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国語辞書は語釈よりも語法を重視せよ(再掲)

2018年07月06日 | カ行
 お断り・メルマガ「教育の広場」2005年10月24日の載せ、その後「教育の広場」に転載したものを、再度転載します。


   国語辞書は語釈よりも語法を重視せよ(再掲)

 以前から「日本語疑典」を書いていますが、2日も続けて疑問を持つと又書かなければならなくなります。

 朝日新聞の国際欄に、多分毎週でしょうが、「水平線地平線」というコラムがあります。筆者は交代制ですが、10月23日は市川速水氏で「クールに進む『日本離れ』」と題する文を書いていました。その中に次の文がありました。

──日本の植民地統治下の強制動員に関しても、約20万件の被害申告を元に補償の対策案づくりが佳境に入っている。……

 これのどこに疑問を持つかと言いますと、「佳境に入っている」という表現の使い方です。これは好い事柄について使うのではないかと思うのです。

 学研の国語辞典で「佳境」を引きますと、「物事が進行してもっとも興味深くなる所」とあり、その使い方の例としては「物語が佳境に入る」を挙げています。

 たしかに「対策案づくり」は悪い事ではありませんが、元の「強制動員」が悪い事で、それの償いの仕事ですから、全体としては楽しい事ではありません。

 ですから、こういう事柄が大事な場面に差しかかった時に「佳境に入っている」とは言わないと思います。

 「対策案づくりが山場に差しかかっている」くらいでどうでしょうか。あるいは「対策案づくりがもう少しという所まで来ている」でもいいでしょう。

 次に今日、10月24日の朝日新聞は日本シリーズでロッテが2連勝したことについて2頁を割いて報じています。ロッテファンの私としては痛快な事ですが、それはともかくとして、見出しの文の最後にこうありました。

──阪神は3回無死1、2塁で藤本が送りバントを失敗。6回1死1、3塁ではシーツが2ゴロ併殺打。一方的な試合で連敗。──

 どこに疑問を感じるかと言いますと、阪神の側で論じている時にロッテの負けを「一方的な試合で連敗」と「一方的」を使っていいのか、ということです。

 他の辞書はたいてい「一方的な試合」を載せていますので、新明解国語辞典で「一方的」を見てみますと、「一方だけにかたよる様子」とあり、「一方的な勝利」という例が載っています。

 では逆に、「一方的な敗北」という表現はあるのでしょうか。多分、そうは言わないでしょう。

 たしかに、上で引用した所は「一方的な試合で連敗」であって、「一方的な連敗」ではありませんが、私は不自然に感じます。「好い所無く連敗」くらいでよかったと思います。

 それにしてもこのように単語や熟語の使い方に疑問を感じることが多いように思います。私がこれまでに書いてきたのもほとんどがこの使い方の問題でした。

 それなのに、「国語辞典の使命は語義を明らかにすること」という固定観念は変わっていないと思います。私もかつてそう書きました。今では、語義も大切だが、それと同時に、あるいはそれ以上に「語句の使い方」の説明が大切だと思っています。上の例から分かりますように、使い方の中にこそ語義を正しく理解しているか否かが現れるのだと思います。

 そういう語句の使い方を説明した国語辞典には、悪例(間違った使い方の例)も載せなければならないと思います。

 私は機会あるごとに、国語辞典の編集者たちにこれを伝えているのですが、理解してくれる人が出てきません。編集権を握る国文学者の先生にはこういう問題意識がないと見えます。

 誰かがインターネットのホームページでこういう本当の国語辞典を作ってほしいと思います。私はその試みを「ヘーゲル哲学辞典」(今は掲載していません)の中に入れましたが、私にはそれを続けて完成させる力も余裕もありません。

 誰かがやってくれるなら協力します。