植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

3月11日は「核と放射能」の日

2022年03月11日 | 時事
 昨日は久しぶりにブログの更新を怠りました。2か月ぶりのゴルフ、寒い時期にゴルフを回避し、室内にこもっている時間が長かった分、体全体が衰え筋力が落ちたために疲労感が大きかったのです。
たまのゴルフくらいは、カートに乗らず歩いてラウンドするので約2万歩歩きます。これはこの20年ばかりずっと続けています。しかし、前日の睡眠不足もあり疲労困憊、何もやる気がおきないまま19時に就寝(´;ω;`)

 さて、今日は3月11日、本来ならば「コロナワクチン・モデルナ」の接種日だったのですが、明日が三男の結婚式用の貸衣装選びの日にあたりました。副反応で高熱が出たらそれどころではなかろう、と1週間ほど先延ばしにしました。そしてあの「大震災」から丸11年になります。

 神戸地震とは違って「福島原発」のメルトダウンの後遺症で周辺の復興は遅れ、原発の廃炉は進んでいません。それどころか冷却して発生する汚染水はいまだに増え続け保管能力を超え海洋への投棄が現実味を帯びています。国会ではそれは汚染水では無く「処理水」だとどうでもいい問答を行っております。

 原子炉に残された溶け落ちた核燃料(デブリ )は一片も取り出せていません。それが今もなお大量の熱と放射能を放出し続けています。そして、それら一連の莫大な処理費用は、税金とワタシ達から支払われる電気料の値上げでまかなわれているのです。

 今ウクライナでは廃炉になったチェルノブイリ原発はじめ、あちこちに原発があり、ほとんどがロシアによって攻撃され一部は占拠されているそうです。36年前に起きたチェルノブイリ原発事故は、軍隊が出動しコンクリートを流し込んで蓋をする「石棺」を作りました。そのために数多くの全身被爆者が死にその後も近隣住民の被ばくや癌の発生が多発したのでした。それから36年たっても建物の傍は異常な放射量が計測されています。

 原発に向かって砲撃するという愚行によって、原発が破壊されて原子炉破壊、放射能汚染の危機は増すばかりの様です。ワタシの家内の情報では「プーチンが暗殺されたらAI判定によって自動的に1600発の核ミサイルが発射される」というのです。そのニュースソースを知りませんがこればかりは家内の夢か「フェイクニュース」であって欲しいと思います。

 そうでなくても狂っているようだと観測されている大統領です。様々な映像からは側近や閣僚の誰もプーチンの判断や方針に意見できる状況にない、というのが見えています。エスカレートする「制裁措置」と海外からのウクライナ支援、戦局の膠着によってプーチンは相当苛立ち、非人道兵器を繰り出しています。高温爆発弾・クラスター爆弾・無酸素化爆弾を使用し、生物兵器さえ使うのではないかとの報道も出始めました。ここ数十年、ロシアの歴史は「なんでもあり、やったもの勝ち」という経験に基づいています。大統領の一存で発射できる「戦略核」ミサイル発射の危険は絵空事では無く、今現在中国と北朝鮮を除くすべての国の起こりうる脅威・危機なのです。

 昨日は好天の中ゴルフを楽しむことが出来ました。平和と安寧のありがたさをしみじみと感じておりますが、明日はどうなるかわからないのです。ウクライナの国民だって、数か月前にはたいした不安もなく平和な生活を享受していたのです。

 今朝のラジオでは、コロナですらもう忘れたかのように、のんきに大相撲開幕だとか競馬がどうだと報じています。楽天的なのは結構ですが、すべてを楽観視するのはどうかと思いますね。今の政府や自衛隊は、核ミサイルが飛んできたり、突如北から戦艦が押し寄せたらどうする、くらいの備えはあるのでしょうか。


