評価はその評価をする人自身をも表すと、どこかで読んだ記憶があります。それはそうでしょう。評価というのは、或る対象について或る人が評価するわけですから、対象と評者の相互作用ですし、当然、評者の見識がそこに出てきます。問題はどの程度かということになると思います。
なぜこういう事を言いだすかと言いますと、これまで立派な見識のある方だと思ってきた方が、私の専門とする事柄について、どうも支持できない見解を表明されるのを散見するからです。
先日、朝日新聞で月に1回のペースで掲載されています丸谷才一氏の「袖のボタン」の中に次の文章を見ました。
「木田元さんと長谷川宏さんによる翻訳革命以後の事態を、カッシーラー『シンボル形式の哲学』(木田元他訳)やヘーゲル『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)を持つ岩波文庫は、もっと広い範囲に及ぼしてもらいたい」(2007年03月06日、朝日)。
これはたしか「岩波文庫80年」という題だったと思います。子供の頃から岩波文庫にとても世話になったことに対する謝辞を詳しく述べた後に、改善してほしい点についていくつか述べるという文章でした。その改善点の1つとして上の文があったのです。
これだけではどういう理由でどの程度長谷川訳を評価したのか、はっきりとは分かりませんが、しかし、「翻訳革命」を代表するものとして挙げた2点の1つなのですから、やはりかなり高い評価をしていると推定されます。
しかも、文脈から判断しますと、長谷川訳への評価は「歴史哲学講義」だけではなく、長谷川氏のすべての訳業、特にヘーゲルの訳業に対する評価だろうと思われますから、これはただならぬものです。
うーん、丸谷才一氏ほどの人でもあれを評価するのか、と困り果てました。
少し前ですが、最近ジャーナリズムの寵児の感のある佐藤優氏も、獄中で長谷川訳『歴史哲学講義』を読んでとても感心したというような事を、やはり朝日紙に書いていました。
まさか、こういった事で文を書くとは思っていませんでしたので、切り抜きはしませんでした。そのため日付等は分かりません。
少し古くなりますが、評論家の加藤典洋氏は、その『言語表現法講義』(岩波書店)の巻末に「基本文献案内」を載せていて、その「哲学の文章」の中で長谷川宏を挙げてこう言っています。
──たとえば『歴史哲学講義』や『哲学史講義』(河出書房新社)などのヘーゲルの翻訳は、近来稀に見る快挙。こういう訳を見るとこれまでヘーゲルに言及してきた大学者といわれた人々の多くが、幼く見える。(引用終わり)
特に話題になりました長谷川宏訳の『精神現象学』について言いますと、これが出て、出版社が「哲学書の概念を覆す感動の新訳」と宣伝して売りまくった時、書評も絶賛一色だったと思います。
私の切り抜きを見ても、村上正司記者の紹介文(1998年04月13日、朝日)の見出しは「不明な点は残さず、訳文のリズム重視」となっています。木田元氏による書評(日付は記すのを忘れたようです)の見出しは「思い切りのいい翻訳、目からうろこの思い」となっています。
これにとどめをさしたのがドイツのレッシング翻訳賞です。その第1回としてこの翻訳が選ばれ、長谷川氏は1万マルクの賞金を受け取ったのです。
しかし、その後徐々に本当の事が知られてきた、と私は思っていました。いや、今でも思っています。
「長谷川訳では分からない」という声が次々と聞かれるようになりました。知人たちはそういう訴えを聞くと、「これを読め」と言って、鶏鳴出版で出してあった拙訳(上巻のみ)を推薦してくれたようです。
そして、本格的な批判も出始めたようです。私の知っている限りで最も本格的なのは石川伊織・神山伸弘・柴田隆行3氏の「長谷川訳『精神現象学』は感動の新訳か?」(『理想』第 668号に所収)です。
これは、長谷川訳を丁寧に検討し、全7節に分けて、それぞれに、専門用語を使わない結果、解釈の混入、ヘーゲルの論理に対する無理解、「誤訳は誰にでもある」程度か、ちんぷんかんぷん訳、妄想の産物、珍妙訳、といった題を付けて徹底的に批判しています。
さて、長谷川氏はその後もヘーゲルの翻訳を続けましたが、その後はさしたる評判を呼ぶことはなかったと思います。そして、ここ数年の間に出した「エンチクロペディー」(3部作)の翻訳は、物の重要性と長谷川氏の知名度からすればかなりの評判になっても好いものでしたが、ほとんど評判になりませんでした。
私は、とうとう化けの皮が剥がれたな、と思っていました。それなのに、今度又、よりもよって丸谷氏のこの発言です。
もうとても驚き、何かを言う元気もなくなりそうです。なんとかがんばってこれを書くのが精一杯です。
そうそう、もう1つ言っておかなければならない事があります。
長谷川宏氏は立花隆氏と並んで、毀誉褒貶の激しい人ですが、「批判に全然答えない」という点でも共通しています。
たしかにすべての批判に答える義務はないと思いますが、どういう批判にダンマリを決め込んだか、それを精査する必要はあると思います。
