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美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「えもいわれない」の「え」とは何か

2014年09月19日 00時05分29秒 | 日記
中学二年生に、国語を教えていたときのことです。テキストに、゛「えもいわれない」という言葉の意味を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。゛という問題がありました。正解はもちろん「言葉で言い表せない」ですが、生徒にその説明をしながらも、脳裏に「『えもいわれない』の『え』って、どういう意味なのかしら」という疑問が小さな積乱雲のように湧いてきてしまいました。無用の混乱が生じると面倒なので、生徒にはその疑問を投げかけてみたりはしませんでしたが(投げかけてみても、私自身分かりませんでしたしね)、気になってしかたがないので、授業後、調べてみました。

「広辞苑」によれば、「えもいわれぬ:何とも言い表せない(ほど、よい)」とありました。が、「えもいわれない」という言葉は載っていませんでした。ここから分かるのは、「えもいわれない」という言い方は、行き過ぎた口語化であって、「えもいわれぬ」で踏みとどまるべきではないか、ということです。みなさんも、「えもいわれない」という言い方にはいささか違和感を抱かれるのではないでしょうか。座りが悪いと申しましょうか。

では、「えも」には、どういう意味合いがあるのでしょうか。同じく『広辞苑』には、「えも:副詞エ(得)に係助詞モのついた語。①よくも、よくぞ。②(下に打消の語を伴って)どうにも~できない」とありました。この場合は②の意味であるとしておけば、受験的には申し分ないのでしょう。しかし、どうもすっきりしません。私のこだわりは、「え」それ自体の意味が分からないということであるからです。

インターネットで調べてみると、同じような疑問を持つ人がいるようで、それに対するベストアンサーは、次のようなものです。

「え」は動詞「得(う)」の連用形が副詞化したものです。上代においては可能「よく(…できる)」の意味で使われていましたが、中古(平安時代)以降、否定表現とともに用いられるようになりました。古典文法では「陳述(叙述・呼応)の副詞」などと呼び、下に打消の語を伴って「…できない」の意味を表します。「も」は係助詞で強意を表します。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1084691.html

この言い方は、『広辞苑』の「副詞エ(得)に係助詞モのついた語」の部分を詳しく説明したものとして評価できますが、根のところで、私のこだわりを氷解してくれるものではありません。頭の良い先生に丸め込まれたような感触をどうにも払拭できないのですね。

それで、インターネットでさらにあれこれ調べてみたところ、次のような説を見かけました。

この「え」は上代語で感嘆詩 (「詩」は「詞」の誤りでしょう――引用者注)にあたり、「ああ」の意味で使われています。そこから「ああ、とも言えない」→「感嘆の言葉が、出ない」→「何とも言えない」と転じたものです。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4271901.html

そうして、丁寧に゛「え、くるしゑ」(ああ、苦しいことだ:「天智記」)゛という用例まで添えられています。これは、なぜ頭に「え」が来るのか、という、私のこだわりの根にあった素朴な疑問に答えてくれる説明の仕方です。

私に、この説の妥当性を検証する力などもとよりありませんから、とりあえず、これで満足します。

ところで、生前の開高健は、角田光代女史に対して、「『得も言われぬ味』と、物書きなら絶対に書くな」という厳しい言葉を投げかけたそうです。http://present-inc.jugem.jp/?eid=1403 その論法を貫き通すならば「筆舌に尽くしがたい」や「いわく言い難い」というのもダメということになりそうです。そこまで言われると、『源氏物語』に「えも言ひやらず~」とあるのもダメなんですね、とちょっとくらい皮肉を言いたくもなってきます。しかし、開高健が言っていることには抗し難い一面があります。「言葉にし難いことをなんとか言葉にするのが物書きの物書きたるゆえんではないか」というわけですからね。文章表現に対していやしくもこだわりを持とうとする者なら、彼の主張にはどうやら謙虚に耳を傾けるほかないようです。

