あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

祖父の思い出

2015-03-14 01:06:29 | 日記

2月末に母方の祖父が亡くなった。
3年前の同じころに祖母が亡くなり、父方の祖父母はとうになく、私にとってのおじいちゃん・おばあちゃんは皆いなくなってしまった。

葬儀に参加するに当たり、大いに迷ったがうちの赤子も連れて行くことにした。このことについてはまた別途。
そして大いに迷ったが、通夜から火葬場まで全て参加した。結果的に、とてもよかった。

祖父は94歳だった。
7人きょうだいであること、渥美生まれであること、名古屋の呉服屋に奉公に出ていたことなど、知らないことだらけだった。映画やおしゃれを楽しんでいたが、「軍国主義の足音の中で」(と告別式で司会が表現していた)、それも叶わなくなってしまったようだ。

戦争で南方に送られた。このことは、よくバナナを焼いて食べたのだと聞いていた。
私は大学の課題を口実に聞き取りをしていたので、さらに少しだけ深く聞いたことがあった。でもほとんど忘れてしまったのが惜しい。ラバウルにも立ち寄ったと話していたのは覚えている。
戦争については、あまり多くを語り残していないようだ。
そう言えば祖父が近年施設に入り、お見舞いに行った際、戦争のことを少し聞いたことがある。バナナを焼いて食べたんだよねと聞いたら、そうだったと答えてくれた。それ以上を聞こうとしたら、忘れちゃったと話していた。すでに記憶が曖昧だったので、そのせいなのか何なのかはわからない。
まだ大学の課題は印字したものが残っているだろうか。久しぶりに読みたくなった。

告別式で、孫の思い出として姉がまとめたものが読み上げられた。
とろろ芋を作ったこと、ウズラを育て上げたこと…。
暮らしの一コマとして、あまりにすっと刷り込まれていることが、姉が文章にしてくれたことで大事な思い出に変わったような気がする。不思議なものだ。
とろろは自然薯が手に入ると、すり鉢にだしとともに入れてよく擦り合わせた。そうしたときは我々孫たちも手伝いに訪ね、一家で夕食をともにしたものだった。

母ももういない。でも母のきょうだいたち、私のおじおばたちが私たちを、かわいがってくれる。
さびしいけど、残された者同士の惹かれ合いも強くなってゆくのだ。

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