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晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

野口 健の「落ちこぼれてエベレスト」を読んで         269

2011年05月29日 13時51分49秒 | 山登り
■本日(5/28<土>)は、05:00に目が覚め小原庄助さんではありませんが、朝湯。
昨日は久しぶりに夕食、“梅酒”を一杯飲むと下戸の私は直ぐにZzz・・(経済的(笑))。


■野口 健の「落ちこぼれてエベレスト」を読んで
千葉県君津市立中央図書館で借りていた野口健の“落ちこぼれてエベレスト”を朝から読書。
(山の神や娘は休みなのでお寝坊すると・・・。)

野口健というと、清掃登山のイメージがあり、それ以外はあまり知りませんでした。
今回、本書を読んで、野口健の認識を新たにしました。いくつかのポイントを。

○世界7大陸の最高峰
地球上にある7つの各大陸で最も標高が高い山
・アジア大陸:エベレスト(ネパール・中国) 8,848m
・旧ヨーロッパ大陸:モンブラン(フランス) 4,810m
・新ヨーロッパ大陸:エルブルース(ロシア) 5,642m
 (冷戦の終結はヨーロッパ最高峰が変わる)
・北アメリカ大陸:マッキンリー(アメリカ合衆国) 6,194m
・南アメリカ大陸:アコンカグア(アルゼンチン) 6,959m
・アフリカ大陸:キリマンジャロ(タンザニア) 5,895m
・オーストラリア大陸:コジアスコ(オーストラリア) 2,228m
・南極大陸:ビンソン・マッシーフ(南極半島付近) 4,892m

○生い立ち
父は外交官、母はギリシャからの移民でエジプト国籍(JALカイロ支店で働いていた)、
次男でアメリカボストン生まれ(1973年8月21日 両親はその後離婚、共に再婚)。
カイロ日本人学校の小学部に通い、父の転勤によりイギリスのブライトン郊外にある
立教英国学院で中学校・高等学校で学ぶ。
成績が悪く、不良。学校の先輩と喧嘩して、謹慎処分後、1ヶ月の停学処分で日本に戻り、
関西方面に一人旅、たまたま入った大阪の書店で“植村直己”の著書「青春を山に賭けて」
と出会い、人生が変わる。

○高校生で世界7大陸の最高峰に挑戦
▲:モンブラン (フランス:1990年8月)
山頂に達した。ヨーロッパ最高峰の頂からの眺めは素晴らしい。
次は、キリマンジャロだ! 植村さんに続くんだ。
モンブランに登って、本当にやりたいことをやっと見つけたような気がした。

▲:キリマンジャロ (タンザニア:1990年12月)
やっと頂上だ。頭痛で朦朧とする頭を抱え、よし、これで2つ終わった。あと5つだ。
キリマンジャロの山頂で、7大陸最高峰の登頂を決心した。

○大学
亜細亜大学に一芸一能入試で受験。
面接で面接官に「僕はモンブランとキリマンジャロを登っている。入学したら、在学中に世界
7大陸の最高峰のすべてに登ってみせます」と。合格通知 「山登りで大学生になっていた」。

▲:コジアスコ (オーストラリア:1992年9月)
コジアス山頂は、スキー場の上にあった。リフトで上がってきた連中は、「スキー場まで何しに
来たんだ」地元の人は、コジアスコがオーストラリア最高峰であることに何の関心もないようだった。
地図を見ながらやっと山頂にたどり着いた。感動はなかった。最も楽な最高峰だった。

▲:アコンカグア (アルゼンチン:1992年12月)
風邪を引いて高熱、ベースキャンプのテントで寝ていると時、急に呼吸困難に陥った。
息をすると肺がものすごく痛む。鎮痛剤を服用しながら、高山病となるが、一歩一歩足を
進め頂上へ。

▲:マッキンリー (アメリカ合衆国:1993年6月)
腰に2mくらいの竹竿を着けていた。視界は白一色、完全なホワイトアウトだ。
軽い衝撃があった。気が付くと、両足が地面に触れていない。
ピッケルを対岸に刺して這い上がったと思うが、まった記憶にない。
早く登りたい、植村さんの眠るこの山の頂に・・・・。
僕はマッキンリーの山頂に立った。下は一面の雲海。爽快な気分だった。
あとは、南極とエベレストだ。

▲:ビンソン・マッシーフ (南極:1994年12月)
強風の中、僕たちは山頂に立った。
「植村さん、僕は登ったよ」自然に涙が出てきた。
その日、僕は日記を記した。
「植村さん、俺はエベレスト、なにがなんでも登るぞ!」。