こういう発言の呪縛は、割と強くて、名前は忘れてしまったのですが、誰かが「アイデンティティ」という言葉を使うのはなるべく避けるべきだという意味のことを主張していて、私は、それに説得されてしまった、という経験があります。「アイデンティティ」には、自己同一性などという訳語が当てられていますが、要するに、「私(たち)が私(たち)であることの基底的な理由・究極的な根拠」という意味の言葉なのでしょう。それくらいに、突き詰めた意味の言葉であるにもかかわらず、というより、そうであるがゆえに、これを多用するうちに、だんだんそれが薄められていく不可避性がこの言葉にはある。だから、なるべく使うべきではない、という主張に私は説得されてしまったのです。また、この言葉を使うと、なかなか結構なことを言った気分になるのも気に入りません。それ以来、私はこの言葉を使ったことがありませんし、それをひょいと使いたがる手合いを、(申し訳ありませんが)実はいささか軽蔑していたりします。なんとなく、世間を敵に回すような発言をしてしまったような気もしますが、削除せずに残しておこうと思います。

これでまたひとつ、使うのをためらうことばが増えてしまったようです。
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漢検準1級の申し込みをしました

2014年07月03日 03時31分59秒 | 日記
今回は、まったくのミーハーネタです。そういうのはちょっと、と思われる方は、遠慮なくパスしてください。

私は今日、インターネットで次回の漢検準1級受検の申込をしました。その勢いのまま、近くの本屋に、関連の問題集を二冊買いに行ってきました。私としては、けっこう張り切っているつもりなのです。

どうした風の吹き回しなのか、ですって?実は最近、同年代の友人から、女優の宮崎美子さんが漢検の1級を持っていると教えられて、俄然、奮起したのです。ちょっと前から、どうしようかな、ちょっと面倒だな、といささか迷うところがあったのですが、その話を小耳に挟んだとたんに、そんなもやもやが吹き飛んでしまったのですね。

私は、宮崎美子さんにいまだに強く惹かれています。過去の残像に囚われていることは自覚しています。例のミノルタX7(エックス・セブン)の「ジーパン脱ぎ」CM(と言っても、通じない方が多いのかもしれませんが)を二十歳かそこらで目の当たりにして以来、彼女は、私のなかで別格の存在になってしまったのです。彼女がそのCMで見せた初々しくてキラキラとした恥じらいに満ちているのにとても大胆でもあるビキニ姿は、私が過ごすことを余儀なくされた暗い青春の日々に刹那の鮮烈な光を放った永遠の像として、脳裏に深く刻み込まれてしまったのでした。この感じ、同じく暗い青春の日々を過ごした同年代の方々には、分かっていただけるのかもしれません。むろん、若い人たちの目に、いまの彼女がちょっと綺麗なただのおばさんとしか映らないだろうことは十分に承知しているつもりです。

そういう彼女が漢検1級を持っている、という事実は、私のミーハー魂をはなはだしく刺激しました。「あの宮崎美子さんが、漢検1級を持っているのか。だったら、オレも」と単純に思ってしまったのです。憧れる対象への自己同一化願望に起因する虚しい倒錯心理と自己分析してはいますが、それがどうした、なのです。

「それは分かったけど、だったらはじめから一級を目指せばいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、そうは問屋が卸しません。というのは、私の現在の学力でいきなり1級を目指すのは背伸びしすぎと思われるからです。試験まで半年もありませんし(試験日十月二六日)。まずは準1級を目指して、着実にそれをゲットし、次にその上を目指そうと思うのですね。準1級でも、かなり高度なレベルなのですよ。直近の過去問からいくつか紹介しますので、よろしかったら、チャレンジしてみてください。

まずは、読みから。

1.皆から英彦(    )として尊敬されている。
2.文物斌斌(    )たり。
3.洲渚(    )が遠く陰映している。
4.古の経典に従って手法を(    )える。
5.葵花(    )が太陽に向かって傾いている。

次に、書き。

1.ごレンサツ(    )のほどお願い致します。
2.ニラ(    )の臭気。
3.ショウユ(    )と砂糖で味を付ける。
4.野ビル(    )は、春の代表的な食用野草だ。
5.セッケン(    )とシャンプーを使う。