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男尊女卑だけでない 日本がダメなワケ

2022年03月09日 | 時事
世界「男女平等ランキング」(ジェンダーギャップ)が日本は120位だそうです。ほぅ、世界の国は200近いから、真ん中からちょっと下か、などと思ったら大間違い。対象国が153ヶ国なので、ビリが近い最低レベルの国なんですね。日本が、まともな国家のうちで自由主義・民主主義国家としては、実質的には世界で最悪・一番男女不平等なのです。

 経済(労働参加・所得)が117位、教育(学歴)が92位、健康が65位、政治 (政治家の数・参政権)などを男性と比較したスコアによるようです。

 日本は、神代の時代より一貫して男系天皇から家督制度まで、社会全体が男子優先でした。男尊女卑の考え方は、敗戦後男女平等を定めた憲法が成立した後も根強く残ってきました。大相撲に象徴されるように、とりわけ、伝統的文化や芸能、女性を政や祭り事から締め出してきた歴史があります。そうした男社会で、女性を家庭に家事育児で留め置くのが理想だと考える人がいまだに多いのです。

 ワタシが生まれ育った九州大分では、昭和30~40年代でやはり戦前の男尊女卑の社会が残り、男性中心で優先の生活習慣が当たり前でした。ワタシの実家でも、お風呂を沸かせば、一番先に家長が入り、男が終わった残り湯を母親が使いました。夕ご飯は父親が晩酌し、父親用に酒の肴を支度する。晩酌が終わるまで家族は食事を始めないし、残り物を母親が食べていました。母親が、外に働きに出たいというと、決まって夫婦喧嘩になり母親が涙を流していたのを思い出します。

 しかし、女性を不平等に扱い社会参加を阻んでいる最大の障壁の一つは、国が定める税制や社会保障制度に潜んでいます。それは、一つが夫婦の「配偶者控除 」、もう一つが社会保険料の被扶養者の年収制限であります。更に「定年延長と70歳までの雇用継続」の導入であります。

 家庭の主婦が家計を楽にするため働く、子育てがひと段落して働きたいと考えた時、パートタイマーが一般的です。何故なら、企業にとっては社会保険料など正社員にかかる福利厚生費などを負担せず、いつでも解雇出来て、最低賃金で働く有難い存在だからです。また、主婦にとっては、一定の賃金に抑えておけば、夫の所得税扶養控除、自分の所得税免除が受けられ、健康保険や年金の支払いも免れるからです。

 パートさんは、およそ100万~130万円未満に収入を抑えていくつかの「壁」を越えなくしているので、結果として女性の平均所得が低いというスコアになっているのです。

 勿論主婦は、家事や家族の世話という縛りがある(それはつまり日本の男性優位社会の根底にある悪しき習慣です)ので、男性のようにフルには働けない、というハンディがあります。しかし、もし男女の格差なく同程度の所得が得られるような制度になれば、おのずと家庭内の役割分担も変わるはずなのです。

 もう一つ、女性の参加を阻むのが、60歳定年を過ぎた男性の雇用継続であります。もとから60歳まで勤務できるのは男性が圧倒的に多いので、再雇用も男性中心となります。業務量が増えないのに70歳まで高齢者を残すとなると人員の余剰が出る分、若い人、とりわけ女性の参入できる余地が減るのです。

 また、かつて大家族・三世代家族が当たり前だったころは、年寄りが子供の面倒をみたり家族同士で家事を分担できていたのに、定年過ぎても働きに出るとなると、若い人の生活をサポートできなくなってしまいます。お金の為には仕方ないと言うのですが、日本の個人資産は金融資産だけで総額2000兆円あるのです。勿論、富は偏在し、ごく少数の金持ちが多くを占めているとはいえ平均値は高齢者の方が金額は多くなります。60歳代では一人当たり平均が1635万円、中央値でも650万円ほどなのです。ご夫婦ならその倍、働かなくても十分ストックがあるのに、政府が、先細りになり国庫から補填する年金を払うのを惜しんで働かせようとしているだけなのです。

