あいとポッポパーティー

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「海にすわる」を見て、嘉陽のじいちゃんを思い出す

2006-03-15 01:59:18 | 日記
昨日深夜にテレビ朝日で放映された、「海にすわる~沖縄・辺野古反基地600日の闘い~」を見ました。
あまりの深夜のため、録画(してもらって)ビデオで見ました。
しかも3回も見てしまった。ネムーです。

同県内宜野湾市にある米軍普天間基地の移設を名目に、沖縄県名護市の辺野古沖に巨大な新基地建設をしようとの計画が96年に浮上。これに対する地元の反対運動がずっと続いてきました。
一昨年9月に、防衛施設局はいよいよ工事が強行。これに対し、地元住民や地元外からも船やカヌーを出して文字通り体と命を張って止めてきました。

たたかいの中心は、なんと言っても地元のオジー・オバーです。番組では彼らの思いをよく追っていました。
さらに施設局が建設した海上のやぐらで、工事を止めるために一時は24時間の座り込みが続けられましたが、その過酷な、異常とも言える阻止行動を続けることの思いも丁寧に描かれていました。

工事に協力するある漁民がコメントをしていました。
普天間のヘリ墜落(一昨年8月)のような事故がこれ以上あってはならない、だからどこかで(辺野古で)受け入れなくてはならないのだ、と。
普天間から辺野古へ、厚木から岩国へ、沖縄から本土へ…。
各地の住民対住民の構図。誰かが我慢しなくてはならない。
米軍のことで、日本の各地の住民がいちいち翻弄され、筋違いの対立軸がもたらされているのです。
そしてそんな地元の苦しみはどこ吹く風の、日本政府の姿もありありと描かれていました。

番組中に登場した嘉陽宗義さんというじいちゃんがいます。1997年1月に、辺野古に基地を作らせないと、地元のじいちゃんばあちゃんが結成した「いのちを守る会」の命名者でもあります。
私は去年末に辺野古を訪れた際、この「嘉陽のオジー」に話を聞くことができました。
番組内で嘉陽のじいちゃんが登場するたびに、言いようのないキュンとした気持ちにさせられます。

去年末、嘉陽のじいちゃんには本当にいろんな話を聞きました。

辺野古はもともと貧しい土地だった。そもそもなぜ辺野古にキャンプシュワブ(米軍の基地)を誘致したのか。
当時はみんな反対したのだが、結局はお金で買収されてしまった。そのときから、辺野古はお金さえわたせば何でも言うことを聞くと見られるようになってしまった。基地ができたために、「ゆいまある」(助け合い)という美しい心が散ってしまった…。
我々の土地を返してくれ、と主張している。基地を撤去したら、観光で必ず成功するよ。笑いが止まらん、という地域を作れたらいい。これからは平和産業だ。

じいちゃんは、辺野古の苦しい歴史を話してくれました。「こんなことを話すのは初めて」と言いながら。

そして、私の頭と顔をグリグリグリグリと撫でてくれました。
「本当はね、こんなことするのは失礼だと思う。でもかわいくて仕方ない。あなた方のような年の子を見ると、あなた方を守るには平和しかない、と思う」

27歳の私、83歳の嘉陽のじいちゃんに「いい子いい子」され、猛烈にうれしく思いました。


番組の感想に戻しますが、一つだけ気になったのは、辺野古の登場人物が限られていたことです。辺野古の陸の拠点・テント村村長の一人、大西さんや、海上で活躍した「平和丸」船長の具志堅さんなどが一切登場していません。二人とも平和委員会のメンバーですが、現地でははじめから運動に加わる中心人物です。でも番組HPに、「こういう番組をもっと!」との感想を送っておこうと思います。

写真は嘉陽のオジー。

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