歴史研究家・河合教
京都の大谷本願寺を拠点とする浄土真宗本願寺教団は、始祖親鸞の教えを受け継ぐ正統な一派とされながら、長く弱小教団だった。
本願寺は天台宗青蓮院(しょうれんいん)の末寺のような存在になっていた。教団中興の祖と言われる8世蓮如(1415~99)は、青蓮院からの独立を決意、天台宗系の経典や仏像を風呂のたき付けに使うなど完全に天台宗と決別した。総本山・比叡山延暦寺は激怒し、僧兵を多数派遣して本願寺を破壊した。そこで蓮如は思い切って拠点を越前国吉崎(福井県あわら市)へ移し、新天地での発展に賭けた。
布教にあたって蓮如は、親鸞の教えをわかりやすく説いた手紙形式の「御文(おふみ)(御文章)」を考案、信者を集めて有力な弟子に朗読させる一斉方式をとった。
さらに蓮如は、弟子に布教マニュアルを与えた。そこには「御文を最初から最後まで一気に読もうとしてはいけない。人の気は短い。信者が退屈したり居眠りしたら、朗読をやめて面白い話をしたり休憩をとりなさい。時にはあなたが能を演じたり、酒をふるまってもいい」といったことが細々と書かれている。蓮如が、いかに人間の心理に通じていたかが分かる内容だ。
蓮如はまた、粗末な服を身にまとい、門徒たちに「仏のもとに人間は平等だ」と説き、門徒を自分と同じ道を歩む仲間だとして「御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)」と呼び「私は彼らに養われて生きている」という謙虚な姿勢をみせた。
さらに、一般に男に生まれ変わらないと極楽へ行けないとされていた女性に、そのままで極楽往生できることを明言。その結果、膨大な信者を獲得した蓮如は、吉崎から拠点を京都へ戻し、見事カムバックを果たした。
(朝日、2011年08月25日)