植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

お盆前に・・臨死体験かな?

2020年08月13日 | 雑感
昨夜は今月に入って初めて雨が降ったようです。と言ってもお湿り程度で、大地が潤うほどのこともなく、蒸し暑い朝です。暑くなる前にお墓掃除に行ってまいりました。今日はお盆の入り、日ごろ不信心、無信教のワタシにとっては、いささか居心地の悪い時期でもあります。早い話罰当たりなのであります。

 思えば父親は、年中「南無阿弥陀仏」を唱え、母方は神主の家系で神道でしたが、家の中には仏壇も神棚もなく、先祖のお墓も遠くの郡部にありました。幼いころから、神事・仏事にはほとんど縁がない家庭に育ったのです。

 先日親戚のお葬式があったことはこのブログで触れました。高野山を本山とする地元の名刹で行われました。コロナの影響で、参列者が増えないように葬儀社さんから要請されるようです。通夜の後の直会も、省略でした。お坊さん以外は全員マスク着用、椅子も離して配置されていました。初七日は、告別式当日に済ませますが、こちらもお酒は無く幕ノ内弁当でした。通夜告別式を通じて、アルコール類を口にしなかったのは初めてでした。

 もう、かれこれ20年ほど前から「家族葬」という言葉を聞くようになりました。盛大な葬儀は段々減ってきました。現役時代は、各職場に訃報のFAXが流れ、知り合いの方のご不幸には通夜に駆け付けるのが習わしでしたが、いつの頃からか、その件数がめっきり減り、しかも家族葬、香典辞退の文句が添えられることが増えました。
 会社関連・友人・地縁者に告知することが減って、地味に身内で葬儀を済ますというのが当たり前になってきたように思えます。

 平成の時代になって、冠婚葬祭すべてが徐々に簡素になりました。地味婚という言葉も浸透しました。これは、そういう世相というより、日本人全体が貧しくなったからだと思います。見栄を張ることが無意味になって来たのです。うわずみの上級国民やら商売上手な経営者などは、存じませんが、ワタシ達には分相応で、虚勢を張らないのが良いのだと気づかされたのかもしれませんね。

 そこで、告別式のお経であります。朝から猛暑、窓を開け放しているせいもあって、読経の声が子守唄のようでもあり心地よく、ふわふわうとうととした心持でありました。
 故人の戒名は「文鏡院」という院号がつけられていました。川端康成さん「文鏡院殿孤山康成大居士」と同じであります。こちらの和尚さんと、生前に深い親交があり、故人がジャーナリストであったことから、あえて付けていただいたのだそうです。
 
 それで、お経の中で「戒名」を読み上げ、次に「俗名」を読む段になりました。その時、あろうことか、ワタシの名前が読み上げられたのであります。暑さで頭が朦朧としているなかで、故人の名前としてワタシの名前が聞こえた刹那、一瞬、「幽体離脱」という言葉が頭をよぎりました。これは、自分自身の葬式で、ワタシの魂がまだ傍にあって、葬儀を眺めているのではないか、と。

 吃驚です。故人の従兄とは姓が同じで、名前が漢字一字、和尚さんが何故ワタシの名を呼んだかは謎であります。経文に書いた名前を間違えたか、供花にワタシの名前があったことに気をとられたか・・・
 いずれにせよ、参列者の多くはワタシの事を知っているので、気づかれたようでした。ワタシはというと、どちらかと言えば悪い気はしませんでした。臨死体験というべきでしょうか。生前葬をタダでやってもらった、あるいは一度死んだことになって生まれ変われたとしたら、これからの人生長生きできるかな、と思いました。

 焼き場から戻ってきて、同時に「初七日の供養」も済ませました。お経と焼香の後、お上人から短い説法を聞いて帰ろうとする矢先、またしても和尚さんの口からワタシの名前呼ばれました。

 これは、間違えたわけではなく、ちょっとワタシに用があったのです。書道の稽古を続けているワタシに、塔婆やお札の文字を書いてくれないかとの相談でした。和尚さんも御高齢でお忙しいので、小さな文字を沢山書くのもなかなかシンドイご様子でした。

 勿論、お引き受けいたしました。書道の練習になるのは当然ですし、罰当たりな人生を送ったワタシが、いくらかでも功徳を積むことが出来ればこれに優るものはありません。
「南無大師遍照金剛」 書道の祖、三筆の一人として名高い空海(弘法大師)への帰依を唱えるありがたい経文であります。

「世の為人の為に尽くさしめ給へと恐み恐みも白す」
亡き祖父がいつも口にしていた祝詞、自分もその意味を考える歳回りになりました。

 
コメント
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