美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その11)

2019年07月03日 23時35分38秒 | 経済

世にはびこる「財政=家計」という俗説・俗信

*今日、たまたま参議院選にちなんでの、新聞記者たちが見守るなかでの、党首討論会が開かれているのを目にしたのですが、番組の終わり当たりで、若い女性記者が、安倍首相に向かって金切り声で「次世代にツケを残したままで良いというのですかぁ!」というふうな詰め寄り方をしていました。当人としてはとても良いことを言っているつもりなのでしょうが、救いようのない愚論であることは、当ブログをごらんの方には自明でしょう。世の中のおそらく99%は、こうした愚論に振り回されているのでしょう。それが現実であることを押さえながら、腹をくくって訳し続けることにします。

「財政=家計」論者たちが見逃しているのは、自分自身が発行する通貨を支出することとほかの誰かが発行する通貨を支出することとはおのずから異なる、という一点です。この、財政と家計を同一視するアナロジーを適切に使うために、私たちは、家計によって発行される“通貨”の例を見てみましょう。

クーポンを発行するある両親の物語です。それを受け取った子どもたちは家のこまごまとした仕事をすることになっています。それに加えて“モデルをうまく動かすために”、両親は、子どもたちに一週当たり10クーポンの税金を支払うのを求めることにしましょう。そうすれば、子どもたちは罰を免れるのです。これは、実際の経済活動における課税にとてもよく似ています。クーポンはいまや新しい家計通貨となりました。子どもたちから家事というサービスを購入するためにクーポンを“支出する”両親のことをよく考えてみてください。この新しい家計通貨によって、両親は、連邦政府と同様に、いまや彼自身の通貨の発行者となったのです。自分自身の通貨の発行権を持った家計が、実際のところ、自国通貨の発行権を持った政府ととてもよく似ていることがよく分かりますね。

さあ、この新しい家計通貨がどのように働くのかについていくつか疑問を差しはさんでみることにしましょう。その両親は、子どもたちに家事をさせるためにクーポンを支払う前に、子どもたちからなんとかしてクーポンを得なければならないでしょうか。もちろん、そんな必要はありません!実際、両親は、子どもたちが家事をするよう、そうして、子どもたちから週当たり10クーポンの支払いを集めるために、まずは、子どもたちに支払うことによって支出しなければなりません。子どもたちは、両親に帰すべきクーポンをほかからいったいどうやって手に入れることができるでしょうか。できませんね。

現実経済において、連邦政府は、自分自身のクーポンの発行権を持ったこの家計と同様に、支出するドルを課税か借り入れによって得るには及びません。また、支出できるようにするためにほかのどこかからドルを得るにも及びません。その両親は、彼ら自身のクーポンを印刷しますが、連邦政府は、現代の科学技術によって、支出するドルを印刷する必要がありません。

思い出してください。連邦政府それ自体は、ドルを持っているわけではないし、持っていないわけでもありませんでしたね。それは、ボーリング場が得点をため込む箱を持っていないのと同様のことがらです。ドルに関していえば、わが連邦政府は、得点記録係のようなものです。では、あの両親は、親子クーポンのたとえ話のなかでどれくらいのクーポンを持っているのでしょうか。それは大した問題ではありません。両親は、子どもたちがどれくらいのクーポンを両親に返さなければいけないのか、また、毎月どれくらい稼ぎどれくらい支払っているのかを一枚の紙に記録するだけなのです。連邦政府が支出するとき、その財源はほかのどこかから“もたらされる”わけではありません。それは、アメフトのスタジアムやボーリング場で得点がほかのどこかから“もたらされる”わけではないのと同じです。どうにかして税金を集めたり、借り入れたりすることが、財政支出に役立つ“財源の貯蔵分”を増やすわけではありません。

実際、(市中銀行の口座の数字を増やすことによって)財政支出をしている合衆国財務省の職員は、(市中銀行の口座の数字を減らすことによって)税金を集めている内国歳入庁の職員や、あるいは、(財務証券を発行することによって)“借り入れ”をしている職員の電話番号を把握しているわけではないし、接触があるわけでもありません。もしも、財政支出ができるようにするためには、どれくらい課税し借り入れをするかが重要なのだとしたら、それぞれの所属の職員たちは、少なくともお互いの電話番号くらいは知っているはずですよね。明らかに、彼らのそれぞれの目的の実現のために、そのことは重要ではないのです!

(連邦政府ではなくて)われわれ民間部門の見地に立てば、私たちは、支払いをすることができるようになるために、まずはドルを持つことが必要です。それは、子どもたちが週ごとの支払いをできるようになるために、両親からクーポンをもらわなければならないのと同じです。そうして、州政府や諸都市や民間企業は、みな同じ船に乗っています。それらはみな、支出する前にどうにかしてドルを得ることができるようにならなければなりません。それは、支出することができるようになるのに必要なドルを稼ぐか、借りるか、何かを売るかしなければならないことを意味します。実際、論理のポイントとして、私たちが税金を払うのに必要なドルは、直接的に、もしくは、間接的に、通貨の発端から、政府の支出から(もしくは――後で議論しますが――政府の貸し出しから)もたらされるのです。

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