これくらいにしておきます。むろん、現状ではお手上げの漢字ばかりです。みなさんはいかがでしょうか。なかなか手ごわいでしょう?特に、書きの方は、「読めるんだけどなぁ」と悔しい思いをしますね。これをスラスラと解けた方は、ためらうことなく1級を目指されたほうがいいでしょう。

解答
読み 1.えいげん 2.ひんぴん 3.しゅうしょ 4.かんが 5.きか
書き 1.憐察 2.韮 3.醤油 4.蒜 5.石鹸

というわけで、動機はきわめて軽薄ですが、やることそれ自体は、どう考えても悪いことではなさそうなので、ちょっと頑張ってみることにします。

You tube で、宮崎美子さんの例のCMが見つかったので、掲げておきます、はい。


宮崎美子 MINOLTA X-7(1980年 ジーパン脱ぎ脱ぎ)
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ちょっとひとこと、お断りを 

2013年11月09日 08時30分03秒 | 日記
ちょっと一言、お断りをしておきます。

当ブログのタイトルは、〈美津島明編集『直言の宴』〉です。つまり、複数の執筆者が想定されたものです。

いま私は、過去ログを時系列順に、「イザ!ブログ」から転載していますが、奇特にも、それをお読みいただいている方がいらしゃったら、次のような疑問を抱かれてもおかしくはありません。すなわち、「ずっと読んでいるが、美津島明ひとりの投稿しかないではないか。それでは、タイトルに偽りありということになりはしないか」と。

その疑問にお答えしておきます。当初は、「イザ!ブログ」で「美津島明の、オレにも言わせろ!」といういささか下品なタイトルのもと、ひとりで投稿していたのです。ところが、途中から、ひとりまたひとりと執筆者が参加することになったのです。それで、タイトルをその実態に合わせたもの、すなわち上記に変更した次第です。

そういうわけですから、過去ログ転載の途中から、ほかの執筆者の名前が登場します。その旨、ご理解を賜りますようお願いいたします。
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マスコミと財務省の亡国ゲーム 民主主義のたそがれ (2012・3・30 掲載分より)

2013年11月08日 13時59分18秒 | 日記
まずは、高校生のときに教わった政治経済を思い出していただきたいと思います。生徒になった気分でおつきあいください。

第一問。基本的人権を全てあげよ。

そうですね。自由権、平等権、請求権、参政権、社会権の五つですね。これがパッパッと出てくる人はたいしたものです。

では、第二問。自由権を3つに分類せよ。

はい。精神的自由と人身の自由と経済的自由ですね。ここまでは、実は中学校三年生の公民で教わるレベルなのです。次の質問からが、実質的に高校生レベルです。

第3問。その3つの自由の中で、民主主義を支える優越的権利を選び、またその理由もあわせて答えよ。

もちろん、精神の自由です。個人の政治的思想と言論の自由交換が保証されてこそ民主主義が成り立つからですね。国家権力からの干渉・制限を排除する権利としての自由権の本質からまっすぐに導き出せる結論でもあります。

精神の自由は、内心の自由としての「思想・良心の自由」と、それを外面化する「信教の自由」、「表現の自由」、それと「学問の自由」の4つからなります。

さて、次が最後の質問です。

第4問。「表現の自由」を実質化するための制度的保障について答えよ。

答え。それは、「検閲の禁止」と「通信の秘密の不可侵」です。これは、ちょっと難しいかもしれません。でも、これも高校生レベルなんですよ。検閲というのは、ご存知のように、信書・出版物・新聞・映画などの内容を国家権力が強制的に検査することです。

「なにをそんな当たり前のことに付き合わせるんだ、オレは忙しいんだぞ」とお叱りを受けそうです。

新聞・テレビ・出版の当事者すなわちマスコミが、国家権力からの干渉・制限を排除して表現の自由を守る牙城となることが、民主主義の成立のための根幹を成していることを確認したかったのです。「世の中、教科書通りにはいかないんだよ」という言い方がありますけれど、マスコミが、そういう卑俗な考え方に慣れ切ってしまって、国家権力の干渉・制限をやすやすと受け入れることが、民主主義にとっていかに破壊的に作用するか容易に想像できるでしょう。

