植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

日本の美しい桜 美しい心は何処へ

2020年03月25日 | 時事
 以前、日本人というのは「寛容」の精神を重んじました。自分を厳しく律し、他者を許すという心が、大事であると教わりました。自厳他寛、外柔内剛などとも言います。子供のころ、近所に手癖の悪いおばさんが住んでいて、年中万引きや泥棒を繰り返すというのを親から聞きました。しかし、警察沙汰になることは無く、ご家族が誤って済ませる、ということでした。昔の日本は、地域でのコミュニティーが共同体のように固まり、人付き合い。共助で成り立っていました。ことさらに罪を咎めるのではなく、周りの人間が優しく受け止めることもあったのでしょう。

 一方で、それがゆえに他人に対して甘い処遇を認めることも多いのです。罪を犯しても、更生させることを優先する、とか、謝ったから許してやれ、みたいな。また、移ろいやすく忘れっぽいという国民性も強いように思えます。大騒ぎするようなことがあっても、じきに他のことに興味が移り、最初の問題はいつしかグズグズのまま忘れ去られてしまうのです。忘れっぽいのは日本人には限らないのかもしれませんが。

 さて、武漢熱、もはや中国の感染のことは忘れられて、イタリア・スペイン・米国と燎原の火のごとく、爆発的に広がりつつあります。日本では、ついこないだまで、自粛ムード一色で、とにかく感染拡大を抑え、自分たちが罹らないように注意しようと必死だったのに、桜の開花と合わせるかのように緩んでいるように見受けられます。根拠もないのに、政府が、なにか必死で対策を取っているように見えるので安心したのか、長い緊張感が途切れて飽きてきたのか。そして目に見えて感染者の増加が加速しています。

 これは、勿論、二次感染、三次感染と進んで感染者が実際に増えているのが原因でありましょう。感染ルートがつかめなくなっているので抑制不能に陥ってきたのです。もう一つはしぶしぶ応じるようになった感染検査の増加によるものであります。更に、感染者を低めに発表する必要がなくなってきたのです。何故か。それは、世界の感染者が予想以上に増えて、目立たなくなったせいと、オリンピックの延期が既定路線になったからであります。オリンピックの自国開催のため、日本では安心できる検疫体制が発動し、心配ないと見せたかったのです。それが、世界的な蔓延により、日本一国のみが抑制できても無意味となったわけでありますな。

 BS報道1930の松原というキャスターが、ほぼひと月の間、毎日「何故PCR検査が増えない、何故やらないのですか」と与党や厚労省関係者に聞き続けていました。理由など何十でも言えます、やらない理由を探せばいくらでもありました。本当の理由は簡単「検査したくない理由がある」からなのです。その理由が消えたので、検査が増え感染者がドンと増えたという結果なのですね。そんなことは百も承知、報道統制の為に、メディアは正面切った政策批判が出来ないのです。

 昨日40人ほどいたゴルフコンペは、平均年齢70歳の爺ばかりでありました。パーティーでは誰一人マスクもせず平気な顔でした。Kー1は自粛要請を振り切って強行しました。目黒川では、花見客が押し寄せているようであります。
明らかに緩んでまいりましたな。

 政府のやること言うことなど誰が信じますか。自分に優しく、人に厳しい総理大臣など何の価値もありません。何十兆円といわれる対策費も、実はほとんどが日銀から流す有利子の貸付ですし、休業補償は既に巨額の資金がある失業保険から支払われるのです。政府も、役人も消費税増税で潤ったはずの懐(税収=役人の持ち金)からは出す気がありません。役人は自分の属する省庁の予算を1円でも削ることはいたしませんから。
 日本は、お上が言うことを真に受け、なんでも「仕方ない」と受け止める国民性であります。ここに至っても、自民党の嘘つき政治を支持するおバカなお人好しであります。
 ワタシは、疑り深いので、これからが武漢熱の感染が本番ではないかと心底怖がっています。
 

 
コメント
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