松尾一郎氏の動画を通じて「南京事件」を考える(その1) (美津島明)
今回から、松尾一郎氏のyoutube動画「南京大虐殺 研究について」を一回分ずつ掲載していこうと思います。一回分は、10分程度です。
(松尾一郎氏のサイト「南京大虐殺は、ウソだ!」http://history.gr.jp/~nanking/)
南京事件に関して、日本の論壇は、「虐殺派」と「まぼろし派」と「中間派」に分かれています。そうして、「虐殺派」と他の二派(そのうちとくに「まぼろし派」)とは、水と油のような関係にあります。というか、犬猿の仲。
そのなかで、松尾一郎氏は、「まぼろし派」に属する論客であると思われます。つまり、〈南京「大虐殺」などというものなどはなくて、通常の戦争である南京攻略戦だけがあった〉と考える立場ですね。そういう氏の動画をシリーズで掲載しようと思ったのは、「まぼろし派」の言説を流布しようと思ったからではありません。彼が南京問題と真摯に向き合おうとしている姿勢に心を動かされたからです。
南京事件に関して、私自身がどう考えてきたのかを手短に話しておきましょう。
私が南京事件と自分なりに真剣に取り組んだのは、三五歳のころのことでした。いまから二〇年あまり前のことです。そのときに取り組んだテキストは、本多勝一氏の『中国の旅』と『南京への道』と『天皇の軍隊』でした。大学時代、生協に置いてあるのが目に焼き付いていたんでしょうね。また、洞富雄氏の著作も読んだような気がします。つまり当時の私は、「虐殺派」の本丸を読み込んだ。のみならず、相当に深い影響を受けてしまったのです。
『戦争論』をはじめとする小林よしのり氏の一連の仕事は、私にとって、そんなトラウマ状態を脱却するのに、大いに役立ちました。氏のいまの仕事はあまり評価できませんが、当時の活躍ぶりは目覚ましいものがありました。小林氏の諸著作を読み進めるうちに、本多勝一氏の、中国人に対するインタヴューが、すべて、中共独裁政権のお膳立てのもとになされたものであることへの疑念がふくらんできたのです。
仕事として依頼されるのでもないかぎり、今後私が、本多勝一氏の一連の中国物を読み返すことはないような気がします。ささやかな体験を通じて、「虐殺派」に首をつっこむことで読み手になにがもたらされるのか、よく分かっているからです。まあ、要するにろくなものではありません。カルト宗教にひっかかるようなものなので、これから南京事件を考えたいと思っていらっしゃる若い方たちは、「虐殺派」の著書は、とりあえず避けた方がよいでしょう。「まぼろし派」と「中間派」の諸著作で免疫を作っておいてから触れたほうがよろしいのではないでしょうか。
では、何から読めばいいのか。僭越ながら、当動画紹介シリーズに目を通していただければ、少なくともひどい目にあうことなく、何を読めばいいのかが分かり、南京事件についてバランスのとれた形で自分なりの考えを進めることができるようになる。そう心がけております。
さて、当動画の内容に触れておきましょう。
松尾氏によれば、南京事件研究は、大きく三種類に分かれます。
ひとつめは、「実証派」です。これは、南京事件を、一九三七年七月七日の盧溝橋事件からはじまる一連の戦闘状況の流れのなかでとらえようとする立場です。この立場からの主な著作は、偕行社の『南京戦史』と田中正明氏の『南京事件の総括』です。氏によれば、とくに田中氏の『~総括』は必読、との由です。当著は、小学館文庫になっています。とりあえず買ってありますが、まだ読んでいないので、いまのところ何ともいえません。
ふたつめは、「証言派」です。これは、南京攻略戦に従軍した人々の聞き取りから、南京事件の真相にアプローチしようとする立場です。その代表格は阿羅健一氏で、私たちはその成果を小学館文庫の『「南京事件」日本人48人の証言』で目にすることができます。松尾氏が、「この本を持っていなければ話にならない」と言っていますが、その通りであると思います。
みっつめは、「プロパガンダ派」あるいは「宣伝派」です。これはなにも「南京大虐殺などなかった」という自分たちの主張を広く宣伝しようとする人々、という意味ではありません。南京事件を、中国・国民党や中共の宣伝あるいはプロパガンダとしてとらえることによって、その真相に迫っていこうとする立場のことを意味しています。その代表は、鈴木明氏の『新・南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)と北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文春新書)です。鈴木氏の『~まぼろし』はまだ持っていませんが、北村氏の『~探求』は、確かに必読です。彼らの仕事の成果を踏まえて、松尾氏は、『プロパガンダ戦「南京事件」』(光人社)に「国民政府宣伝組織図」を掲げました。下の図がそれです。図をクリックしていただければ、拡大されて見やすくなります。
