超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

時間的側抑制

2010-08-30 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(8-3)

第8章:予知
・時間的側抑制

私(タート)は、ひとつ将来のターゲットに対し、予知的な
ミッシングが現れることについて、それを説明する理論を
考えた。超心理の「時間的側抑制」である。

すでに「空間的側抑制」は、生理学でよく知られている
機能である。たとえば皮膚の触覚にあたる神経回路網に
その機能がみられる。皮膚の神経細胞が担当する皮膚
位置に与えられた信号は、その強さに応じて周辺位置の
神経細胞に抑制信号が渡されるのである。すると、皮膚に
触れた物体のエッジ部分が強調して感知される。つまり
ぼんやりした情報をシャープにする機能があるのだ。
これを時間の方向に展開したのが「時間的側抑制」である。

超心理の「時間的側抑制」は、限定的な種類の単調な
ターゲットが繰返し呈示される実験(たとえばESPカード
の透視)で現れる。つまり透視が、現在だけでなく将来も
過去も「見えて」しまうとすると、たくさんのカードが見え、
どれがいつのターゲットであるかわかりにくくなる。そこで、
現在のターゲットに注目するために、側抑制が働き、将来
のターゲットが見えても、「これではないよ」という仕組みが
実現されていると説明できる。

時間的側抑制の理論を確認する実験は、いろいろと考え
られるが、研究は進んでいない。今後の研究が期待される。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/4-6.htm


サイミッシング(超心理的誤答)

2010-08-29 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(8-2)

第8章:予知
・サイミッシング(超心理的誤答)

私(タート)の研究室で行なっていた、カード10枚を円形に
配置した実験から得られたデータについて、予知の可能性を
調べてみた。つまり、その回のコール(応答)と次の回の
ターゲットが合致していないかを統計的に検定してみた。
次の回のターゲットは、コールがなされてからランダムに
生成されるので、それらの間に関連性があれば、予知である。

分析の結果、両者の関係は、有意に低得点だったのである。
すなわち、大きくハズレであった。それも、偶然に期待できる
よりも、たくさん外れていたのである。正解を知らないと
外すことはできない。超心理学では、この積極的に誤答する
ことを「サイミッシング Psi-Missing」という。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/4-1.htm

予知

2010-08-22 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(8-1)

第8章:予知

予知実験は、将来にランダムに決まるターゲットを事前に
察知することで、ターゲット情報が時間で隔離されており、
物理的に厳密な遮蔽が容易である。

ホノートンとフェラーリのメタ分析では、1935年から1987年
までの強制選択予知実験が、62人の研究者が113の論文に
309の研究を報告しており、5万人の被験者が約200万回の
試行で、偶然比10の24乗分の1である。この結果を偶然に
帰すには、14268のお蔵入り研究がなければならない。実験
上の問題点が残る実験よりも、高度な管理をしている実験
のほうが高いスコアをあげていた。

また1979年のジョン・ビサハとブレンダ・ダンのシカゴ周辺の
遠隔視実験では、ターゲットが駅になったときに列車が入る
以前に受け手が、その状況を遠隔視した。

このように予知は確実に存在する。しかし、予知があるとしても
将来がすべて確定しているわけではないだろう。私(タート)は
自由意志があると信じている。


透視や遠隔視はなぜ非物理的現象か

2010-08-21 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(7-4)

第7章:千里眼透視や遠隔視
・透視や遠隔視はなぜ非物理的現象か

透視や遠隔視が物理的だと言えない理由は、テレパシーの
場合と共通している。ここでは、さらに付け加えられる点を
述べる。透視はX線視覚などとたとえられるが、たくさんの
カードが積まれている中ほどのカードを透視する場合、X線
視覚では、パターンが混在して、どれが中ほどのターゲット
カードのパターンかわからない。

テレパシーと同様に遠隔視でも、シールドルームでの実験を
行なって成功している。だが、シールドルームでも遮蔽しきれ
ない、極低周波電磁放射が情報を媒介しているという説が
提唱された。しかし、受け手を潜水艇に隔離した実験が成功
しているので、それも否定される。また一方で、受け手に
シールドされていると信じさせると、失敗する傾向がある。

ということから、透視もテレパシーと同様、物理的現象とは
とても言えない。


遠隔視の実用的応用

2010-08-20 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(7-3)

