ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

羽布ダム

2016-01-13 14:00:00 | 愛知県
2016年1月11日 羽布ダム
 
羽布ダムは愛知県豊田市の矢作川支流巴川にある重力式コンクリートダムです。
戦争末期の1944年~45年(昭和19年~20年)に起こった矢作川流域の大干ばつを受けて、農林省の矢作川農業水利事業の中核として1962年(昭和37年)に竣工、1964年(昭和39年)の運用開始と同時に愛知県が管理を行っています。
ダム便覧ではダムの目的は『A』のみとなっていますが、1997年(昭和62年)からは岡崎市の上水道供給も担っているため、正確なダムの目的は『AW』になります。
ダム湖は三河湖として親しまれ四季を通じて多くの観光客が訪れ、特に新緑や紅葉シーズンには駐車場から溢れた車が天端に並ぶほどの盛況になる様です。
 
岡崎から国道473号をひたすら北上すると豊田市作手で三河湖を示す標識が現れます。
これに従って県道を右折すると羽布ダムに到着します。
本来なら堤体直下まで遊歩道が通じていますが、小水力発電所の建設工事のため立ち入りできず下流の橋からの撮影となります。
 
天端は車両通行可能で、ハイシーズンには駐車場から溢れた車が天端に路駐されることもあるようです。
 
減勢工には副ダムが二基あります。
バルブから轟音を立てて放流中、バルブ操作室の隣に小水力発電所を建設工事中です。
 
赤いラジアルゲートと導流部。
 
放流をズームアップ。日があたると虹が出ます。
 
上流面。
対岸に管理事務所があります。
観光シーズンには多くのボートがダム湖に浮かぶようです。
 
右岸から。
 
(追記)
羽布ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1222 羽布ダム(0189)
愛知県豊田市羽布町鬼ノ平
矢作川水系巴川
AW
62.5メートル
398.5メートル
19363千㎥/18460千㎥
愛知県農林水産部
1962年
◎治水協定が締結されたダム

佐布里ダム

2016-01-13 13:00:00 | 愛知県
2016年1月11日 佐布里ダム
 
佐布里(そうり)ダムは愛知県知多市にある愛知県企業庁が管理するアースダムで、愛知用水の調整池となっています。
木曽川から愛知用水で導水された水をここで貯留し、隣接する知多浄水場から名古屋南部臨海工業地帯へ送水しています。
ダム湖畔には佐布里梅園があり愛知県有数の梅の名所となっています。
 
県道254号線の佐布里大橋を渡ると堤体右岸に到着します。
佐布里大橋から
右手は洪水吐で2門のスライドゲートがあります。
調整池なのでこの程度の洪水吐で十分なんでしょう。
左奥に知多浄水場への取水設備があります。
 
下流面は水資源機構の調整池らしく綺麗に整備されています。
 
天端から
彼方に名古屋南部臨海工業地域の煙突が見えます。
佐布里ダムは工業用水専用の調整池です。
 
上流面はロックフィル。
 
ダムサイトには愛知用水についての詳しく学ぶことができる『水の生活館』が設置されています。
梅の見頃は2月後半から3月後半の1カ月。
 
1224 佐布里ダム(0188)
愛知県知多市佐布里
木曾川水系愛知用水
21メートル
180メートル
5300千㎥/5000千㎥
愛知県企業庁
1965年

前山ダム

2016-01-13 12:00:00 | 愛知県
2016年1月11日 前山ダム
 
前山ダムは愛知県常滑市にある灌漑用アースダムで知多半島最大の農業用溜池となっています。
当初愛知県のかんがい排水事業で整備され、その後愛知用水の2期事業に取り込まれ1990年(平成2年)に竣工しました。
愛知用水土地改良区が管理を行い、愛知用水から灌漑用水を受給して前山ダムで貯留し受益者に給水します。
 