 はっきり言えば、諸悪の根源は「我が身の保身・出世と省益の事しか考えないお馬鹿役人」とそれに乗っかって思考停止している、世襲のお花畑議員で、こいつらが日本を腐らせているのです。結果として、女性は家に縛り付けられ、かといって子供を育てるだけの満足な世帯収入は得られず、ジェンダーギャップは広がります。そして少子高齢化・日本経済の衰退に拍車がかかっているのです。
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待ってました 春になったら鉢を出そう

2022年03月08日 | 植物
 昨日は久々に自治会などの約束事や集まりが無く、一日フリーの時間を取ることが出来ました。月曜日は家庭ゴミの日、ゴミ出しだけやっておけば、あとは自由時間なのです。

 待ち遠しかった既に春は訪れてまいりました。春一番が吹き一雨ごとに暖かくなってまいります。沈丁花の花が咲き始め、草取りをする傍らでなんともいえない香りが漂って参ります。


 思えば一昨年の冬は暖冬で、アーモンドや桃、沈丁花が12月の暮に早くもぽつぽつ咲いたのです。季節の取り違えが起きていました。おかげで1シーズン前の柑橘類、とりわけデコポンの出来が素晴らしく、甘くて味が濃く絶品だったのです。
 
 一方、今年の柑橘は総じて酸っぱく、甘さが思ったように増しませんでした。これは、温暖を好む柑橘なのでひと月ほど続いた零下前後の低温と、日照不足が響いたものだと考えております。こればかりは仕方ありません。通常、柑橘栽培の北限はだいたいそ関東南部の南向きのエリアなので、房総や伊豆・小田原あたりが限界なのです。因みにブドウ・リンゴやクルミなど暑さに弱い果樹の南限も、関東あたりのようです。温暖な当地平塚は、いずれも栽培のぎりぎりの地域なので地植えが出来る反面、季節の変化(日照と気温)次第で極端に収穫が減ったり美味しくなかったりします。

 早くも雑草がかなり蔓延っています。草取りのシーズンも始まりました。更にまもなく啓蟄がやってきて害虫たちが繁殖してきます。すでに室内の植物(一年中室内の蘭や観葉植物など)にはアブラムシやカイガラムシが発生しております。

 冬越しに成功した非耐寒性の植物達を、そろそろ表に出し始めました。室内に退避させたのが約40鉢ほどあります。月下美人・ロンガン・イランイランなどは背丈近い大きさに伸びて大鉢に植えております。入れたものは出さねばなりません。冬の間に鉢の中に生えた雑草を抜き、枯葉を除いて状態を確かめながら屋外の「邪魔にならない」場所を探して移動させます。幹に新芽や蕾が覗いていたら大丈夫。それから置き肥・液肥を与え枯れ枝を剪定していくのです。

 昨年暮れ、寒さが思いのほか急激に厳しくなって大慌てで越冬させようと屋内へ持ち込んだのですが、これがいけませんでした。
 屋上に作ったサンルーム兼温室に、プルメリアなど十数個の鉢をしまい、屋外のテラスに置いた月下美人3鉢、シンビジウムなどを2階の廊下へ運びました。マイガーデンのあちこちに置いてある寒さに弱い樹木から、熱帯性の球根が入ったプランターまで、数日で2階の倉庫へすべて一人で運び込んだ結果、かなり重度のぎっくり腰を起こしました。

 土が一杯入って背丈近い大きさの鉢は、体の中心でお腹に載せて傾けると土がこぼれるし、服が汚れます。持ち上げると上部がドアやサッシ窓につかえるのです。中腰になって低い位置で鉢物を腕だけで支えるので一番腰に負担が来るのです。腰痛が1か月以上治りませんでした。