第7章:千里眼透視や遠隔視
・遠隔視の実用的応用

私(タート)も、この極秘諜報プロジェクトに部分的に参加した。
遠隔視で敵地の状態をスパイするのだ。秘匿契約にサインしている
ので、詳細は話せない。情報公開法であらかた公開されたのだが、
まだ、大きな成果があがっている結果に公開されていないものがある。

実用性がないという判断で、このプロジェクトは終了したが、なぜ
実用性がないプロジェクトを23年もやっていたのだろうか。その
ところを、もう一度よく考えて欲しい。


遠隔視実験の手順

2010-08-19 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(7-2)

第7章:千里眼透視や遠隔視
・遠隔視実験の手順

遠隔視は、実験企画者が事前に選定しておいた多数の地点から
送り手がランダムに1地点を選び、そこへ車で移動する。そして、
その地点の特徴を描画したり口述したりする。そのあいだ受け手
は隔離された部屋で、送り手がいる地点の様子を想像して、絵や
言葉で記述する。実験補助者は、その作業を促進するように助言
する。受け手の遠隔視が終わったら、受け手の記述が保管され、
受け手は選択された地点に行って、ターゲットを確認する。

この作業を5日ほど連続して5回行なったあと、外部判断者に
選択された5か所にランダムに訪問してもらい、5つの受け手の
記述が、どの地点と合致しているか、合致度の高い順にそれぞれ
ランキングしてもらう。ターゲット地点の遠隔視記述が、高いほうの
ランキングになれば成功である。

この実験法は、スタンフォード研究所で開発され、アメリカ軍の
スターゲートプロジェクトでも採用された。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-3.htm


千里眼透視や遠隔視

2010-08-16 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(7-1)

第7章:千里眼透視や遠隔視

1933年から34年にかけて、デューク大学で行なわれた実験
では、ピアースが別な建物にいるプラット(ラインの片腕の
研究者)がもっている(裏向きの)ESPカードを遠隔透視した。
4通りの建物配置で計74回の一連の25試行を行なって、
偶然平均を188枚上回る正解が得られた。偶然では、10の
22乗分の1の確率であった。


量子の世界

2010-08-15 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(6-4)

第6章:テレパシー
・量子の世界

テレパシーの説明に量子物理学を使おうとする試み
がなされているが、過大な期待をしないほうが賢明だ。
現状の量子論がそのまま使えるわけではなさそうだ。

私(タート)自身、この方向に詳しいわけではないので、
興味がある方は、同僚のラディンの著書『量子の宇宙で
からみあう心たち』(徳間書店、左のブックマーク参照)
をご覧になるとよい。


テレパシーはなぜ非物理的現象か

2010-08-14 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(6-3)

第6章:テレパシー
・テレパシーはなぜ非物理的現象か

テレパシーとされる現象が物理的だとすると、
なんらかの信号を送る媒体によって伝達される
とみられるだろう。しかし、遠距離まで伝達
できる物理パワーが脳にあるだろうか。かりに
あるとすると、測定器で測れるはずであるが、
今のところ、そうしたパワーは測定されていない。
かりに何か伝播しているとしても、受け手が
多くのノイズからその信号を抽出できる手段が
不明である。またシールドルームに隔離しても
テレパシーが働くということも説明できない。

つまり、現状の物理理論や、その合理的な拡張
でもってテレパシーが説明できそうなく、むしろ
物理理論に違反するように見える。超能力を説明
する独自の視点をもつほうが有望である。


知られざる超能力

2010-08-13 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(6-2)

第6章:テレパシー
・知られざる超能力

私(タート)が行なったテレパシー実験では、たびたび
送り手側のターゲットランプの位置で、受け手の手が
止まり、まさにその「正解ボタン」を押しそうになった
状態で、送り手側がモニタに向かって、「ほらそれだよ」
と呼びかけたとたん、受け手は別のボタンを押すという
事態があった。心の奥底では正解を知っていたのでは
ないかと思うくらいである。

意識では気づかないレベルのところで、超能力を発揮して
いるということがあるのだろう。この無意識の感知は生理
学的な測定装置を受け手の身体に接続することで、超能力
の証拠が得られることが示されている(詳しくは後述する)。


テレパシー

2010-08-11 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(6-1)

第6章:テレパシー

世界の多くの人々は祈りをささげるが、心理作用が物理法則を
超えてなされる可能性があるという考えは、かなり一般的である。
その典型であるテレパシーとは、空間的に離れ、互いに通常の
物理的手段では情報伝達できないとされる人々(送り手と受け手)
の間にみられる、特異的な情報伝達である。