ダム周辺は愛知県の水環境整備事業で前山ダム公園として整備され、ダム右岸には遊歩道も設置されています。
訪問したのが冬枯れの午前ということもあったんでしょうが、公園を利用する人はおらず駐車場は仕事さぼりの営業マンの車が数台止まっているだけでした。
左岸に愛知用水総合管理所下流管理所があります。
 
天端は2車線分以上の幅がありますが、歩行者のみ立ち入り可能。
 
取水塔。
 
洪水吐は自由越流式ですが越流面内側にゲートがある変わった形状です。
左手のゲートが常用洪水吐に相当するんでしょう。
 
洪水吐導流部。
 
下流から。
 
1241 前山ダム(0187)
愛知県常滑市金山石坂
矢田川水系前山川
18.4メートル
244メートル
985千㎥/972千㎥
愛知用水土地改良区
1990年

小渕防災溜池

2016-01-13 11:00:00 | 岐阜県
2016年1月10日 小渕防災溜池
 
小渕防災ダムは岐阜県可児市にある農地防災および灌漑目的のロックフィルダムです。
1951年(昭和26年)に農林省(現農水省)の補助を受けた岐阜県の防災ため池事業で建設され、運用開始後は可児川防災等ため池組合が管理を行っています。
竣工ベースではわが国最初のロックフィルダムとされており、ダム上流面のコンクリートで遮水するコンクリート表面遮水壁型ロックフィルダムという珍しい型式のダムです。
なおダム便覧では目的が農地防災容量のみの『F』となっていますが、実際には灌漑容量も配分されており、ただしくは『FA』となります。
 
可児市街から県道84号を東進すると右手に小渕防災溜池の堤体が見えてきます。
右岸に取水設備からの導水路が伸びています。
 
ロックフィルというよりも石垣って感じ。
堤体中央に階段があり、アースダムっぽい形状です。
 
堤体から
真下の池はドレーンパイプの出口となっており、ここに漏水が集まるようになっています。
 
天端は立ち入り可能。
 
貯水池は総貯水容量55万2000立米
当ため池は2種防災ため池で、非洪水期はすべて灌漑容量となり一方、洪水期には常時30万3000立米(最大49万立米)の農地防災容量が配分されます。
右岸に取水設備があり貯水池を東海環状自動車道が跨ぎます。
 
左岸の洪水吐。
 
テーブル型の洪水吐。地山の岩盤を利用して作られています。
ダム上流面はコンクリートで遮水処理されています。
 
(追記)
小渕防災溜池には農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1074 小渕防災溜池(0186)
ため池データベース 212140013 
岐阜県可児市可児町久々利
木曽川水系久々利川
FA
20.5メートル
53メートル
552千㎥/538千㎥
可児川防災等ため池組合
1951年
◎治水協定が締結されたダム

八百津郷土資料館 旧八百津発電所貯水槽

2016-01-13 10:30:00 | 岐阜県
2016年1月10日 八百津郷土資料館 旧八百津発電所貯水槽
 
八百津発電所は1911年(明治44年)に当時の名古屋電力木曾川発電所として竣工、当時は7500キロワットの発電を行っていました。
その後電力会社の合併連衡を経て東邦電力の所有となり日本発送電を経て戦後は関西電力が継承しました。
1974年(昭和49年)に運転を休止、設備は八百津町に譲渡され、1988年(昭和63年)に八百津郷土館として開館、1998年(平成10年)に発電所及び貯水槽は国の重要文化財に指定されました。
 