ましてや、マスコミがそろいもそろって、国家権力から干渉されるまでもなく、唯々諾々と自分からすすんで国家権力のお先棒担ぎをし、金銭的な見返りを期待するなんていう恥知らずな振る舞いをしているとはふつう信じられないでしょう。

ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、今回と次回は、そういう信じられないことが現に起こっている、というお話をしたいと思います。

前回の投稿で引用した、元財務官僚の高橋洋一氏のコメントをもう一度引用しましょう。

増税は税率を上げることだけれど、税収増にならないのは歴史を見れば明らか。それではなにが動機かといえば利権ですよ。増税すれば、財務財の権限が増えますから。増税すると軽減税率の陳情が来る。官僚は個別に例外措置に対応するので、そこで利権が生まれるわけです。それが天下り先確保にもつながりますからね。それこそが財務省の狙いなのですよ。(日経ビジネスオンライン 3月21日)

財務省が狙っているという、消費税増税によって生まれる軽減税率がらみの「利権」とは、具体的にはいったいなんなのでしょうか。また、マスコミは本当に財務省の狙いに乗っかる動きをしているのでしょうか。

まずは、マスコミの動きをうかがわせる生々しい情報が手に入ったので、それをお伝えします。民主党の宮崎岳志衆議院議員が3月15日に次のようにツイートしています。彼は、消費税増税をなんとしても阻止しようとしている若手の理論派の中心人物の一人です。

超党派の活字文化議連に朝日新聞社の秋山社長、日経新聞の喜多社長ら、新聞・出版業界の皆さんが参加され「新聞・書籍は消費税ゼロか軽減税率が世界の常識。文化と民主主義を守るため、新聞・出版は引き上げを適用しないか、ゼロに下げてほしい」と要望しました。

これ、みなさんどう思われますか。このマスコミの「要望」の言葉は、私には恥知らずのタワゴトか寝言にしか聞こえません。

彼ら大手マスコミは総がかりで、連日〈財政再建待ったなし、消費税増税やむなし〉の大合唱を繰り広げていますね。その一方で、国会議員に対して、新聞は文化だから、新聞を守ること=民主主義を守ることだからと鉄面皮の屁理屈をこねて、自分たちだけには消費税増税のとばっちりが来ないように懇願しているわけです。

これは、ご主人さまの言いつけを良く守ったのだから、ほかの馬鹿どもに対する冷遇とは格別の扱いをお願いしたいとへいつくばって懇願するドレイの物言いにほかなりません。

ご主人さまの言いつけとは、なにがなんでも、横車を押してでも、一般国民がどうなろうとも、消費税増税に賛成しつづけろという命令です。むろん、圧倒的な権力を持つ財務省が、露骨な命令などという野暮な伝達形式をとるはずがありませんね。ちょっとしたほのめかしとか、従僕であるマスコミ側の、ご主人様の「ご意向」の忖度(そんたく)とかいった形をとります。しかし、ご主人様とドレイとの間でそれは絶対的な命令を実質上意味します。

マスコミの消費税増税議論が論理的に破綻したどうしようもない代物であることは、私のつたない論によってさえもほぼ明らかになったと私は思っています。素人にもたわいなく論破されてしまうような、そんな恥ずかしい議論を性懲りもなく続けているからには、正論を通そうという言論機関としてのまともな意思とはべつのものを想定するのが妥当でしょう。それは、上に記した通りのものである、というのが私の考えです。

(端的に言えば、デフレ不況からの脱却が、ほかのすべての課題に優先する、という命題を真と認めることによって、政府・マスコミの消費税増税不可避論の論拠は消えてなくなります。デフレ不況からの脱却は絶対に不可能である、という証明がなされたときにのみ、政府・マスコミの議論がはじめて正しいものになるのですね。しかし、その証明の達成が意味するところは、日本国家の縮小・衰退あるいは消滅が必然的であるということです。その意味でも、政府・マスコミは馬鹿な議論を繰り広げているといえましょう。)

しかし、これだけでは、「お前の決めつけだ」とお叱りを受けるかもしれません。財務省の利権をめぐる狙いについて触れていないからですね。その議論の展開は、次回に譲ります。
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