では、「南京大虐殺 研究について」第一回をごらんください。
南京大虐殺 研究について(その1) 松尾一郎 (第1回)
今回から、松尾一郎氏のyoutube動画「南京大虐殺 研究について」を一回分ずつ掲載していこうと思います。一回分は、10分程度です。
(松尾一郎氏のサイト「南京大虐殺は、ウソだ!」http://history.gr.jp/~nanking/)
南京事件に関して、日本の論壇は、「虐殺派」と「まぼろし派」と「中間派」に分かれています。そうして、「虐殺派」と他の二派(そのうちとくに「まぼろし派」)とは、水と油のような関係にあります。というか、犬猿の仲。
そのなかで、松尾一郎氏は、「まぼろし派」に属する論客であると思われます。つまり、〈南京「大虐殺」などというものなどはなくて、通常の戦争である南京攻略戦だけがあった〉と考える立場ですね。そういう氏の動画をシリーズで掲載しようと思ったのは、「まぼろし派」の言説を流布しようと思ったからではありません。彼が南京問題と真摯に向き合おうとしている姿勢に心を動かされたからです。
南京事件に関して、私自身がどう考えてきたのかを手短に話しておきましょう。
私が南京事件と自分なりに真剣に取り組んだのは、三五歳のころのことでした。いまから二〇年あまり前のことです。そのときに取り組んだテキストは、本多勝一氏の『中国の旅』と『南京への道』と『天皇の軍隊』でした。大学時代、生協に置いてあるのが目に焼き付いていたんでしょうね。また、洞富雄氏の著作も読んだような気がします。つまり当時の私は、「虐殺派」の本丸を読み込んだ。のみならず、相当に深い影響を受けてしまったのです。
『戦争論』をはじめとする小林よしのり氏の一連の仕事は、私にとって、そんなトラウマ状態を脱却するのに、大いに役立ちました。氏のいまの仕事はあまり評価できませんが、当時の活躍ぶりは目覚ましいものがありました。小林氏の諸著作を読み進めるうちに、本多勝一氏の、中国人に対するインタヴューが、すべて、中共独裁政権のお膳立てのもとになされたものであることへの疑念がふくらんできたのです。
仕事として依頼されるのでもないかぎり、今後私が、本多勝一氏の一連の中国物を読み返すことはないような気がします。ささやかな体験を通じて、「虐殺派」に首をつっこむことで読み手になにがもたらされるのか、よく分かっているからです。まあ、要するにろくなものではありません。カルト宗教にひっかかるようなものなので、これから南京事件を考えたいと思っていらっしゃる若い方たちは、「虐殺派」の著書は、とりあえず避けた方がよいでしょう。「まぼろし派」と「中間派」の諸著作で免疫を作っておいてから触れたほうがよろしいのではないでしょうか。
では、何から読めばいいのか。僭越ながら、当動画紹介シリーズに目を通していただければ、少なくともひどい目にあうことなく、何を読めばいいのかが分かり、南京事件についてバランスのとれた形で自分なりの考えを進めることができるようになる。そう心がけております。
さて、当動画の内容に触れておきましょう。
松尾氏によれば、南京事件研究は、大きく三種類に分かれます。
ひとつめは、「実証派」です。これは、南京事件を、一九三七年七月七日の盧溝橋事件からはじまる一連の戦闘状況の流れのなかでとらえようとする立場です。この立場からの主な著作は、偕行社の『南京戦史』と田中正明氏の『南京事件の総括』です。氏によれば、とくに田中氏の『~総括』は必読、との由です。当著は、小学館文庫になっています。とりあえず買ってありますが、まだ読んでいないので、いまのところ何ともいえません。
ふたつめは、「証言派」です。これは、南京攻略戦に従軍した人々の聞き取りから、南京事件の真相にアプローチしようとする立場です。その代表格は阿羅健一氏で、私たちはその成果を小学館文庫の『「南京事件」日本人48人の証言』で目にすることができます。松尾氏が、「この本を持っていなければ話にならない」と言っていますが、その通りであると思います。
