ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

上椎葉ダム

2021-10-29 23:06:26 | 宮崎県
2021年10月18日 上椎葉ダム
 
上椎葉ダムは宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良の二級河川耳川上流部にある九州電力(株)が管理する発電目的のアーチ式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な耳川水系では戦前から九州送電による電源開発が進められ、1938年(昭和13年)には戦前としては最も堤高が高い塚原ダムが建設されるなど、日本有数の電源地帯となっていました。 
電力管理法によって誕生した日本発送電は戦中より当地へのダム建設を検討、戦後の経済急回復を受け1950年(昭和25年)に日本初の本格的アーチダムである上椎葉ダム建設に着手します。 
しかし翌1951年(昭和26年)の電気事業再編令で同社は解体され、事業は九州電力が引き継ぎ、5年の歳月をかけた難工事の末1955年(昭和30年)に上椎葉ダムが完成しました。
竣工年度では島根県の三成ダムに遅れるものの、堤高100メートルを超える大ダムとしては日本初のアーチダムで、上椎葉ダムの成果は同じ九州電力の一ツ瀬ダムへと受け継がれのちに黒部ダムという大輪を咲かせることになります。
ここで取水された水は上椎葉発電所に送られ最大9万3200キロワットのダム水路式発電を行っています。
さらに2013年(平成25年)には河川維持放流を利用した上椎葉維持放流発電所(最大出力330キロワットの小水力発電)が稼働しました。
 
上椎葉ダムは両岸にジャンプ台式減勢工を備えた独自のスタイルとも相まってダム愛好家の間では『閣下』の愛称で親しまれています。
また特に毎年11月に開催される観光放流はダム愛好家のみならず一般観光客にも人気のイベントになっています。
上椎葉ダムは日本ダム協会により日本100ダムに、ダム湖の『日向椎葉湖』はダム湖百選に選ばれています。
また2018年(令和元年)には土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
上椎葉ダムには展望スポットが多く、事前に整理してゆかないと右往左往する羽目になります。
ダム下から
上椎葉ダムはいわゆる円筒型アーチ、ドーム型アーチのような圧迫感はない代わりに直下から見上げるとその高さを実感できます。
 
山中展望台への途中から
真正面は凹凸感が消え平面的な絵になります。
 
山中展望台から
ダムをこのアングルから見下ろせるのはいいですね。
貯水池の日向椎葉湖は総貯水容量は9155万立米。
有効貯水容量はダム便覧の7600万立米から堆砂の進行により6307万5000立米に減少しています。
 
椎葉村と言えば平家の落人伝説もあり九州山地の秘境というイメージですが、ダムは市街地近くてびっくり。
ダムのそばには中学校もあります。
堤高100メートル超えのダムと学校がワンフレームに収まるのはここだけかも?
 
右岸高台から
ゲート部分の屈曲がよくわかります。
 
ゲートは左右に2門ずつ、計4門
こちらは右岸のラジアルゲート。
 
ゲートを至近から。
 
右岸から
普通の広角ではフレームに収まらないので超広角で。
 
アングルを変えて。
左右両岸にジャンプ台式減勢工を備えることで、放流時、両岸から放流された水が谷の中央部でぶつかりエネルギーを相殺し堤体への影響を最小限にしようとしました。(ウィキペディア引用)。
 
天端中央から。
 
左岸ダム湖畔の取水設備
取水ゲートはキャタピラゲート。
 
左岸から。
 
ダムの銘板と選奨土木遺産プレート。
 
『日向椎葉湖』の石碑とダム湖百選のプレート
石碑は日向椎葉湖と命名した文豪吉川英治の筆。
椎葉は平家落人伝説の村、吉川英治は大河ドラマにもなった『新平家物語』の著者という縁。
 
左岸展望台から
やっぱりアーチダムは下流側高台から俯瞰するのが一番格好いい。
肉厚且つ円筒型アーチであることがよくわかります。
 
『大本命は一番最後にやってくる』と言いますが、耳川水系の最上流部にあるのが上椎葉ダム。
下流から順番にダムを辿って、最後に登場したのはやはり大本命でした。

2815 上椎葉ダム(1728) 
宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良 
耳川水系耳川
110メートル
341メートル
91550千㎥/63075千㎥
九州電力(株)
1955年


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