旧八百津発電所建屋。
現在は八百津郷土資料館となっています。
 
1917年(大正6年)に増設された放水口発電所。
当時は1200キロワットの発電を行っていました。
 
放水口発電所への取水口。
 
放水口発電所の発電機。
 
放水口発電所建屋。
 
資料館内部。
八百津発電所の発電機が当時のまま並んでいます。
 
 
旧発電所の裏山にある貯水槽
当時はここから発電所まで水圧鉄管が伸びていました。
 
取水ゲートと余水路。
 
取水口にはスクリーンがあります。
 
 
余水路
 
明治時代からの発電施設を学べる貴重な施設です。
こちら方面に足を延ばす機会があれば何度も訪問してみたいですね。
 
旧八百津発電所  八百津発電所貯水槽
岐阜県加茂郡八百津町八百津

笠置ダム

2016-01-13 09:00:00 | 岐阜県
2016年1月10日 笠置ダム
 
1924年(大正13年)に大井ダムを完成させた大同電力は木曾川流域での電源開発を一段と推進、1936年(昭和11年)に大井ダム下流の木曾川に建設されたのが笠置ダムです。
笠置ダムは日本発送電を経て戦後は関西電力が継承、隣接するダム式発電所の笠置発電所で最大4万1700キロワットの発電を行っています。
笠置ダムと笠置発電所はその歴史的価値から近代土木遺産に選定されています。
 
恵那市街から県道68号を北上、河合交差点から木曽川右岸の道を下流に辿ると、ドン詰まりに笠置ダムがあります。
ダムの敷地はフェンスに囲まれすべて立ち入り禁止。
フェンス越しに何とか堤体を撮影できました。
 
木曽川の水に洗われコンクリートが白く輝いています。
鉢状の減勢工はいかにも戦前のダムらしいフォルム。
 
笠置発電所。
こちらも戦前の建物です。
 
三つの丸いバルコニーのような出っ張りは取水口です。
 
上の写真の出っ張りの裏側がこちら。
取水口ゲートはもちろん関電ブラック。
 
発電用ダムなので水位はいっぱいいっぱいです。
 
ダムの右岸側に壁にへばりつくように古い遺構?半ば廃墟?が残っています。
ここはダム建設時のコンクリート混合工場だったそうです。
 
追記
笠置ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに705万5000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1063 笠置ダム(0184)
左岸 岐阜県瑞浪市大湫町
右岸  同県恵那市飯地町
木曾川水系木曾川
40.8メートル
154.9メートル
14121千㎥/6475千㎥
関西電力(株)
1936年
◎治水協定が締結されたダム

長良川河口堰

2016-01-13 08:00:00 | 三重県
2016年1月10日 長良川河口堰
 
長良川河口堰は河口から5.4キロ上流に設置された全長661メートル(可動部555メートル)の可動堰で、水資源機構により1994年(平成6年)に建設され、翌1995年(平成7年)から本格運用が行われています。
長良川は流域に洪水調節のためのダム建設適地がなく、下流域では川底を掘り下げることで洪水対策を行っていました。しかし川底を掘り下げることで海水の逆流を招き流域で深刻な塩害が発生、逆流防止のための堰の設置を望む声が高まりました。
こうした状況に対処するとともに、長良川からの利水目的で建設されたのが長良川河口堰です。
長良川河口堰の完成により、海水の遡上を防止し長良川の浚渫を可能にし洪水を安全に流下させることが可能となりました。また北伊勢工業用水や長良用水を通じて工業用水、上水道の供給を行っています。
長良川は日本で唯一源流から河口まで堰のない大河であり、堰の完成による生態系や漁業への悪影響などが懸念され反対運動が起こり、建設の是非をめぐる論争が発生しました。長良川河口堰の建設は公共事業のあり方や河川管理や産業振興、環境保護のあり方についての論点を提起するきっかけとなりました。
 
長良川河口堰左岸に河口堰管理所と展示資料館『アクアプラザながら』があります。
 
近未来的なデザインのゲート操作室
堰の上は歩行者のみ通行可能。
往復すると1.2キロです。
 
左岸の魚道。
 
ゲート。
 
右岸の閘門。
 
閘門のゲート。
 
まるで宇宙基地のような眺め。
 
右岸の魚道
一般的な魚道に加えて、よどみのあるより自然に配慮した魚道が設置されています。
 
1329 長良川河口堰(0183)
左岸 三重県桑名市長島町十日外面
右岸     同市福島
長良川水系長良川
FWI
MB
8.2メートル
661メートル
水資源機構
1994年