私(タート)が行なったテレパシー実験を紹介しよう。トランプの
1から10までの10枚のカードを円状に配置し、各カードの脇に
表示ランプとボタンを配置したボードを2組つくり、送り手用と
受け手用の、互いに離れた実験室に配置する。送り手のボードには
乱数発生器が接続されており、10か所のランプのうち1か所が
ランダムに点灯する。送り手は、受け手の部屋を撮影したカメラの
モニタを参照しながら、そのカードを念じる。受け手は、念じられた
カードを想像して、そのボタンを押す。回答は即座に受け手のボード
のランプに表示され、当たりの場合は心地よいチャイムが鳴る。

偶然期待値に比べ、かなりの高頻度で当たりを得た。ターゲットが
即座にフィードバックされるので、若干のトレーニング効果や、
受け手があきないで実験を続けられるという効果があったのだろう。


超心理学は客観性の立場をとる

2010-08-10 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(5-2)

第5章:超越した心理作用の数々
・超心理学は客観性の立場をとる

超心理学がとっている手順によれば、物理学の原則に
いったん従うという客観性の観点に特徴がある。その
点においては、物理学の専門知識が必要と言える。

ラインは、その客観性を厳密に追究して、統計的な
証明を求めるために、ESPカードテストを採用した。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/2-2.htm

私(タート)は、数々の自称懐疑論者や疑似懐疑論者
に会ってきたが、彼らは対抗仮説を頭から認めない。
アンフェアな議論は、たとえば次のサイトを見れば
よくわかる。http://www.skepticalinvestigations.org/


超越した心理作用の数々

2010-08-09 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(5-1)

第5章:超越した心理作用の数々

超心理現象は、私(タート)が経験したクーデター夫人の
例のように、自発的に起きる性質のものであるようだが、
はっきりとした超心理現象として特定されるためには、
物理的な条件が管理されている必要がある。

典型的には、超心理の作用主体(通常は人間や動物)を
空間や時間や遮蔽物を使って、物理的に隔離するのである。
これは物理学において基本物理作用が、時空間のうえで
局所的に働くとされているからである。つまり、隔離して
おけば、物理法則からして、なんの情報伝達も影響力もない
ということである。

そのため超心理学では、物理学の諸法則を原則(帰無仮説)
として、それに対抗する仮説(対立仮説)を立てるという構図
(統計的な検定の構図)で、これまで研究がなされてきた。
物理学の原則に反するデータがあるのなら、その原則を捨て
ようという手順である。


自己防衛的動機による合理的撹乱

2010-08-06 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(4-4)

第4章:生活世界の中の超心理現象を精察する
・自己防衛的動機による合理的撹乱

私(タート)は、クーデターの体験事例を、友人である
精神分析家で超心理学者のジュール・アイゼンバッド
に書き送った。彼は、ESPが起きるときには、事故
にあった肉親を救うなどの、利他的な状況が多いと
語られがちであるが、実際に調べてみると、利己的で
否定的な状況で起きている。この観点から私の事例も
考えてみては、とすすめてくれた。

最初、私が否定的動機をもっているかね、と一笑しかけ
たが、よくよく考えてみると、クーデター夫人の息子の
ような相談事例に対して、面倒な話だなどと警戒する
気持ちがあるのではないかと思いなおした。人間には
一般的に、利己的な動機をもつことを認めない自己
防衛的傾向性がある。だから、超心理現象が利己的な
動機によって現れているにもかかわらず、それが隠されて
他の人道的な理由として、一見合理的に説明され、結果
として現象の背景が歪められてしまう可能性がある。


分析的連想的撹乱

2010-08-05 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(4-3)

第4章:生活世界の中の超心理現象を精察する
・分析的連想的撹乱

私(タート)は、クーデターの例がESPだと自覚できた
背景には、いくつかの偶然が重なったことに気づいた。

超心理のターゲットが無意識レベルで感知された
ところで、ほとんど無自覚的に分析や連想が働く
はずだ。クーデターならば、どこかの国での内紛
の報道があったかな、それが記憶に残っていた
のだな、とかの分析が働く。また、クーデターという
言葉自体が保持されるよりも、それに関連した概念、
たとえば政治とか軍隊とかの言葉に、連想で変更
されてしまってもおかしくない。クーデター夫人の
名前が、コーヒーやストーブであったら、ESPとは、
まったく自覚できなかったろう。

つまり、もしESPが日常的にいろいろ働いていた
としても、それに気づくことができるのは、条件が
重なったごくわずかの場合に限られるのだろう。