植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

二人合わせて一人前

2022年03月03日 | 雑感
 昨日、懸案であったの貸衣装を二日がかりで決めてまいりました。次男の結婚式にモーニングと紋付留袖を借りたのです。先が長く大勢の親戚との付き合いがあれば、自前のものを誂えるのですが、家内とワタシには子供たち以外に近しい親族は少なく、これから先そんなものを着る機会は無かろうとおもうのです。また、残念ながらノーベル賞も、叙勲の表彰などに呼ばれるチャンスは死ぬまで巡って来そうにはないので、高価な正装を作る必要はありませんね。

 それで、10時出発、コロナ感染を心配し一昨日自家用車を運転して、貸衣装屋さん出向いたのです。当地平塚からその衣装屋さんのある横浜市中区までは、1時間もあれば着くのです。
 ところが、車中で話に夢中になって、カーナビの情報に気づかず、首都高方面と第三京浜への分岐で間違えて、港北インターまで迂回する羽目になりました。カーナビなど無くても簡単にわかる道筋だったのですが。それでも十数キロ遠回りしただけで約束の時間には余裕がありました。関内に降りたら目をつぶってでも場所は知っています。横浜には数十年の勤務歴と居住年数があります。

 ただ、一つだけ嫌な予感がしておりました。目当ての建物の住所が「中区寿町」だったのです。そこは知る人ぞ知る「簡易宿泊所エリア」、神奈川県では最も規模が大きいドヤ街、昔の貧民窟があった場所なのです。隣接する場所には労働プラザやら家裁などの官庁関連施設があり、むかし暴力団が日雇い労働者を集めた寄せ場、職業紹介所のある地域で、ホームレスや生活保護者が暮らし、たむろするメッカであります。

 車で傍までたどり着いたものの、肝心の建物の位置まで確認していなかったので、路地裏のコインパーキングに駐車したのです。そこで車のドアを開けたとたんワイフが悲鳴を上げました。真下には人間様のものと思われる「糞」が転がっていたのです。表通りまでの道の両側は怪しげな宿泊所や毛布販売などがあり、浮浪者が幾人も見えます。あろうことか、寿町の貧民街のほぼど真ん中に車を停めていたのです。

 足早に表通りまで出てそれらしい建物を探すもいささか気が動転しておりましたので見つからず、家内に会社宛て電話してもらうことにしました。その時点でビルの名前すら確認していなかったのです。すると、家内が一言「一日間違えたみたい」。アポをとったのがワイフで、ワタシはなんの疑問も確認もしていませんでしたが、一昨日・火曜日は「会社の休業日です」と留守録音応答があって、はじめて約束の日にちを間違えたことに気づいたのでした。

 そうなったら一刻も早くこの魔窟から脱出しなければなりません。もう建物を探すどころではなく、すぐに車に戻って予定していた馬車道に向かいました。家内は、それまでの人生で遭遇したこともない日本有数のドヤ街に来て恐ろしい光景を目にし、しかも一日勘違いという失態に動揺しておりました。
 馬車道の老舗「勝烈庵」でヒレカツの定食を食べてようやく人心地着いたので、そのままどこにも寄らず帰宅しました。
 
 一昨日は横浜にドライブに行って勝烈庵で昼食を食べに行った、という風に言い聞かせ、昨日もう一度件の衣装屋さんめがけて「電車」で行くことにいたしました。今度はすんなり場所もわかり、若くて明るい担当のお嬢さんのおかげで、スムースに衣装を決めることが出来ました。なんだかんだ2時間近くかかりましたが、帰りはお約束の高島屋特選食堂のフロアに行って「喜八」のランチを頂き、パンや総菜などをデパ地下でまとめ買いして夕方帰宅となりました。

 花婿の両親の衣装を決めてるだけでほとんど丸二日を費やすことになりました。いくつも失敗をやらかし、もはや、夫婦二人で1人前のことも覚束なくなったのかと正直がっかりであります。
 すでに、糖質摂取を抑え小食としているので、普段の食事量はだいぶ少なくなっております。外で食べる昼食も、さすがに一人だけというわけにはいかないので、半ライスを頼み、食べ切れない天ぷら屋とんかつ・から揚げなどは持ち帰って晩御飯のおかずになります。持ち帰る天丼やお弁当などは一つを夫婦で分けて丁度、という生活であります。

 体重を除けば、夫婦合わせて1人前となっているのです。
コメント
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