伊坂ダム

2016-01-13 07:00:00 | 三重県
2016年1月10日 伊坂ダム
 
四日市を中心とする伊勢湾臨海部は古くから紡績を中心とした工場が集積してきました。さらに昭和30年代から石油コンビナートが形成され日本有数の工業地帯へと発展しました。
工業の発展に伴う工業用水の需要急増に対応して、三重県は1953年(昭和28年)から四日市工業用水道の整備に着手し1956年(昭和31年)から給水を開始、その後第4期までの整備事業を経て現在の北伊勢工業用水が整備されました。
伊坂ダムは1966年(昭和41年)に北伊勢工業用水の調整池として建設されたアースダムです。員弁川の安永頭取工で取水された水は伊坂ダムに隣接する伊坂浄水場を経て四日市工業地帯へ送られますが、伊坂ダムはその調整池となっています。
 
ダム湖の周回路は遊歩道・サイクリングロードとして整備されダム湖畔には伊坂サイクルパークが設置されています。
ダムを訪問した1月10日は晴天の休日ということでランニングやウォーキング、サイクリングを楽しむ多くの人でにぎわっていました。
 
四日市市街から県道9号を西進、東名阪道を潜り、伊坂ダムの標識に従って右折するとダムに到着します。
堤体下流面に『三重県企業庁 伊坂ダム』の植栽があります。
 
上流面はロックフィル、ダム湖の周りは周回路として整備されています。
 
ダム湖の奥には鈴鹿山脈が望めます。
 
大きな洪水吐。
 
河道外水系ということで洪水吐が機能することはほとんどなさそう。
 
ダムからは四日市コンビナートや伊勢湾が見えます。
 
1315 伊坂ダム(0182)
三重県四日市市伊坂町
北緯35度01分19秒,東経136度37分07秒
河道外水系
34.5メートル
775メートル
3780千㎥/3715千㎥
三重県企業庁
1966年

山村ダム

2016-01-13 06:00:00 | 三重県
2016年1月10日 山村ダム
 
四日市を中心とする伊勢湾臨海部は古くから紡績を中心とした工場が集積してきました。さらに昭和30年代から石油コンビナートが形成され日本有数の工業地帯へと発展しました。
工業の発展に伴う工業用水の需要急増に対応して、三重県は1953年(昭和28年)から四日市工業用水道の整備に着手し1956年(昭和31年)から給水を開始、その後第4期までの整備事業を経て現在の北伊勢工業用水が整備されました。
山村ダムは1973年(昭和48年)に北伊勢工業用水の調整池として建設されたアースダムです。木曽川の馬飼頭首工で取水された水は山村ダムに隣接する山村浄水場を経て四日市工業地帯へ送られますが、山村ダムはその調整池となっています。
 
北伊勢工業用水概要図(三重県企業庁のホームページより)
 
山村ダムは東名阪道と伊勢湾道の四日市ジャンクションに隣接しており、みえ朝日インターから10分ほどでダムに到着します。
ダムからは鈴鹿山脈が望め正面に御在所岳がそびえています。
 
堤体のすぐ下を伊勢湾道が通っています。
 
上流面と洪水吐。
 
洪水吐は草ぼうぼう。
 
上流面はロックフィルになっています。
 
ダム湖の奥を北伊勢工業用水路の導水管が通っています。
この導水管は木曽川の馬飼頭首工で取水されダムに隣接する山村浄水場へ送られるラインです。
 
1322 山村ダム(0181)
三重県四日市市山村町
朝明川水系宇奈川
37メートル
749メートル
2340千㎥/2183千㎥
三重県企業庁
1973年