軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ガラスの話(3)中・東欧ガラス記-2/3

2017-12-22 00:00:00 | ガラス
 昼食後、チェスキー・クルムロフを出て、小雪が舞う中をバスで約220km離れたウィーンに向かった。日没の早いこの季節、ホテル到着時にはすでにあたりは暗くなっていたが、チェックインを済ませてすぐにクリスマス・マーケットが開かれている市庁舎公園に向かった。


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット1/6(2017.12.4 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット2/6(2017.12.4 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット3/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット4/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット5/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット6/6(2017.12.5 撮影)

 この場所には翌日の夕方と合わせて2回行くことになったが、食べ物や飲み物の屋台、さまざまなおみやげ用の小物を売る屋台で賑わっていて、その中には、ガラス器の店が1軒含まれていた。ここではエングレーヴィング加工を施したグラスなどを売っていた。

 同様のエングレーヴィング加工を施したガラス器を売る屋台は、翌日訪れたシェーンブルン宮殿の前の広場のクリスマス・マーケットの屋台にも1軒あったが、扱っている品物の出所は異なっているようで、加工技術に差が感じられた。


シェーンブルン宮殿前のガラス器を扱う屋台(2017.12.5 撮影)

 ウィーンでの最大の観光名所は、市街地の中央にある王宮(ホーフブルク)と市街地を少し離れた場所にあるシェーンブルン宮殿ということになるだろう。

 バスでまず向かったのは、マリア・テレジア・イエローに全体を彩られ、ヨーロッパでも有数のバロック建築といわれている、シェーンブルン宮殿の方。ここは、ウィーン中心部から約5km離れた場所で、ハプスブルグ家の夏の離宮。その名前の意味は「美しい泉」ということで、近くの森には澄んだ泉があったことから名付けられたという。

 1696年にレオポルド1世の命により設計・建設を開始し、途中財政難などで規模を縮小して完成した。その後、マリア・テレジアの時代に大改修が行われて、1749年に現在の姿が完成している。


正門側から見るシェーンブルン宮殿1/2(2017.12.5 撮影)


正門側から見るシェーンブルン宮殿2/2(2017.12.5 撮影) 
 
 冬季の今は、宮殿前の広場にはクリスマス・マーケットの屋台の準備がされ、宮殿裏側の大庭園では、来年の春に向けて造園の準備がされているところであった。


宮殿裏側の大庭園、遠方に見えるのは1757年、戦勝記念に建てられた記念碑「グロリエッテ」(2017.12.5 撮影)


戦勝記念碑「グロリエッテ」と庭園の彫像(2017.12.5 撮影)

 宮殿内には全部で1441室あり、その内40室が一般公開されている。今回はガイドの案内でさらにその一部を見学して回った。

 その内部の装飾や、絵画、調度品、暖房器具などはどれもが圧巻であったが、期待したディナールームでのガラス食器などの展示は見られなかった。


参考:ショップで購入したCDにあるディナールーム(ホーフブルク王宮のもの)の様子

 宮殿内部をガラスという視点で見て目立つのは、ボヘミアン・ガラス製のシャンデリアと大きな鏡ということになろうか。

 内部は撮影が禁止されていたので、実際の画像をここでお見せすることはできないが、シャンデリアはもちろん当時の物であろうと思う。一方、鏡の間などの壁を覆う巨大な鏡はというと、そのできばえはあまりに見事で、建設当時の技術でこれほど平坦なものはできないだろうから、おそらくは後年入れ替えられたものではないかと勝手に想像している。


参考:ショップで購入したCDからの鏡のある部屋(ホーフブルク王宮のもの)の様子

 その後市街地に戻り、国立歌劇場(オペラ座)の前からトラム(路面電車)に乗りもうひとつの見所の王宮(ホーフブルク)に向かった。13世紀後半から20世紀初頭までの645年もの長きにわたりヨーロッパを席巻したハプスブルグ家の居城である。


広場から見た新王宮正面、オイゲン公の騎馬像が見える(2017.12.5 撮影)

 こちらは内部を見る機会はなく、ナポレオンに初黒星をつけた偉大な英雄カール大公と、トルコ戦などで活躍したオイゲン公の騎馬像がある広い前庭から旧王宮の中庭を経てミヒャエル門に出た。この門の両側にはヘラクレス像の彫像が飾られ美しい。



前庭に設けられたカール大公の騎馬像、後ろ足で立ち上がる馬の姿は難度の高い技術が用いられているという(2017.12.5 撮影)


旧王宮中庭側から見たミヒャエル門(2017.12.5 撮影)


ミヒャエル広場側からのミヒャエル門(2017.12.5 撮影)

 また、このミヒャエル門の前方には、紀元前から500年にわたり続いたローマ帝国による支配時代の遺跡が発掘され、そのまま残されていて、この地がかつてはローマ帝国の一部であったことを思い起こさせる。


ミヒャエル門の前に残されているローマ帝国時代の遺跡(2017.12.5 撮影)

 ところで、オーストリアのガラス器といえば、やはりロブマイヤーを挙げなければならない。1823年にガラス細工職人であったヨーゼフ・ロブマイヤーが創設したクリスタルガラスの老舗であり、ウィーンに店舗を構え、ボヘミアのカリガラスを仕入れることからはじめている。1835年にはハプスブルグ家の紋章である「双頭の鷲」を彫刻したグラスなどを納める栄誉を得、皇室の御用達となった。

 このロブマイヤーの直営店が、高さ130mのウィーンのシンボルともいえるシュテファン寺院と国立歌劇場(オペラハウス)とを結ぶ長さ700mの大通りであるケルントナー通りにある。


ケルントナー通りの起点ともいえる一方の端にあるシュテファン寺院(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りのもう一方の端にある国立歌劇場(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りに面したロブマイヤーの直営店(2017.12.5 撮影)

 ここには各種グラス類からシャンデリアまでさまざまな高級なガラス器が揃っていて、1階の奥のコーナー部にはアンティークガラス器が展示されている。かつては1階が現行商品、2階がアンティークのミュージアムとなっていたようだが、今回訪問時にはアンティークコーナーがずいぶん小さくなっていた。

 このアンティークコーナーで1点、とてもかわいいそして珍しいグラスを見つけた。カップの部分が楕円形の緑色のウランガラス製、その他は無色透明なガラスでできているもので、カップと足の部分には非常に繊細なエングレーヴィングによる彫刻がある。


ロブマイヤーの直営店で見つけた1900年ころのアンティーク・グラス


同上拡大

 このウラングラスでできたカップ部分は、紫外光(ブラックライト)照射で緑色の蛍光を発する。ウランガラスはボヘミアで1830年ころに開発されたといわれており、その後フランス、アメリカ、日本などで作られていた。ウランの添加はもともとはガラスを黄色や緑色に着色させるために用いられたようであるが、太陽光下で蛍光色を発し、微妙に色合いが変化することから珍重されている。

 しかし、製品としては問題がないものの、製造工程では作業者の放射線被爆の問題が発覚し製造は一時中断されていた。最近、その人気から再び主にチェコやアメリカで生産が始まっているといわれていて、プラハのガラスショップでも新しい製品を見ることができた。


ブラックライト照射でカップ部分だけが緑色の蛍光を発する

 夜になっても賑わいをみせるケルントナー通りにはこのロブマイヤー店ほかスワロフスキーの店などもあり、もう少し時間がほしいところであった。(続く)


ケルントナー通りの夜景(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りにあるスワロフスキーの店(2017.12.5 撮影)



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