○ラムとの結婚
 (1995年2月~3月)
エベレストの前に、ネパールのメラ・ピークだ。過去2回挑戦して、頂上に立つことができなかった山。
シェルパ頭の家に招待された。娘は頭(父親)に言われて、僕の身の回りの世話をしてくれた。
彼女(ラム)は英語ができなかった。父親は、15か16だと言う、娘の正確な年齢がわからない。
ラムとの会話は従兄弟にあたるデンディに通訳を頼んだ。
ラムのことが好きになり、シェルパの民族衣装を身のまとい、結婚式。
帰国の時、ネパールには戸籍という考え方がない、そして15歳では結婚できない。
彼女に町の生活に慣れて貰うためカトマンズの彼女の親戚に預け住んでもらう。
毎月、送金4万円がやがて10万円となり、そして離ればなれの結婚生活は2年余りで終止符。

▲:エルブルース (ロシア:1995年12月~1996年1月)
2度目の挑戦。僕らはついに登頂した。吹雪のため、視界がまったくない。
下山してすぐにルートを見失う。トレースは強風のため、きれいになくなっている。
ガイドのギーナが叫んだ。風でガスが晴れた一瞬、パスツーコフ岩の陰が見えたという。
僕たちはやっと登山ルートに戻ることができた。

▲:エベレスト (ネパール:1999年3月~5月)
世界最高峰へ、3度目の挑戦。
前日、山頂にアタックをかけた隊員が続々と山を下りてくる。皆ふらふらになっている。
シャルパに担がれている者、高山病で顔が膨れ上がっている者、凍傷で顔がグシャグシャに
なっている者もいる、やはり、この山はそう簡単に頂きを踏ませてくれない。
10年間こだわり続けた、7つの山の最後の頂へ。
植村直己さんに導かれてやってきた、あの高みへ。

○登頂最年少記録
1995年:アメリカ人の登山家が29歳で達成
1999年5月13日:日本の野口健が25歳で達成
2001年5月23日:日本の石川直樹が22歳で達成
2007年:アメリカ人のサマンサ・ラーソンが18歳で女性最年少記録も同時達成

○その後の野口健の活動
エベレストの“清掃登山”やシャルパの遺族を救う“シャルパ基金”を設立。
現在は、日本の国立公園や各地の山、講演会、自然教室など、環境問題の普及を提唱。
亜細亜大学卒業後、青森大学大学院環境科学研究科環境教育学専攻。
了徳寺大学客員教授。

※一気に読み、野口健が好きになりました。講演会でもあれば行きたいし、応援もしたい。

※やはり登山は自己責任ですね、体力と技術、そして強い意志、さらに運(天候・雪崩・落石等)
も必要となります。失敗は次への強い意志と原動力となり、そして頂きの達成感と充実感、満足
感が高まります。登山は奥が深いと感じました。


★2013.03.09:千葉県環境大使 野口健さん講演会を聴きに行く



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栗城史多(くりき のぶかず)講演会in君津

2011年02月13日 20時52分55秒 | 山登り
■2011.2.12(土)講演会のチケット・キャンセル待ちOKの連絡があり、2/13(日)栗城史多の講演会
に行きました。


■栗城史多 講演会in君津
年末に購入した娘と兼用の真っ赤な自転車(ママチャリ)で会場に向かう。
ちなみライトはタイヤの回転で発電するので負荷が掛りません。

12:00到着しましたが、開場まで時間があるので、君津市立中央図書館で “栗城史多” 2冊目
の本 「NO LIMIT(ノーリミット) 自分を超える方法」 を借りる。
※世界七大陸最高峰の単独・無酸素登頂に挑む若き登山家

12:30“君津市生涯学習交流センター”多目的ホールでチケット(2,500円<少し高めでしたが、
山の神が500円カンパして貰う>)を求め並ぶ。
約50~60名の行列、若い女性が多い(追っかけ?)。13:00開場で前から4列目の椅子に座る。
入口前で書籍とTシャツ(5,000円)の販売。応援旗に“ビスタリ ビスタリ(ネパール語でゆっくり)頂へ”
と書いていると、「房総の山親爺」さんが奥様と一緒に会場に。
会場風景、多目的ホールの収容人員は250名です、開演中はカメラの撮影は禁止のため、
Webの画像と同じ。

13:30開演、スクリーンにエベレスト登頂の動画が流れる。
荒い息と白銀の世界が続く、ベースキャンプとの交信・・・。

その後、軽快なトーク、“とつとつ”と話すと思っていましたが講演会慣れか、生い立ちや山登り
を始めたきっかけ、大学山岳部、ひきこもり、父親への感謝、活動資金集めなど・・。
時折、スクリーンに写真が写しだされ、迫力と説得力がありました。

