ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

木地山ダム

2023-09-04 17:00:51 | 山形県
2016年9月 5日 木地山ダム
2023年7月23日
 
木地山ダムは左岸が山形県長井市寺泉、右岸が同市平野の一級河川最上川水系置賜野川最上流部にある山形県県土整備部が管理する多目的中空重力式コンクリートダムです。
最上川の主要支流の一つである置賜野川は古くから流域の貴重な灌漑用水源となる一方、河況係数が高く洪水や渇水が頻発していました。
終戦直後に山形県は『野川総合開発事業』を採択、1954年(昭和29年)に管野ダムを建設しますが、ダム建設中の1953年(昭和28年)に計画量を越える洪水が発生、さらに流域での新規農地開拓が進み管野ダムの利水容量不足が顕在化しました。 
これを受け県は管野ダム上流への新たなダム建設に着手、1960年(昭和35年)に竣工したのが木地山ダムです。
建設地点へのコンクリートプラント設置が困難なことからコンクリートの節約が見込める中空重力式が採用され、東北地方初の中空ダムとして完成しました。
木地山ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、当初は置賜野川の洪水調節、不特定灌漑用水への補給、山形県企業局野川第二発電所(最大出力1万1000キロワット⇒のちに8900キロワット)の発電を目的として運用が開始されました。
その後、2010年(平成22年)の長井ダム完成に伴い洪水調節容量は省かれダムの目的はNPに変更されました。
木地山ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時が記載してあります。
 
長井ダムから隘路の県道252号線を約10キロ北上すると、木地山ダムに到着します。
(2016年6月18日)

同じアングルから
再訪時は左岸ゲートから放流中。
(2023年7月23日)

ズームアップ
右岸(向かって左)ゲートにはフラッシュボードがついています。
豪雪地帯ということでピアは被覆。
(2023年7月23日)


中空ダムらしく堤頂部には襟がなく堤頂からすぐにスロープが始まります。
(2016年6月18日)


天端高欄には十字が施された窓があります。
簡素ですがこだわりが感じられる意匠。
上段の手すりは後付け。 
(2023年7月23日)


天端は県道252号線で車両通行ができます。
ダム上流には日本300名山の祝瓶山登山口があり、約1時間の見学中も2台ほど車が通過しました。
(2023年7月23日)

上流面
再訪時は水位が高く、中空ダムのウリであるタコ足スリットは見えず。
奥の三角屋根は管理事務所。
(2023年7月23日)


天端はゲート部分だけ上流側にクランクしています。
(2023年7月23日)

ゲート越しに導流部と減勢工を見下ろします。
導流部先端にはシュートブロックが設置されています。
(2016年6月18日)


再訪時、同じアングルで
梅雨前線による雨で水位が上がり絶賛放流中。
シュートブロックによる減勢効果がよくわかります。
(2023年7月23日)

ダム湖は総貯水容量820万立米
奥には朝日連峰が連なり、左の尖峰が日本300名山の祝瓶山。
(2023年7月23日)

三角屋根のおしゃれな事務所とインクライン。
巡視を終えた船がちょうど格納中。
(2016年6月18日)


上流面
初訪時は水位が低く、タコ足スリットが頭を出していました。
(2016年6月18日)


右岸湖岸にある山形県企業局野川第二発電所(最大出力8900キロワット)の取水口。
(2023年7月23日)


巡視を終えた船艇
このあと艇庫に格納されます。
(2016年6月18日)


左岸ダムサイトの記念碑
ダム建設に至る経緯が詳細に刻されています。
(2023年7月23日)
 

木地山ダムでの中空ダム建設の経験は、同じく建設地点へのプラント建設が困難だった蔵王ダムに生かされてます。

(追記)
木地山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0428 木地山ダム(0549)
左岸 山形県長井市寺泉
右岸     同市平野
最上川水系置賜野川
NP
HG
46メートル
168.2メートル
8200千㎥/6400千㎥
山形県県土整備部
1960年
◎治水協定が締結されたダム