ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

笹平ダム

2020-06-25 11:10:00 | 長野県
2015年11月 7日 笹平ダム
2020年 6月21日
 
笹平ダムは長野県長野市七二合の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められますが、これらの発電施設の大半は1939年(昭和14年)の電力国家統制法により日本発送電に接収されました。
犀川本流の生坂村から長野市に至る部分は渓谷と蛇行を繰り返し『犀峡』と呼ばれていますが、ここでも1939年(昭和14年)から日本発送電による電源開発が進められ、1943年(昭和18年)に水内ダム及び発電所が完成しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため日本発送電は犀川でのさらなる電源開発を推進し、水内ダム下流に2基のダム・発電所の建設を目論みますが、1951年(昭和26年)の電力事業再編政令により同社は解体され犀川流域の発電事業の多くは東京電力が継承しました。
犀川本流での東京電力初の事業として1952年(昭和27年)に着工、1954年(昭和29年)5月に完成したのが笹平ダムと笹平発電所です。
笹平発電所は東京電力初の半地下式発電所として建設され、最大1万4700キロワットのダム式水力発電を行っています。
さらに笹平ダム・発電所に遅れること3カ月で小田切ダム・発電所が、さらに1957年(昭和32年)に平ダム・発電所、1964年(昭和39年)には生坂ダム・発電所が運用を開始し、現在は5基の発電所で合計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至っています。
1978年(昭和53年)には犀川総合制御所が設置され、5発電所の一括遠隔操作が開始されました。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により笹平ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。
 
笹平ダム湖では1985年(昭和60年)に日本福祉大学の学生を乗せた三重交通のスキーバスが転落、25人の犠牲者を出す悲惨な事故が起きており、湖畔には事故の慰霊碑が建てられています。
 
長野市街から国道19号を西進、小田切ダムから約4キロ進むと笹平ダムに到着します。
笹平ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
 
ダム左岸に遊歩道が整備され、下流からダムを見ることができます。
クレストにはラジアルゲートが8門並び、ゲートピアに巻き上げ機が並んでいます。
 
ダム左岸に取水ゲートと笹平発電所があります。
東京電力としては初めて採用された半地下式発電所です。
 
上流側から見た左岸の取水ゲート。
 
沈砂池。
 
2度目の訪問時は発電所改修工事のため沈砂池には水がありませんでした。
(2020年6月21日)
 
上流から
手前に発電用取水口のスクリーンがあります。
 
ほぼ同じアングルで2度目の訪問時の写真です
発電所改修工事のためダムのゲートはすべて開けられダム湖の水位は下げられています。
(2020年6月21日)
 
天端は開放されています。
発電所改修工事のためゲートはすべてフルオープン
天端下流側にゲートが並ぶ、普段は見られない貴重なショットとなりました。
(2020年6月21日)
 
右岸上流から
水位が下がっているので左岸の取水口スクリーンがよく見えます。
(2020年6月21日)
 
フルオープンのゲート
(2020年6月21日)
 
2度目の訪問では発電所改修工事のため、ゲートがすべて開けられダム湖の水位が下がった貴重な光景を目にすることができました。
ただ、工事中のためダム下流の遊歩道が立ち入り禁止となり、取水ゲートフルオープンの眺めを下流側から見れなかったのは残念です。
 
(追記)
笹平ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  
 
1004 笹平ダム(0042) 
長野県長野市七二会
信濃川水系犀川

19.3メートル
113.3メートル
2755千㎥/493千㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム


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