丸谷氏はこういったことを知らないのでしょうか。
(これはメルマガ、2007年03月15日に載せたものです)
なぜこういう事を言いだすかと言いますと、これまで立派な見識のある方だと思ってきた方が、私の専門とする事柄について、どうも支持できない見解を表明されるのを散見するからです。
先日、朝日新聞で月に1回のペースで掲載されています丸谷才一氏の「袖のボタン」の中に次の文章を見ました。
「木田元さんと長谷川宏さんによる翻訳革命以後の事態を、カッシーラー『シンボル形式の哲学』(木田元他訳)やヘーゲル『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)を持つ岩波文庫は、もっと広い範囲に及ぼしてもらいたい」(2007年03月06日、朝日)。
これはたしか「岩波文庫80年」という題だったと思います。子供の頃から岩波文庫にとても世話になったことに対する謝辞を詳しく述べた後に、改善してほしい点についていくつか述べるという文章でした。その改善点の1つとして上の文があったのです。
これだけではどういう理由でどの程度長谷川訳を評価したのか、はっきりとは分かりませんが、しかし、「翻訳革命」を代表するものとして挙げた2点の1つなのですから、やはりかなり高い評価をしていると推定されます。
しかも、文脈から判断しますと、長谷川訳への評価は「歴史哲学講義」だけではなく、長谷川氏のすべての訳業、特にヘーゲルの訳業に対する評価だろうと思われますから、これはただならぬものです。
うーん、丸谷才一氏ほどの人でもあれを評価するのか、と困り果てました。
少し前ですが、最近ジャーナリズムの寵児の感のある佐藤優氏も、獄中で長谷川訳『歴史哲学講義』を読んでとても感心したというような事を、やはり朝日紙に書いていました。
まさか、こういった事で文を書くとは思っていませんでしたので、切り抜きはしませんでした。そのため日付等は分かりません。
少し古くなりますが、評論家の加藤典洋氏は、その『言語表現法講義』(岩波書店)の巻末に「基本文献案内」を載せていて、その「哲学の文章」の中で長谷川宏を挙げてこう言っています。
──たとえば『歴史哲学講義』や『哲学史講義』(河出書房新社)などのヘーゲルの翻訳は、近来稀に見る快挙。こういう訳を見るとこれまでヘーゲルに言及してきた大学者といわれた人々の多くが、幼く見える。(引用終わり)
特に話題になりました長谷川宏訳の『精神現象学』について言いますと、これが出て、出版社が「哲学書の概念を覆す感動の新訳」と宣伝して売りまくった時、書評も絶賛一色だったと思います。
私の切り抜きを見ても、村上正司記者の紹介文(1998年04月13日、朝日)の見出しは「不明な点は残さず、訳文のリズム重視」となっています。木田元氏による書評(日付は記すのを忘れたようです)の見出しは「思い切りのいい翻訳、目からうろこの思い」となっています。
これにとどめをさしたのがドイツのレッシング翻訳賞です。その第1回としてこの翻訳が選ばれ、長谷川氏は1万マルクの賞金を受け取ったのです。
しかし、その後徐々に本当の事が知られてきた、と私は思っていました。いや、今でも思っています。
「長谷川訳では分からない」という声が次々と聞かれるようになりました。知人たちはそういう訴えを聞くと、「これを読め」と言って、鶏鳴出版で出してあった拙訳(上巻のみ)を推薦してくれたようです。
そして、本格的な批判も出始めたようです。私の知っている限りで最も本格的なのは石川伊織・神山伸弘・柴田隆行3氏の「長谷川訳『精神現象学』は感動の新訳か?」(『理想』第 668号に所収)です。
これは、長谷川訳を丁寧に検討し、全7節に分けて、それぞれに、専門用語を使わない結果、解釈の混入、ヘーゲルの論理に対する無理解、「誤訳は誰にでもある」程度か、ちんぷんかんぷん訳、妄想の産物、珍妙訳、といった題を付けて徹底的に批判しています。
さて、長谷川氏はその後もヘーゲルの翻訳を続けましたが、その後はさしたる評判を呼ぶことはなかったと思います。そして、ここ数年の間に出した「エンチクロペディー」(3部作)の翻訳は、物の重要性と長谷川氏の知名度からすればかなりの評判になっても好いものでしたが、ほとんど評判になりませんでした。
私は、とうとう化けの皮が剥がれたな、と思っていました。それなのに、今度又、よりもよって丸谷氏のこの発言です。
もうとても驚き、何かを言う元気もなくなりそうです。なんとかがんばってこれを書くのが精一杯です。
そうそう、もう1つ言っておかなければならない事があります。
長谷川宏氏は立花隆氏と並んで、毀誉褒貶の激しい人ですが、「批判に全然答えない」という点でも共通しています。
たしかにすべての批判に答える義務はないと思いますが、どういう批判にダンマリを決め込んだか、それを精査する必要はあると思います。
丸谷氏はこういったことを知らないのでしょうか。
(これはメルマガ、2007年03月15日に載せたものです)