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ウィアンクムカーム出土の景徳鎮磁器

2021-12-07 07:34:07 | 北タイの風土・慣習

〇ウィアンクムカーム出土の景徳鎮磁器

最近、タイ芸術局第7支所(在・チェンマイ)はSNS情報発信に熱心だ。どうも一時の気まぐれでもなさそうだ。今回と次回の2回連続で、最近の情報を紹介する。チェンマイ好き人間にとって、次回訪問時の話題が得られることは結構なことである。今回は、ウィアンクムカーム出土の景徳鎮陶磁に関する情報からである。

尚、ウィアンクムカームについては、以下のブログを参照願いたい。小生が説明するより、よっぽど分かりやすくガイドされている。

今のチェンマイ建都前の王都「ウィアンクムカーム」遺跡群完全ガイド (chiangmai-life.net)

ウィアンクムカームの過去を解明するのに役立つ最初の重要な証拠は、1954年の航空写真である。写真から、水路はウィアンクムカームの北を流れ、南東側を下って曲がっている。 ウィアンクムカームはピン川の氾濫により埋没したが、土壌堆積の深さはさまざまである。 1.5〜2.5メートルの深さでバラツキがある。

そこからは、写真の中国・青花磁器が出土している。いずれも景徳鎮陶磁で、染付の色合いや文様から元染めではなく、明青花磁器と思えるが、中国陶磁については節穴で、間違っておればゴメンナサイのレベルであることをお断りしておく。

メンライ王は、1296年(仏暦1839年)チェンマイに建都し、チェンマイ王朝がスタートするが、その2年前にウィアンクムカームに都を築いた。その発掘記事である。

その当時の中国は元王朝の時代である。従って出土する陶磁器は、元染めであっても何の違和感もないが、どういう訳か明青花磁器が出土しているようだ。

その理由は、1558年から始まるビルマ支配時代のピン川氾濫により、ウィアンクムカームが埋没するまで、住民が暮らしていた痕跡であろう。しかし当時の住民が明青花陶磁を購買できる暮らしをしていたかどうか、多分に疑問が残る。住民は中国磁器ではなく、北タイの陶器を用いていたと考えられ、これらの青花磁器はランナー王家の離宮ないしは行宮先がウィアンクムカームに存在していたと考えられる。

写真をみていると、壊れた磁器よりも完器が多く、いずれチェンマイ国立博物館に展示されるであろう。是非見てみたいものだ。

<了>