植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

故郷は お茶を飲みのみ 想うもの

2020年03月14日 | 雑感
 先日、九州大分の実家に住む兄から、LINEで、中学校の先輩(兄の同級生)がガンに罹っっているという連絡が来ました。野球部の主将で信望が厚いかっこいい先輩でした。兄も仲良しだったのでかなりショックだったのでしょう。
 地元の大手金融機関で、支店長など歴任して関連会社の子会社に社長でいたのに。やっと最近現役を引退したとたんに病魔に侵されていると知り、先輩の快癒を願うばかりであります。

 昨日は、大分で茶園を代々営む同級生から「お茶」が届きました。お茶好きの家内に頼まれて商品を送ってもらったものです。中学の仲間とは、5年位前からグループLINEで十数人が参加し、毎日のようにやり取りしています。この茶園の友人は、実家からも近く、よく自宅に遊びに行きました。数年前、40年ぶりに再会し、握手して彼のごつく節くれた指に触れた時、何十年という彼の人生の重さを感じ、今もその力強い手の感触を覚えています。その前には、やはり中学の同級生の畑で取れたという「ネーブル」を頂きました。すーーーっぱい。けれどとても美味しかった。

 18歳で、故郷を離れ大学、就職、結婚生活と、神奈川県に居ついていつの間にか46年経ちました。そもそも友人付き合い自体を疎ましいと感じていたワタシ、仕事の忙しさにかまけ中高、大学の仲間とは疎遠というより絶縁状態になっていました。会社勤めは良くも悪くも自分の人間関係を一変させます。勤務時も退社後、休日も付き合うのは会社の同僚や先輩です。 

 いつしか、昔の同級生などからは年賀状すら来なくなり、同窓会・飲み会などもずっと欠席、散々みんなには不義理を働きましたな。今から思えば、関東方面でも、弁護士、国家公務員、医師など大活躍している仲間に比べ、しがない金融機関勤めのワタシは、気後れしていたのかもしれませんね。それが、定年を控え、大分に帰省して中学時代と高校生の還暦を祝う会に参加したころから、心境が変化したのか、ぼちぼちと付き合いが始まりました。
 昔の同級生は、何十年もあっていないので、顔も名前も分からなくなります。ところが、会って僅か十分も経つと、時空を超えあの時代にワープするのです。あの頃のことが蘇り、昨日までも仲間であったかのように打ち解けることができるのです。
 以来、いくつかのグループで、メールやLINEでのやり取りを行い、飲み会にも誘われます。旅行会・ゴルフにも行くようになりました。こちらも、無職で完全フリーになっておりますから何でも来い、てなものです。

 高校時代の友人が、会社を退職するという連絡が来ました。LINEでも、みんなから温かな祝意が届いていました。今月は、千葉でゴルフ予定の仲間の一人であります。いち早く60歳退職をしたワタシは、先輩風を吹かせて、余生の送り方をレクチャーするつもりであります。余計なお世話です。(笑) この仲間は更に、那須高原の友人宅でゴルフ・宴会も毎年行っています。

 持つべきものは(旧知)の友、故郷の仲間です。こんな言い古された言葉が身に染みる齢になったのでしょうか。この歳になると、里心が蘇るのかもしれません。故郷は遠くに有りて想うもの、ですが、とうとう武漢熱の感染者が出ているそうです。
 
 ワタシは、普段コーヒーばかりで、お茶を飲むという習慣がありません。やはり、ほとんどお茶を飲まなかった両親の影響かもしれませんね。家内に「おおーい お茶淹れて」といって手間をかけさせるのも嫌なので。

 でも今夜は、珍しく、届いたばかりのお茶を飲みながら、少しふる里のことを思い、家内に無理やり昔話を聞かせるとしますかな。
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