8月15日は靖国神社へ行ってきました。
ここ数年、靖国が注目されるようになったのは、小泉首相(当時)が参拝を公言してからでしょうか。静かにお参りしたい人もたくさんいらっしゃるとは思いますが、マスコミや物見遊山もたくさん来ています。私もそのクチか。
見たこと聞いたことを、ダラリと時系列に紹介します。
9時半過ぎ、待ち合わせていた友人の皆さんと合流。まずまずの人だかり。
能舞台前が騒がしい。10時から白鳩の放鳩式「日本の声―英霊に感謝する集い」が行われるためです。主催は靖国神社白鳩の会。“英霊に「ありがとう」の感謝の言葉を唱和し純白の鳩を大空に放つ”ことが目的のよう。
そこに鳩山邦夫が来ていました。(記者に促され)鳩にチューする鳩山氏…
10時半から、参道の特設テントで、「英霊にこたえる会」と「日本会議」の主催による「第23回戦没者追悼中央国民集会」が開催。全航空幕僚長の田母神俊雄氏もあいさつするとな。
開会前、テント横で「陸軍大尉」の姿をした男性。刀(もちろんレプリカ)を振りかざし、注目を集めていました。
「ご自分の軍服ですか?」と声をかけると、終戦時は小学6年で、軍隊経験はないとのこと。村山談話はシナの陰謀だ、日本は今にシナに支配される、日本は1945年8月15日の前に戻るべきだ、田母神閣下は憂いておられる…など、ドドドドドと言葉が続きました。
そして10時半。開会の辞、国歌斉唱、神社拝礼。
次がびっくりプログラムですが、「終戦の詔書」拝聴。つまり天皇のいわゆる玉音放送を、直立・最敬礼で聞くわけです。デジタルリマスター?かわかりませんが、クリアな音でした。しかし直立不動でがんばって聞いているのは、集会テントにいる人々くらい。神社から迷子のアナウンスがあったり、近くで軍歌を浪曲ふうに歌っていたり。
その後、田母神氏や金美鈴氏のスピーチ、「海ゆかば」斉唱などあったようですが、暑すぎて退散してしまいました。
境内の店で買ったお好み焼きを、麹町警察署のテントで食べる。
午後になると人がどっと増えてきました。
大灯篭には、軍服を着た人々が。老いも若きも。
その様子を眺めながら、「あれはいついつの軍服で、位は…」とブツブツ話していたおじいさんとちょっとおしゃべりしました。1932(昭和7)年生まれ。軍事教練で竹やり訓練をしたことや、徴兵から逃れることなど考えもしなかったこと、戦争に行くのが普通だと思っていたことなど、こちらが質問したわけではありませんが、いろいろ話してくれました。
大灯篭前で軍服を着ていた方は1924(大正13)年生まれ。曰く、南方戦線の部隊、中尉の服装だそうです。南方の軍服は薄手らしい。なるへそ。でもその方の終戦は習志野。軍服は自前ではなく、ただ銃ケースや小物入れは自前のものを腰に下げていました。銃ケースにはピストルが。レプリカと思うけど。
「他の日には着ないが、8月15日だけは軍服を着て靖国へ来るようにしている。それが死んだ者へのせめてもの供養だと思うから」
軍服を着た老若集団が、整列して拝殿へ向かいます。若者(といっても50、60代?)が銃の構え方を指導されるなどしていました。鉢巻を巻いた女学生姿の女性も。
拝殿前から神門までは、ずらーりの行列ができていました。まるで初詣の混雑もよう。老人などは、「ありゃーーー」と呆然とする姿もありました。
日陰で休んでいた82歳の男性。埼玉県・川越から。
終戦時は18歳、勤め先から軍需工場へ徴用されていました。自宅で玉音放送を聞いたときは「やっと終わった…負けた…何だか複雑な気持ちだった」といいます。靖国には特に毎年来ているわけではなく、高齢でもあるので元気なうちにと、ふと今朝思い立って出かけてきたとのこと。
「戦争に行った人に罪はない。遺族の中には合祀に反対の人もいるのでしょうが。戦争で亡くなった方を思う気持ちがあってもいいと思う。靖国が次なる戦争への備えとは考えにくい。戦争はもう起こさないでほしい。起きないと思うけど…」
「戦争はどんなことがあってもやっちゃいけない。かつては血気づいて戦争に突入したが、原爆や沖縄戦の前に、もう少し早く終わってほしかった。どうせ勝てっこないもの」
「軍服着て軍旗持ってラッパ吹いて…(境内にいる)あの人たちは右翼とは違うよ。僕たちが若いころは、あの風景が普通だった。特に懐かしいなあとは思わないけど、軍服姿は目に焼きついている」
東京大空襲の話、樺太に抑留された兄が共産主義に「洗脳」され、帰国後話が合わなかったことなども話してくれました。
靖国は、戦争の「感覚」を知ることのできる場所だなあと感じました。ここには、若者に戦争を伝えようという老人もたくさんいます。
川越から来た老人は、靖国が次なる戦争に備える装置とは思えないと言いましたが、戦争体験者にとっての靖国と、戦争を知らない新世代にとっての靖国には、大きな違いがあることを実感しました。
ここ数年、靖国が注目されるようになったのは、小泉首相(当時)が参拝を公言してからでしょうか。静かにお参りしたい人もたくさんいらっしゃるとは思いますが、マスコミや物見遊山もたくさん来ています。私もそのクチか。
見たこと聞いたことを、ダラリと時系列に紹介します。
