている。
www.issc-taste.org

超心理学の成果から考えると、私たちの心は、物を
超えた存在と、脳や身体などの物的な存在の混合で
ある。とくに体脱体験と臨死体験、そして霊界交信
が、この可能性を明らかにしている。しかし、実証
データは十分でない。可能性が明らかなのに、その
努力を払おうとしないのだ。とても奇妙なことである。


転生・生まれ変わり

2010-10-20 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(16)

第16章:転生・生まれ変わり

すぐれた転生研究は、ヴァージニア大学のイアン・
スティーヴンソンによって成し遂げられた。彼が
2007年に逝去した後も、大学の研究室には数千もの、
前世の記憶をもつ子どもの事例が蓄積されている。

彼の成果を読むには、トム・シュローダー著『前世を
覚えている子どもたち』大野百合子訳(ヴォイス)が
お薦めである。

関連サイト:
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm

関連記事:
読書ガイド<7><22><38><47>
論文ガイド<PA2007(34)>


霊媒術

2010-10-15 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(15)

第15章:霊媒術

唯物論によると霊媒が死者と交信するというのは、
会席者から情報を聞き出すなどの、何らかの
コールドリーディングである。私(タート)は
この立場をとらない。

超心理学に関する知見からすれば、霊媒術は、
死後も存続する霊魂が、サイによって把握する
情報を、霊媒がさらにサイによって感知する、
という「霊魂仮説」が立てられる。

また一方で、霊媒が会席者からテレパシーで
情報を感知したり、死者に関することを過去透視
したりする、という「超ESP仮説」も考えられる。

超ESP仮説では、霊媒が無意識でかなり高度な
サイ能力を発揮していることになる。無意識にサイ
が働くのは、ヒツジ・ヤギ効果やPMIR(注)
から、よく知られていることである。ところが、
実験室ではあまり大きな効果のサイが検出されて
いないのに、霊媒術では特異的に高度なサイが
発揮されるのは、私(タート)は奇妙に思う。
そう考えると霊魂仮説のほうがしっくりくる。

(注)PMIRについては以下のサイトを参照
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/5-3.htm

次のサイトではタートの主張とは逆に、
超ESP仮説のほうが問題が少ないと議論している。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-4.htm


霊界交信

2010-10-14 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(14)

第14章:霊界交信

サイ能力や体脱体験・臨死体験は、霊的存在が死後も
存続することの間接的証拠かもしれない。

グゲンハイムが2千人にインタヴューした結果、次の
霊界交信の特徴が集められた。

死者の存在感/死者の声が聞こえる/触られる感じ/
臭いがする/霊姿が見える/変性意識状態で起きる/
死者と電話で会話ができる/物体が動く/何かで死者が
返事をする


人間の本性に関する4つのキー・ポイント

2010-10-08 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(13-3)

第13章:臨死体験(NDE)
・人間の本性に関する4つのキー・ポイント

(1)私たちの体験に対して、身体や脳神経などの物理的な
  事項はすべてではないにしろ、大きな寄与をしている。
  心などないという科学主義に陥ることなく、物理的なこと・
  心理的なことを区別しよう。

(2)超心理学の知見は、ESPやPKが物理を超えている
  ことを強く示唆している。超心理現象を現在や将来の
  物理学の枠内に収めるのは望み薄である。

(3)心の本性の探究はきわめて重要である。霊的体験や
  トランスパーソナルな熱望を精神疾患と結び付けるのは
  やめよう。

(4)臨死体験や体脱体験に耳を傾けよう。そこでは、たんに
  現実がゆがんで体験されるだけでなく、肯定感や満足感と
  ともに、超越世界が垣間見える。その在り方は、科学的な
  研究の方法で探究できるのだ。


純粋知性に開かれた心のモデル

2010-10-07 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(13-2)

第13章:臨死体験(NDE)
・純粋知性に開かれた心のモデル

私(タート)は、超心理学とトランスパーソナル心理学の
知見から心身の世界を表すモデルを提唱した(1993)。

物理世界に生き続ける生物は、身体や脳神経をもとにして
「私!」という生物物理的仮想現実をシミュレーションする。
その際には、物理実体の外部の「心」が、脳を含む身体と
超心理的相互作用(ESPとPK)を行なっている。

つまり、生物体の主体としての私は、物理世界の仮想体と
しての心。真の心は、超越世界でトランスパーソナル領域と
不可分につながった存在である。私たちは、臨死体験や
体脱体験などの変性意識状態で、その真の心の在り方を
感知し、純粋知性を認識するのである。


パム・レイノルズの事例

2010-10-05 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(13-1)

第13章:臨死体験(NDE)
・パム・レイノルズの事例

パムは、冷凍状態で手術を受けているあいだに鮮明な
臨死体験を経験した。脳が停止状態にかかわらず体脱し、
その間の手術室の様子を語ったのだ。実証性の観点から
注目に値する事例である。

※この事例はマイケル・セイボム『続「あの世」からの帰還』
 (日本教文社)からの引用である。⇒<読書ガイド80>