あっという間に、1時間30分の講演時間が過ぎ、“夢のかなえ方教えます”は
「自分のやりたいことを言葉にして伝える、そしてあきらめないこと」
「そんな夢を見つけるには、人と出会うことが大切だ」
大きな拍手とともに講演会は終わりました。
その後、抽選会(サイン会)、それと栗城さんから”白い恋人”が全員にプレゼント。

心豊かな時を過ごしました。3度目のエベレスト登頂 頑張れ!。

※世界七大陸最高峰:地球上にある7つの各大陸で最も標高が高い山。
・アジア大陸:エベレスト(ネパール・中国 8,848m)
・ヨーロッパ大陸:エルブルス山(ロシア 5,642m)
・北アメリカ大陸:マッキンリー(アメリカ合衆国 6,194m)
・南アメリカ大陸:アコンカグア(アルゼンチン 6,959m)
・アフリカ大陸:キリマンジャロ(タンザニア 5,895m)
・オーストラリア大陸:コジオスコ(オーストラリア 2,228m)
・南極大陸:ヴィンソン・マシフ(南極半島付近 4,892m)
ちなみに、房総の山親爺さんは、キリマンジャロ登頂、アコンカグアに挑戦するも体調不良で
途中で断念。それにしても凄い!。

※腰の痛みが治らない、2/17はMRI検査かな。












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栗城史多 講演会in君津 前売券売切れ

2011年02月10日 09時00分39秒 | 山登り
■2011.2.10(木)前売券を買いに君津市生涯学習交流センターに寄り、受付カウンターの方にチケ
ットを買い求めると、当会館では販売していないことと、既に売り切れとの情報あり。
係の方に講演会スタッフの連絡先を教えて貰い、キャンセル待ちをお願いしました。


■栗城史多 講演会in君津 前売券売切れ
○栗城史多(くりき のぶかず) 講演会in君津(千葉県君津市)
日時 2011年2月13日(日) 開場/PM1:00 開演/PM1:30
場所 君津市生涯学習交流センター 多目的ホール
料金 大人2,500円
後援 君津市社会福祉協議会 主催 Sowing the Dream

○栗城史多(くりき のぶかず) 日本の登山家。北海道瀬棚郡今金町出身。札幌国際大学卒業。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山
を行っている。
2011年後期に3度目の挑戦を予定。

年始、「極限への挑戦」がNHKで放映がありましたが、その影響でしょうか、前売券は直ぐに
売り切れ、会場収容人数、250名は狭すぎたようです。
泣きながら雪山登頂、極限状態の中での仲間の支援。一転、次の登頂する活動資金を集まるため
企業訪問(スポンサーがいないので・・)。そして、過去のニート人生等、感動した人がいると思
います。
アンチ栗城史多もいるでしょうが、私は生でその意気込み、気迫をまじかで見たく。
キャンセル待ちの連絡を待つことにします。

ただ、自分の実力以上に大自然へ挑戦しているように思え、無理して失敗しないことを祈ります。

栗城史多のブログ






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「房総の山親爺」高宕山300回登頂記念

2010年12月25日 20時36分25秒 | 山登り
■本日(12/25<土>)は、鉈目会(なためかい)「房総の山親爺」さんの高宕山300回登頂
記念に参加させていただきました。


■「房総の山親爺」高宕山300回登頂記念
石射太郎登山口(千葉県君津市)に山親爺さんの山仲間「鉈目会」、「スミレ山の会」、「こぶし
山の会」が結集、私はトレラン仲間として参加、総勢14名。
少し寒いので、皆さん暖かい服装と高宕観音で祝賀会を行うため、材料・用具・缶ビール等
大きなリュツクを担ぎ、いざ出発(09:45)、山ガールも居ます。

関東ふれあいの道をビスタリ・ビスタリ(ネパール語で”ゆっくり”)で歩を進め暫くすると、石射
太郎山(258m)に到着。何時もの場所から石射太郎山の撮影、晴天ですが冬枯れの山姿。

途中コースアウトし、見晴らしの良い場所で山親爺さんが富士山の方位を説明。
そして、山親爺さんが列の先頭に立ち、時々、アケビなどを説明しながら歩く。

すると、トライアスリート「泳いで・廻して・走る!!」のIさんがトレランで合流、私も一緒に高宕観音
まで走る。やはり山を歩いていると走りたくなります。
皆さん高宕観音の階段を上って来ます。山親爺さんは大きなリュツクで殿(しんがり)を
つとめる。
一旦、高宕観音で荷物を置き皆さん空身となり、ベースキャンプから高宕山をアタックします(笑)。

高宕山登頂(330m)、300回「山親爺さん」やりました。仲間が作った横断幕の前で記念
写真、笑顔が最高!。
山頂には、偶然にも君津悠走会のKさんと会いました。何と! ウルトラマラソン(200km)
の練習一環として砂袋(13kg)がリュツクに入っています。凄!