みっつめは、「プロパガンダ派」あるいは「宣伝派」です。これはなにも「南京大虐殺などなかった」という自分たちの主張を広く宣伝しようとする人々、という意味ではありません。南京事件を、中国・国民党や中共の宣伝あるいはプロパガンダとしてとらえることによって、その真相に迫っていこうとする立場のことを意味しています。その代表は、鈴木明氏の『新・南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)と北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文春新書)です。鈴木氏の『~まぼろし』はまだ持っていませんが、北村氏の『~探求』は、確かに必読です。彼らの仕事の成果を踏まえて、松尾氏は、『プロパガンダ戦「南京事件」』(光人社)に「国民政府宣伝組織図」を掲げました。下の図がそれです。図をクリックしていただければ、拡大されて見やすくなります。
では、「南京大虐殺 研究について」第一回をごらんください。
南京大虐殺 研究について(その1) 松尾一郎 (第1回)
実はyoutubeのギターの動画をたどっていたらここのHPに行きついたのですが、今後少しお付き合いさせていただければ幸いです。
コメントをどうもありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
タイトルにあるとおり、松尾氏の動画を通じて「南京事件」を考える、というのが、当シリーズの趣旨なのですが、松尾氏がいわゆる「まぼろし派」の論者であることから、「虐殺派」信者からの、「いきなり上から目線」の激コメントが来るのではなかろうかといささか身構えるところがあったので、kkさんの穏やかなコメントをいただいて、正直ほっとしています。
〈ようやくこの時代になって「歴史の修正」にアレルギーが少ない人たちが自由に表現できる時がきたのか〉との思い、本多氏の諸著作のいわば「地獄めぐり」をしてきた者としては、大いに共有できるものです。
「藤岡さんや東中野さんとうまく行っていないようなこと」とは、彼らの周辺者である茂木弘道氏や福永信一郎こと溝口郁夫氏への松尾氏の痛烈な批判に端を発するものなのでしょうか。そこに深入りはしたくないので、それがメインの内容になる第2回はスルーしようかと思ってはおりました。が、基本的には、「おなじ『まぼろし派』なのだから少々のことには目をつぶろう』という政治的配慮を排し、いい加減な研究姿勢を徹底批判しようとする、松尾氏の、良い意味での生真面目さの現れと感じられて、好感を持っています。
それはそれとして、kkさんのコメントには大いに励まされました。当シリーズ、なんとか最後までたどり着こうと思っておりますので、よろしかったら気長にお付き合いください。
学術的に暴くことが、
如何に大事かと思い知らされました。
松尾氏の考察や研究の成果が、
書籍のみならずネットの動画で見られることは
この上なく有難いことです。
関連してこの3時間の長尺動画も観て
大変勉強になりました。
私たちの先人の軍は軍紀規律厳しく
正道勇敢に戦われたのでした。/(・・)
https://youtu.be/1UrY5_YLcSw
おっしゃるとおり、南京攻略戦に従軍した方々は、皇軍意識があったので、つまり、自分たちを国家の威厳を体現する存在であるという自覚を強く持っていたので、軍紀規律はとても厳しかったのですね。彼らを、人でなしのように言い募ってきた「虐殺派」の人々こそが、人でなしなのです。彼らは、「虐殺はなかった」と証言する先人の言葉を「口裏を合わせた」としか思っていないのです。とんでもないことです。
ご紹介いただいた動画は、導入部分だけ、とりあえず拝見しました。とても貴重な作品のようですね。あとでゆっくりと拝見いたします。
「 南京文書は、RSCで「登録可」の評価を受け、上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告された。昨年10月のIACでは日本側の働きかけもあって、南京文書の登録に否定的な意見も出たが、最終的に多数決で登録が決まった経緯がある。関係者によると、IAC委員の多くは目録さえ見ていない可能性があるという。」
なんと、選定に携わった委員が、どのような文物が遺産として登録されるのか見てもいない可能性があるというのです。
これが現実です。慰安婦問題にしても、南京問題にしてもなにがあったかなど世界の人はどうでも良いと思っているのです。ひたすら日本人を貶めることを目的として組織が回っているのです。これが人種差別でなくてなんだというのでしょうか。ユダヤ人に代わって、世界の憎悪を引き受けるのが次世代の日本人ではないとだれが言えるでしょうか。