安田喜憲教授の著作である『古代日本のルーツ・長江文明の謎』は、日本文化の源流を語る格好の良書である。その著述内容から、「これは」と思う個所を紹介するシリーズの最終回である。過去にUpdateした「その1」~「その7」までを参考になさりたい方は、下記をクリックを願いたい。
〇森の文明に繋がる「蛇信仰」
以下、安田教授の著述内容である。
”雲南では龍は災いをなすものとされ、鳥に食べられるという構図があった。実際、このあたりには龍をデザインしたものは少ない。湖南省の洞庭湖周辺には龍にちなむ伝説があるが、それは比較的新しい神話であり、龍をシンボルとする畑作牧畜民がはいってきたからのものと考えられる。
滇王国の遺跡によく登場するのは、龍ではなく蛇である。これもまた滇王国の出自を物語るものである。長江文明は森の民による文明だったが、同じように滇王国を築いた人たちも森の民であったのだ。
滇王国の遺跡である石寨山遺跡や李家山遺跡、羊甫頭遺跡からの出土品を見ると、これらの遺跡から出土した青銅製品には、よく動物文様が施されている。蛇、トカゲ、カエル、カメなどの爬虫類や両生類、ミツバチやセミなどの昆虫類、ニワトリやクジャクなどの鳥類、牛、鹿、ヒョウ、猪、トラ、サルといった哺乳類などの動物文様である。なかでも、蛇の文様が目立つ。その多くは、二匹の蛇が注連縄のようにからみ、交尾している姿となっている。あるいは、青銅の剣の柄などにも、蛇の文様が施されている。ご存知のように、蛇は脱皮していく。その脱皮に命の生まれ変わりを、森の民は見たのである。蛇は、森の文明につながっているのである。森の民にとって重要なのは、生命の誕生と死である。森の中の命は永劫の再生と循環を繰り返し、蛇の脱皮は、これにうまく符号するのである。
滇王国の人たちは、もともと森の民であり、このことも長江文明を引き継いだ文明である可能性を示すものである。”・・・以上である。
教授指摘の通り、雲南の紀元前後の青銅製品、例えば貯貝器・銅鼓や家形青銅器の装飾に蛇は頻発する。ここでは、『漢委奴国王』金印と並んで著名な『滇王之印』を紹介し、古代雲南がいかに蛇を重要視していたか理解できると考えている。
(滇王之印は、金印蛇紐と呼び持ち手は蛇の肖形である)
これは漢王朝が滇国王に下賜したものである。南蛮王に対し蛇を用いて見下した・・・との見方も考えられるが、滇王国では蛇が神聖視されていたことによるものであろう。雲南に逃れた百越の一派が滇王国を樹立したことは、漢王朝にとっては周知のことであったろうと考えられる。
今日、中国で百越の末裔とされる民族が、福建省の山村地帯に存在する。司馬遼太郎氏は、陳舜臣氏、森浩一氏と共に福建省羅源県福湖村の佘(しょう・しゃ)族の集落である。容姿は日本人に似て、歌垣の風習が残っている。古来、福建の地を閩粤(びんえつ)と呼んだ。閩は門がまえの中に虫がいるが、この虫は蛇と云われている。粤は越である。百越の地域が蛇を神聖視するのは、日本も同様で、過去多くの記事をupdateしてきた。古代日本文化のルーツは呉越の地であったことを安田教授の著述内容から紹介してきた。
以上で当該シリーズを終了する。
<了>