その後、ベースキャンプ(高宕観音)に戻り、祝賀会となり、仲間から「ケーキや瓢箪(ヒヨウタン)、
高宕山登頂記念プリント・Tシャツ」が贈られ、山親爺さんの顔がほころぶ。
赤飯、おから、鍋料理(芋煮)、缶ビール。観音様の前で食が進み、アルコールも。
楽しい一時。
ベースキャンプを撤収すると、トレランでWさんが到着。山親爺さんに挨拶し、高宕山へ。
(Wさんは、午前中 チャレンジマラソン練習会で2H走り、高宕山トレイルラン 無事完走したのでしょうか)

私達は、高宕大滝コースを歩く、大滝をバックに記念写真。

高宕1号随道から14:45石射太郎登山口に戻り、山親爺さんから「300回までの歩み」を報告。
1984年から高宕山に初めて登り、その後、回数を増やし、今回を迎えることが出来た。
しかし、今年は入院等で一時中断したが、山歩きを再開できた。
(詳細は、当ブログ リンク集「房総の山親爺」を参照して下さい)
山仲間から「今後も記録を更新しよう!」との声援があり、山親爺さんはマダマダ頑張らないと。

一人で高宕山をトレイルランしていますが、山仲間とビスタリ・ビスタリと歩くのも良いのかな。



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そこに立つ!、富士登山(2010)

2010年09月13日 07時22分41秒 | 山登り
9/11(土)は、「たそがれ岳登」こと 黄昏さんと二人で富士登山しました。
いやいや大変な登山でした。

■富士登山
9/11(土)03:00起床、04:00に君津市出発、早朝のため車の混雑なしで、御殿場新五合目
駐車場に06:00到着、快晴、雲海が迎えてくれます。
朝食と着替え準備完了、記念写真を撮り(黄昏さんと私)06:55にスタート。

黄昏さんは、8月に登り、今年は2回目の登頂、山小屋は8月末に終わり、トイレ施設と道標は
撤去されているとの事でした。
私は富士登山は今回で二回目ですが、前回(2005.8.6)吉田ルートからの登りで8合目から高山
病の苦い思いが・・・。

富士登山サポート雑誌を読むと、「御殿場ルート」砂れきの道をひたすら登り、下りは大砂走りを
楽しむ。新五合目、昔は二合目と言っていたそうです。
標高1440m、山頂3730m、標高差2290m、登り10時間15分、下り4時間30分。

さえぎるものがなく、荒涼とした景色が続き、ハイキングポール(ストック)を使いリズム良く登って
行きます。話しながら順調に登り、どこまでも続く砂れきの単調な道、でも雲海が綺麗です。

六合目(2830m)を過ぎ、七合目(3000m)あたりから、頭が痛くなり、ボーとなってきま
した。吐き気もあり、高山病の症状となりました。
山小屋前でリタイアするか黄昏さんと話すと「一緒に登頂するか一緒に下山するか」の選択。
黄昏さんから「私が先頭で自分のペースで登り、休みながら時間を掛けて行く」事になりました。
一歩一歩登り、途中で休みながら歩を進める。岩にあと300mの記載があり、黄昏さんから
「休みながら、ゆっくり登りましょう」とのアドバイスを受ける。200mとなり、白い鳥居が見えて
来ました。いよいよラスト、ついに登頂13:35(6時間40分)。
黄昏さんとガッチリ握手、いやいや苦しく辛かった。

お鉢巡り(大内院<ダイナンイン>)は時間の関係でパスし、最高峰の剣ヶ峰を目指します。
馬ノ背の急斜面を登るキツい、休み休み登る。待望の日本最高点剣ヶ峰に着く。

二人とも昼食はパスし、14:30下山開始、私が先頭になり下る。
疲れているのでよく転ぶ、やがて富士山を背に大砂下り、黄昏さんが先頭に一気に下る、飛
ぶように気持良い、登りの時間が嘘のように・・・。
途中、ブロッケン現象を見ること出来ました。
17:20(所要時間2時間50分 合計所要時間10時間25分)ゴール。お疲れ様でした。

着替え、17:50出発、大渋滞に巻き込まれ、やっとインターで顔を洗い、トイレ、コーラを飲む
21:00君津に到着。シャワーを浴び、ビールを飲み、うどんを食べる(昼食と夕食を兼ねる)。

黄昏さん、大変お世話になりました。ハセツネに向けて長時間身体を動かす練習が出来ました。
懲りずにまた誘って下さい、ありがとうございました。



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