夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

ヘルプマークと福祉の心

2022-04-04 23:26:27 | 教育・躾全般
帰りの地下鉄での出来事。平安通駅は始発駅。だが、6時過ぎていたのでラッシュ時だ。沢山の人が乗る。並んでいたのは前から四番目。確実に座れる位置だが、二つ目の駅で下車する私は、よほど人がいない時間帯でなければ座ることなく、立ったままにしている。ほんの五分である。苦もないことだ。乗降口の手すりに捕まって止まる私を追い越して、何人もの人々が我先にと座席に群がる。秒で埋め尽くされる座席。だが、乗客は増えていく。その中に小学校高学年か、中学生くらいの四人連れの男の子たちが乗り込んできた。爽やかなサッカー少年たちだ。学校が同じなのか、担任の先生の話をしている。「○○先生が怖い!」とか「先生に言われた」とか話している。地下鉄が動き出したとき、その内の一人が、優先席に座る中年の男女に向けてこう言った。「ヘルプマークの人がいるから、席を譲ってあげた方が良いですよ!」と。立派な少年だ。きっと福祉の授業で習って、周りの大人に誰が意見するかを相談しあっていたのだろう。ところが、意見された当の女性は、明らかに三十代だが、老婆のような声を出して「私、体調が悪いんだわね」と答える始末。その答えを聞いた少年は、すぐにとなりの男性に同じように言う。迷惑そうにこっちを見る男性。「ん?」そこで初めて気づいた。ヘルプマークの人というのは自分のことなのだと。思わず振り向いて、少年たちにお礼を言った。でも、自分は二つ目の駅で下車するから、座らなくても平気なのだと。それを聞いた迷惑顔の男性はむっとしたまま目をつぶってしまった。
私はすぐに降りてしまったが、自分のことを思って大人に文句を言ってくれた少年たちの勇気に感動した!私が降りた駅より先へ向かったということは、名古屋の子供ではない。あの堂々とした姿は、名古屋の子供には滅多にお目にかかれないだろう。逆に、言い訳をした女性や迷惑そうな顔をした男性のことを、情けなく思った。大人はいつから純真な心や気遣いをなくしてしまったのだろう?我慢してでも他人を気遣うことが日本人の美徳とされた時代は何十年も昔のこと。自分を大事にという言葉に甘えて、他人を思いやる心を捨てた現代日本人。そんな中で、教育次第でまだまだすばらしい若者は育つのだと知らされた、ちよっと嬉しいできごと。

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