映画「真夜中の五分前」(2014) をWOWOWで観ました。

観た人はもれなく「生き残ったのはルーメイなのか、それともルオランなのか」という混乱の渦に引き込まれてしまうと思いますが、
こちらのインタビューを読むと、問題はそこではないらしい。(衝撃)
■【インタビュー】三浦春馬が想う「愛すること」 行定勲・監督作『真夜中の五分前』
監督曰く、
誰もが人を愛することはあるけれど、何において愛しているのか。
それは不確かだということを、この話は浮き彫りにしているんです。
これは、自分は恋人の何に対してを愛を持っていたのかを疑う話なんです。
その疑いの目を持ったときに初めて、自分という存在に対しても疑いを持つ。同時に人格についての話でもある。
つまりは、どっちが生き残ったとかそういう犯人探しをするような話ではなく、人をどう愛するのか、という話なのだそう。
“愛する”という行為自体が不確かだという、そういうお話なのだそうです。
わかりました、監督。
確かにそのあたりは男子2人からもよく伝わってきたところであります。
ただ、やっぱり考察したい衝動にかられますよね。
ルーメイかルオランか。
モーリシャスでの事故から1年後の様子からしばらくは、私はルオランだと思って観ていました。
ルーメイの代わりに女優となり、活躍しているんだなと。
でも、服の話あたりから、「あれ? ルーメイ・・?」 となり、
泳げないとか、ブランコから落ちた傷があったりとか、時計がぴったりの時刻になっていたとか、
いろいろ要因がプラスされて、ルーメイ説が優勢に。
私の中でルーメイ説が優勢になったいちばんの理由は、
事故の直後、良のところにチョウが飛んできたことと、最後の振り向いた顔。
チョウは亡くなったルオランだったんじゃないか、と。
そして振り向いたお顔を見て直感的に「ルーメイだ!」と。
でも、ルオランが自分をルーメイだと思い込んでいて暗示にかかっていたとしたら、泳げなくても当然だし、
すべてがひっくり返ります。
何より、夫が「ルーメイじゃない!!」って言ってるんだからルオランなんだろう、って思えてきます。
そして私の中でルーメイ説が優勢ではあったものの、結論は、
「わからない」
となりました(爆)
わかりませんね、これは。
だってね、子供のころのシーンで服の色が交互に変わる演出があったり、自分が誰かわからないという心の声があったりもしたので、
肉体を越えて人格が交差したりそういう幻想的なこともあったりするのかな、とも思いましたし、
私たちはどちらかといえば最初ルオラン側からこのストーリーを見ていたから、その思考にも影響を受けたりするんじゃないかとも思いました。
ルーメイかルオランか謎のまま彼女が病院で目を覚ました時に、自分がスルーされたことに良がジェラシーを感じて「彼女はルーメイだ!」と断言したり、
ルーメイかルオランかが謎のまま、心惹かれたり、
そういう不確かさを、次に観るときはもっと楽しんでみようと思いました。
3人目の人格を見事に作りあげて観る人を混乱の渦に巻き込むリウ・シーシーさんの演技と、
中国語のセリフも流暢で、この作品の独特の空気感を丁寧に作り上げている三浦春馬さんの好演が光る素敵な作品でした。
監督:行定勲 脚本:堀泉杏 原作:本多孝好
出演:三浦春馬/リウ・シーシー/チャン・シャオチュアン

観た人はもれなく「生き残ったのはルーメイなのか、それともルオランなのか」という混乱の渦に引き込まれてしまうと思いますが、
こちらのインタビューを読むと、問題はそこではないらしい。(衝撃)
■【インタビュー】三浦春馬が想う「愛すること」 行定勲・監督作『真夜中の五分前』
監督曰く、
誰もが人を愛することはあるけれど、何において愛しているのか。
それは不確かだということを、この話は浮き彫りにしているんです。
これは、自分は恋人の何に対してを愛を持っていたのかを疑う話なんです。
その疑いの目を持ったときに初めて、自分という存在に対しても疑いを持つ。同時に人格についての話でもある。
つまりは、どっちが生き残ったとかそういう犯人探しをするような話ではなく、人をどう愛するのか、という話なのだそう。
“愛する”という行為自体が不確かだという、そういうお話なのだそうです。
わかりました、監督。
確かにそのあたりは男子2人からもよく伝わってきたところであります。
ただ、やっぱり考察したい衝動にかられますよね。
ルーメイかルオランか。
モーリシャスでの事故から1年後の様子からしばらくは、私はルオランだと思って観ていました。
ルーメイの代わりに女優となり、活躍しているんだなと。
でも、服の話あたりから、「あれ? ルーメイ・・?」 となり、
泳げないとか、ブランコから落ちた傷があったりとか、時計がぴったりの時刻になっていたとか、
いろいろ要因がプラスされて、ルーメイ説が優勢に。
私の中でルーメイ説が優勢になったいちばんの理由は、
事故の直後、良のところにチョウが飛んできたことと、最後の振り向いた顔。
チョウは亡くなったルオランだったんじゃないか、と。
そして振り向いたお顔を見て直感的に「ルーメイだ!」と。
でも、ルオランが自分をルーメイだと思い込んでいて暗示にかかっていたとしたら、泳げなくても当然だし、
すべてがひっくり返ります。
何より、夫が「ルーメイじゃない!!」って言ってるんだからルオランなんだろう、って思えてきます。
そして私の中でルーメイ説が優勢ではあったものの、結論は、
「わからない」
となりました(爆)
わかりませんね、これは。
だってね、子供のころのシーンで服の色が交互に変わる演出があったり、自分が誰かわからないという心の声があったりもしたので、
肉体を越えて人格が交差したりそういう幻想的なこともあったりするのかな、とも思いましたし、
私たちはどちらかといえば最初ルオラン側からこのストーリーを見ていたから、その思考にも影響を受けたりするんじゃないかとも思いました。
ルーメイかルオランか謎のまま彼女が病院で目を覚ました時に、自分がスルーされたことに良がジェラシーを感じて「彼女はルーメイだ!」と断言したり、
ルーメイかルオランかが謎のまま、心惹かれたり、
そういう不確かさを、次に観るときはもっと楽しんでみようと思いました。
3人目の人格を見事に作りあげて観る人を混乱の渦に巻き込むリウ・シーシーさんの演技と、
中国語のセリフも流暢で、この作品の独特の空気感を丁寧に作り上げている三浦春馬さんの好演が光る素敵な作品でした。
監督:行定勲 脚本:堀泉杏 原作:本多孝好
出演:三浦春馬/リウ・シーシー/チャン・シャオチュアン