ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

藤沼ダム(再)

2023-03-24 18:00:00 | 福島県
2016年4月24日 藤沼ダム(再)
2023年3月17日

藤沼ダム(再)は福島県須賀川市江花の阿武隈川水系簀ノ子川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
須賀川市の江花川および簀ノ子川流域は地味は豊かながら河川の流域面積が小さいため渇水が多く灌漑施設の整備が強く求められてきました。
これを受け1937年(昭和12年)に県営事業として藤沼貯水池建設事業が着手されますが、戦況悪化に伴う人員物資不足等によりに事業は一時中断、着工から12年目の1949年(昭和24年)に藤沼ダム(元)が竣工しました。
管理は江花川沿岸土地改良区が受託し、江花川および簀ノ子川流域約830ヘクタールの水田に灌漑用水供給しています。
その後、ダム湖周辺は日帰り温泉やキャンプ場、欧州風コテージなどを備えた藤沼湖自然公園として整備され、年間10万人が利用する人気スポットとなり、藤沼湖はため池百選にも選ばれました。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災により堤体が決壊、150万トンの水が一気に流下し8人の死者を出す大惨事となりました。
地震による貯水池・農業用ダムが決壊して死傷者が出たのは、世界的に見ても1930年以来例がなく非常にまれな災害となりました。
2013年(平成25年)に県営災害復旧事業等によるダム再開発事業が着手され、2019年(令和元年)に主ダムの藤沼ダム(再)と副ダムの藤沼副ダム(再)が竣工しました。
藤沼ダム(再)には建設工事中の2016年(平成28年)4月に初訪、震災から12年、13回忌に当たる2023年3月に再訪しました。

主ダムの藤沼ダム(再)と副ダムの藤沼副ダム(再)の位置関係
赤が主ダム、緑が副ダムになります。


先ずは主ダムのダム下へ
ダム直下は立ち入り禁止のため下流から遠望するのみ。

 
ダム決壊の際はこの杉林を薙ぎ倒し150万トンの水が流出、下流で死者8名を出す大惨事となりました。
沿岸に津波到達以前に発災しており、震災での最初の犠牲者とも言われています。


右岸から
堤高31.4メートル、堤頂長149.2メートルの堤体
天端標高は旧ダムと変わりませんが、より安全度の高い基礎岩盤まで掘削したため堤高は18.5メートルから大きく増加しました。
ダム下のコンクリートは『浸透水観測室』入り口。


天端はダム周回道路が通り車両通行もできます。
上流面は砂利石が敷かれています。

 
総貯水容量150万立米の藤沼湖。
集水の大半は簀ノ子川からの導水によります。
正面はダム管理事務所で平日は土地改良区職員が常駐しています。


左岸の洪水吐導流部。


左岸の横越流式洪水吐
4月半ばからの通水に備えほぼ満水。


藤沼ダムの受益農地は広範にわたるため3か所の取水設備が設置されています。
これは1号取水工。


主堤の藤沼ダム(再)と藤沼副ダム(再)の位置関係
副ダムは主ダムの南側にあり、左奥が藤沼ダム(再)、右手が藤沼副ダム(再)となります。


湖畔には各種記念碑が並びます。
こちらは1949年(昭和24年)の竣工記念碑。


2011年(平成23年)3月の改修事業竣工記念碑。
皮肉なことにこの直後に震災に余より被災、決壊事故が発生しました。


2017年(平成29年)の復興事業竣工記念碑。


湖畔は藤沼湖自然公園として整備され、ため池百選に選ばれています。
左岸にはコテージやキャンプ場が並びます。

 
こちらは2016年4月訪問時の写真。
写真は副ダム(再)で提体の盛り立てはすでに完了していました。

1枚目写真の下流から撮影
決壊の際の流路となった杉林です。

地震によってアースフィル堤体が決壊し死者が出るという世界的にも稀有な事故があったダムです。
藤沼ダム決壊を契機に全国的に溜池ハザードマップの製作が進められ、また農水省によるため池データベース編纂の端緒にもなりました。
不幸な事故ではありましたが、その反省を生かし今後の防災に生かしてゆかねばならないと痛感します。

参考資料

3679 藤沼ダム(再)(0324)
福島県須賀川市江花
阿武隈川水系簀ノ子川
31.4メートル
149.2メートル
1500千㎥/1480千㎥
江花川沿岸土地改良区
1949年 藤沼ダム(元)竣工
2011年 東日本大震災で被災
2019年 藤沼ダム(再)竣工


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