 それで、今回は2週間くらいの時間をかけてすこしずつ運び出すことにしました。とりあえず咲き始めた君子蘭やクジャクサボテンなどの小さい鉢を出しました。
大きいものは10鉢ほどありますが、3月下旬に次男の結婚に合わせて「屈強な(笑)」子供たちが実家に戻ってきます。彼らに手伝わせるので、大きいものだけはそれまで動かさずにおきます。
 
 大事にしていた洋ラン「金稜辺 」が一斉に咲きました。シンビジウムの仲間で花は小さいのですが、そのフェロモンが「みつばち」を呼び寄せるので養蜂家さんはこの洋ランを栽培するのだそうです。残念ながら当地平塚ではほとんどミツバチが絶滅寸前で滅多に見かけません。


 目先の仕事は、ちびちび小さな鉢を運び出し、草むしりであります。それから大事な「消毒」であります。3月になるとバラやブドウに新芽が付き始めます。これまで冬季は、茎や幹に様々なウィルスや病原菌が潜んでいて、春になると活動を始め春の雨の度に広がっていきます。この時期に必ず殺菌剤を散布することで菌の繁殖を抑えるのです。

 まだ寒の戻りで、朝晩はまだいささか寒さがこたえますが、そんなことは言ってられません。植物たちはワタシが来るのを待っているのです。

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鑑定結果 「秋堂」さんの田黄石 の倣古品(後編)

2022年03月07日 | 篆刻
 一昨日の夜NHKのBS放送で中国清朝の宝物が、中国に買い戻されているという番組をやっていました。清朝末期に数千年の帝政・王朝時代に営々と集めてきた無尽蔵な金銀財宝が、なぜ海外に流れその一部が日本に渡ったのかという時代物語は久々に興味深いドキュメンタリーでした。

 貧しい国であった中国で、人民からまき上げた税金やら貢物で集めた財物を様々な形で持ち出されたのが王朝の混乱期であり、国力が衰退した時期であったのです。それは、日本が鎖国を解いて外国人が日本の文物を買い漁り、太平洋戦争終結後接収されて米英が日本の文化財や美術品を自国へ持ち帰ったことに重なります。
 一番印象深いのは、経済大国への道を進んでいた日本で、先見性のある豪商が、中国の王家から直接まとめて巨額な買い付けをしたことです。そして、中国の経済発展と富の集積によって、それがいつの間にか逆転し、日本の蒐集家や財閥などによって所蔵されていた中国の宝物が、数千万円から数億円でポンと買い戻されていることでした。残念ながらGDPをはじめ個人の平均所得に至るまで完全に立場が逆転しているのです。かたや世界でアメリカと肩を並べる超大国、片や先進国の中で最も経済低迷が続き、世帯収入が数十年よこばいであります。我が国は、国の財政(国債依存など)は最悪の弱小国に成り下がっています。

 さて、昨日に続いて田黄石もどきの篆刻印を具にみてまいりました。
背面は原石の皮の部分がそのまま残って、軽く磨いた程度。そこに「秋堂作」と彫られていますが、いささか弱めにひっかいた程度の側款に思えます。通常、篆刻家さんが側款を入れるとしたら、これだけの余白部分があるので、あいた所に、場所や依頼人名・彫った文字などを彫りたくなるはずなのです。

印面は、きちんと平らに揃っており、字画も金石文らしくやや曲線を用いた陽刻であります。よく観察すると、彫られた(浮き出た)文字の部分は磨きをかけていてほとんど同じ太さになっていて、漢の時代などの官印を模しているようです。彫った印の文字は 「曽経滄海 悟真禅」と読めます。

 しかし、ではそれが200年前に篆刻家として名を残す陳名人の手によるか、と見ると残念ながら芸術性が伴う熟達した「章法」によっているとは思えないのです。言ってみれば「一概に下手とも言えないが、一級の印材である田黄石を刻むような名人の彫りとは思えない」出来なのです。もっと言えば、ワタシの方がもっとうまく彫れる(笑)という印象なのです。

