読者のSさんの好意に依り関口存男さんが戦後、NHKのラジオ講座を担当するようになった最初の年である1956年のテキストが4月号、6月号、7月号、8月号、10月号、11月号の6冊ですが、入手できました。そして「絶版書誌抄録」にアップしました。
これによって「『関口存男の生涯と業績』(三修社)の『関口存男の年譜』にある『昭和30年4月、NHK独逸語初等講座担当(死去まで)』という記述は間違いで、正しくは『昭和31年4月』ではないか」という私の推測の正しさが証明されました。
この4月号のテキストの冒頭に「新学期にあたって」という「日本放送協会」の挨拶文が載っていますが、そこにこう書いてあります。
「このドイツ語講座も4月には戦後5回目の新学期を迎えることとなりました〔つまり、ドイツ語講座自体は1952年の4月から再開されていた〕。~このたび講師に関口存男先生をお迎えすることとなりました。~1956年4月、日本放送協会」。
2頁には関口さんのいつもの写真とは違う写真も載っています。
なお、ウィンクラーさんのお墓の写真も撮ってくれるように知人に頼んであります。まだお墓がそのままなのかも知りませんが。ともかくうまく行くように祈っています。
2012年7月9日、牧野 紀之
関連項目
関口ラジオ講座のテキスト
ウィンクラーさんによる「追悼文・友の死」
これによって「『関口存男の生涯と業績』(三修社)の『関口存男の年譜』にある『昭和30年4月、NHK独逸語初等講座担当(死去まで)』という記述は間違いで、正しくは『昭和31年4月』ではないか」という私の推測の正しさが証明されました。
この4月号のテキストの冒頭に「新学期にあたって」という「日本放送協会」の挨拶文が載っていますが、そこにこう書いてあります。
「このドイツ語講座も4月には戦後5回目の新学期を迎えることとなりました〔つまり、ドイツ語講座自体は1952年の4月から再開されていた〕。~このたび講師に関口存男先生をお迎えすることとなりました。~1956年4月、日本放送協会」。
2頁には関口さんのいつもの写真とは違う写真も載っています。
なお、ウィンクラーさんのお墓の写真も撮ってくれるように知人に頼んであります。まだお墓がそのままなのかも知りませんが。ともかくうまく行くように祈っています。
2012年7月9日、牧野 紀之
関連項目
関口ラジオ講座のテキスト
ウィンクラーさんによる「追悼文・友の死」