9時半過ぎ、待ち合わせていた友人の皆さんと合流。まずまずの人だかり。
能舞台前が騒がしい。10時から白鳩の放鳩式「日本の声―英霊に感謝する集い」が行われるためです。主催は靖国神社白鳩の会。“英霊に「ありがとう」の感謝の言葉を唱和し純白の鳩を大空に放つ”ことが目的のよう。
そこに鳩山邦夫が来ていました。(記者に促され)鳩にチューする鳩山氏…
10時半から、参道の特設テントで、「英霊にこたえる会」と「日本会議」の主催による「第23回戦没者追悼中央国民集会」が開催。全航空幕僚長の田母神俊雄氏もあいさつするとな。
開会前、テント横で「陸軍大尉」の姿をした男性。刀(もちろんレプリカ)を振りかざし、注目を集めていました。
「ご自分の軍服ですか?」と声をかけると、終戦時は小学6年で、軍隊経験はないとのこと。村山談話はシナの陰謀だ、日本は今にシナに支配される、日本は1945年8月15日の前に戻るべきだ、田母神閣下は憂いておられる…など、ドドドドドと言葉が続きました。
そして10時半。開会の辞、国歌斉唱、神社拝礼。
次がびっくりプログラムですが、「終戦の詔書」拝聴。つまり天皇のいわゆる玉音放送を、直立・最敬礼で聞くわけです。デジタルリマスター?かわかりませんが、クリアな音でした。しかし直立不動でがんばって聞いているのは、集会テントにいる人々くらい。神社から迷子のアナウンスがあったり、近くで軍歌を浪曲ふうに歌っていたり。
その後、田母神氏や金美鈴氏のスピーチ、「海ゆかば」斉唱などあったようですが、暑すぎて退散してしまいました。
境内の店で買ったお好み焼きを、麹町警察署のテントで食べる。
午後になると人がどっと増えてきました。
大灯篭には、軍服を着た人々が。老いも若きも。
その様子を眺めながら、「あれはいついつの軍服で、位は…」とブツブツ話していたおじいさんとちょっとおしゃべりしました。1932(昭和7)年生まれ。軍事教練で竹やり訓練をしたことや、徴兵から逃れることなど考えもしなかったこと、戦争に行くのが普通だと思っていたことなど、こちらが質問したわけではありませんが、いろいろ話してくれました。
大灯篭前で軍服を着ていた方は1924(大正13)年生まれ。曰く、南方戦線の部隊、中尉の服装だそうです。南方の軍服は薄手らしい。なるへそ。でもその方の終戦は習志野。軍服は自前ではなく、ただ銃ケースや小物入れは自前のものを腰に下げていました。銃ケースにはピストルが。レプリカと思うけど。
「他の日には着ないが、8月15日だけは軍服を着て靖国へ来るようにしている。それが死んだ者へのせめてもの供養だと思うから」
軍服を着た老若集団が、整列して拝殿へ向かいます。若者(といっても50、60代?)が銃の構え方を指導されるなどしていました。鉢巻を巻いた女学生姿の女性も。
拝殿前から神門までは、ずらーりの行列ができていました。まるで初詣の混雑もよう。老人などは、「ありゃーーー」と呆然とする姿もありました。
日陰で休んでいた82歳の男性。埼玉県・川越から。
終戦時は18歳、勤め先から軍需工場へ徴用されていました。自宅で玉音放送を聞いたときは「やっと終わった…負けた…何だか複雑な気持ちだった」といいます。靖国には特に毎年来ているわけではなく、高齢でもあるので元気なうちにと、ふと今朝思い立って出かけてきたとのこと。
「戦争に行った人に罪はない。遺族の中には合祀に反対の人もいるのでしょうが。戦争で亡くなった方を思う気持ちがあってもいいと思う。靖国が次なる戦争への備えとは考えにくい。戦争はもう起こさないでほしい。起きないと思うけど…」
「戦争はどんなことがあってもやっちゃいけない。かつては血気づいて戦争に突入したが、原爆や沖縄戦の前に、もう少し早く終わってほしかった。どうせ勝てっこないもの」
「軍服着て軍旗持ってラッパ吹いて…(境内にいる)あの人たちは右翼とは違うよ。僕たちが若いころは、あの風景が普通だった。特に懐かしいなあとは思わないけど、軍服姿は目に焼きついている」
東京大空襲の話、樺太に抑留された兄が共産主義に「洗脳」され、帰国後話が合わなかったことなども話してくれました。
靖国は、戦争の「感覚」を知ることのできる場所だなあと感じました。ここには、若者に戦争を伝えようという老人もたくさんいます。
川越から来た老人は、靖国が次なる戦争に備える装置とは思えないと言いましたが、戦争体験者にとっての靖国と、戦争を知らない新世代にとっての靖国には、大きな違いがあることを実感しました。
そおか。誹謗中傷だったんですね。しかし煽動の様子を見るのも大事。
録音お越しが楽しみですが、扇風機にやられたとは…
視点を変えると感想も大きく変わってくるものですね。
思えば私、あのテントで靖国賛同者のオピニオンリーダーたちの話を聞くことに固執した事が選択ミスだったと思います。(録音の肝心な所が扇風機の音で遮られてるし)
聞くに堪えない誹謗中傷のオンパレードにグッタリです。
靖国で「戦争」の感覚よりも「扇動」の感覚を知ってしまった1日でした。
たくさんの人とお話をする貴重な機会を逃してしまったように思います。