 最も楽観的に自分の都合のいい鑑定・解釈をすれば、次のようになります。
 「200年ちょっと前に、安い値段で持ち込まれた等級の低い田黄石に、秋堂さんが一応側款を入れたが、制作欲を起こすことなく印を彫る機会がないまま他界、未刻で人手に渡った。それがあちこち転々としていく過程で、篆刻の修行をしていた未熟な誰か、えいやとばかり彫ってみた」、というような妄想であります。
 
 一方、最悪な来歴は、中国には数百年前から大掛かりな文物偽造団が沢山跋扈していたのです。偽物をだまして金持ちや外国人に売りつけて儲けようと、田黄石にちょっと似た類似の石ころを集めたり精巧な人造石を作って、本物らしくみせかけたバッタ物です。本物と持ち掛けられて大枚払ったものの、鑑定を受けたら偽物ものとわかり、二束三文で手放したものかもしれません。

 概ね、こうした中国の美術工芸品には、1.骨董品などの時代的な背景がある芸術品、「文物」茶碗など 2.現代でも制作・流通する高級な置物や茶器など。美術品として一流の職人さんや専門家が作った書画・工芸品 3.一般的に普及する大量生産の工業製品 4.観光客目当ての粗悪なお土産 5.贋作を本物に見せかけて流通させた模造品 などに分類されます。

 この田黄石擬きの篆刻印は、上記のいずれかに該当するとしたら、2と5のどちらかかその中間ではなかろうかと考えます。数十年前の作で、その時代で田黄石に特徴がよく似ている石を持ってきて、出来るだけ、それらしく似せるよう手を加えます。紐は、一応石の紐や工芸品作りをマスターしている職人に、古い美術品(同様の彫があったはずです)を真似て彫らせた、と推理します。側款の名前も然りです。印の刻みがないと、時代を経てきたような信憑性に欠けるので、一応篆刻の覚えがある人間に彫らせた、というところでしょうか。

 結論は、最初から分かっておりました。この篆刻印を出品したのはヤフオクの「書道・篆刻・美術品」分野を専門に扱っている「天香楼」という輸入美術商です。ワタシは、ここが最も安定的に質のいい本物の書道関連の物品を仕入れては出品(ネット販売)している信頼性の高い業者さんと見ています。おそらく店主は相当な経験を備えた目利きであります。
 この印を値踏みするときも恐らく瞬時にその材質や時代・由来を見抜いていたのだろうと思います。そこで然るべき値段(恐らく1万円前後)で買い取ってヤフオクに出したのです。今はヤフオクも表示や真贋の決まりごとが厳しくチェックされているので正式鑑定や、一定レベルの品質保証(返品・補償)が無いと、「本物」との品物の説明書きが出来なくなっています。天香楼さんはそれなので「田黄石」「秋堂」をあえて表示しなかったのでしょう。

鑑定結果「2万円
 「40年ほど前に作られた新田黄石で、古い印の模倣でしょう。彫りの細工はそれなりに丁寧で、石も田黄石に似た美しさもあるので、気の利いた工芸品・置物として大事になさってください」
 
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今回の鑑定は「秋堂」さんの田黄石 の倣古品?(中編)

2022年03月06日 | 篆刻
 印材の王様、田黄石と一口で言っても、実は多様な種類に分類されています。中には緑田黄石といって、緑色石もあります。田緑石だろうと突っ込みたくなります。そもそも産出した時は、土中に数万年も眠っていた丸石なのです。寿山周辺がまだ活発な火山活動があった時代に溶岩状に流れ出したり噴石となったものが地表にたまり、川に流されたり転がって丸くなり、さらに数万年の間に、砂や土がそれを覆って地中で圧力や高熱、水分などにさらされるうちに石の表面が変質していったものなのです。それなので、どんなに大きくても一抱えほど、小さいものは小砂利程度までの丸い石で「皮」と呼ぶ変質層の表面と、中の黄色を基調とした半透明のヨウロウ石で出来ているのです。これを発見した農民たちが耕作そっちのけで石探しに没頭したのです。

