あいとポッポパーティー

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矢臼別演習場の真ん中

2011-12-03 20:44:31 | 日記
沖縄から帰り、東京で1日ぼーっとした後、北海道は別海町の陸上自衛隊矢臼別演習場へ行ってきました。仕事でしたが、それ以上の日程をとってのんびりしてしまった。
日本は狭いが、気候はまことに多彩ですな~。風邪をひくこともなく、沖縄を懐かしみながら厳寒を楽しみました。

行った先は、矢臼別演習場の真ん中にある民有地に住むお宅。かつて川瀬氾二さんが住んでいた土地です。

戦後、開拓民として岐阜からやってきた川瀬さんはじめ多くの農民がようやく切り拓いた土地を、自衛隊は買収し、日本一広い矢臼別演習場をつくりました。しかし川瀬さんは買収に応じず、結果として川瀬さんともう1軒のみが、演習場に囲まれて酪農を営みながら暮らすことに。

「ぐうたら」「時速4キロの歩み」などと自分を表現した川瀬さんは、「憲法の申し子」などと言われることもあります。なぜなら、一人の暮らしを守ることが憲法の目的であり、川瀬さんは憲法を盾にしてその暮らしを営んできたから。さらに、条文に従えば、自衛隊は憲法違反であるのは明らかで、そのことも一貫して発し続けていました。

川瀬さんは09年に亡くなりましたが、その後を継いで暮らす渡辺さんにお世話になりました。3泊も。
むろん取材はまじめに行いましたが、あとはご飯を食べて牛をいじって犬に吠えられて演習場内を散策しておしゃべりをして観光に連れて行っていただきました。私の滞在中は、幸いにも(?)演習はありませんでした。
 





ジンワリと刺激を受けた滞在でした。
自分で開拓した土地で、ただそのまま生活しただけのこと。でもそのためには、憲法を高らかに掲げないと実現できなかった。そうして数十年守り続けたことで、矢臼別が憲法または平和の砦ともなった。
暮らしを守る、土地を守ることが初めの出発なのだが、今となってはそれだけではない意味を持つようになった。ここを守るために、温泉を掘るなどいろんなアイデアもある。

普通に暮らすことと、それを守るためには時に奮起する必要があること。矢臼別という土地の魅力と、便利さや「人寄せ」とのちょっとした葛藤。やはり私は訪問者なのかなーとかとか。

染みいる方々とも会いました。その土地の魅力をつくるのも人なのだ。


川瀬氾二さんと矢臼別については以下。
「矢臼別の馬飼いと自衛隊」川瀬氾二著
「北の反戦地主川瀬氾二の生涯―矢臼別演習場のど真ん中で生ききった!」布施祐仁著 高文研

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