 今ある元祖田黄石にも形状によるランクがあります。最上は、黄金色・琥珀色で非常に透明感があり、明るいのに深みもある美しい石であります。これは、掘り出された田黄石の中でも雑味の無い均質・透明度のあるものを選び、外皮を全部取り除いて印材として角形に整形しているので非常に値打ちがあり珍重されます。お米で言えば大吟醸用に精米されているのです。(普通、田黄石は重さで売買されるので、うっかり余分に削ったりはいたしません)

 殆どの場合は、丸石の形をそのまま生かし、細くなった端の部分を切り落として「印面」にいたします。勿論、切り落とした片方の小片も印材として大事にされます。長細いスティック状の原石ならば、4,5個に切り分けて活用したでしょう。実際それと思しき小さな田黄石のような古印が数個ワタシのコレクションにもあります。

 丸石の皮を全部落として温潤で艶ややかな石に磨きをかけるか、あるいは烏鴉皮といって、わざと皮の一部を残してレリーフのような黒と黄色の模様を浮きだたせているものもあります。いずれも手間がかかって技術も求められるのです。こうした石を専門の職人さんや彫刻家が、更に石の色・形を生かした浅い浮き彫りを施すのです。中には、手の込んだ彫刻をして「置物」として仕立てるのもありますが、印材として説明を続けます。

 これを、この4,5百年もの間、田黄石蒐集家や、投資家、富豪、中国の政治家や役人さんが先を争って買い求め、また、著名な篆刻家・書家がこれに、印として刻んで印として現在まで骨董価値の高い文物の一つとされてきたのです。
 それから、田黄石にはもう一つの系統があります。それは黄色というより黄土色に近い色で、緻密な石質ながら透明度が低いものです。磨けば勿論「玉」のように輝きますし、古色然とした趣もあります。この種の印は、前述の飴色の印と違って、橙色・黄色に加えて白色から朱色・あずき色などの模様が層をなすという特徴もあります。田黄石には「紅筋」という赤みがかった筋や蘿蔔紋という大根を輪切りにしたときの模様が入るといいます。これらの特徴的な要素が備わっているのが価値を判断する要素となるのです。

 さて前置きはこの位にして、届いた「時代物 寿山石花鳥刻」を見てみましょう。共箱・印箱は無く、石が包装材で幾重にもくるまれているだけのものです。
これが、全体像です。印面だけで5×7センチ幅があり、重さが415gと堂々とした大きさの石であります。第一ハードルは自然石か否か、これはクリアです。さすがに数千個の印材を在庫で持っていますので、人造石かどうかの区別はつきます。表裏の状態から、自然石の大半をそのまま生かし、表側に薄意ではなく、紐という彫刻を施しております。実物の真正・一流品の田黄石を手にしたことが無いのでこの時点では田黄石かどうかは判別できませんが。

田黄石の基本的条件である、黄色っぽい皮がある、切り出した角材ではない、半透明で稠密な肌触り、温潤な肌理というのは満たしているようです。鳥が二羽、牡丹のような花に葉っぱと蕾が配されております。よくご婦人が洋服の胸あたりに止めるブローチのように見えなくもありません。かなり手馴れた彫師が丁寧に彫っているようには思えます。

 表面の皮を削った後に彫刻して出る石の地の色は、暗い黄土色と赤味が混じっております。紅筋というより、なにかにかぶれて斑に赤くなった顔の皮膚のようにも思えます(笑)。擦過傷のような傷やぶつかって出来る欠けもほとんどなく保管状態は良好と見えます。これは、元でのかかった貴重品としてずっと大事にしまわれてきたか、最近作られたので傷が無いかのいずれかでありましょう。

 さて、これから子細に調べていくのですが、予定稿となりましたので、続編にて鑑定結果をお伝えすることにしましょう。
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