前日、『日本の失われた30年に未来はあるのか・前編』をupdateした。多少興奮気味に記述したのであろうか? 昨夜は久しぶりに寝つきがわるかった。連夜の寝つきの悪さはかなわない、従って続編は後日としたい。
安田喜憲教授の史観は、安直ではなく同感することが多い。氏の著作に『古代日本のルーツ・長江文明の謎』がある。その幾つかについて不定期連載で紹介したい。
〇稲作農耕民が信仰した『太陽』と『鳥』
”7600年前の浙江省河姆渡遺跡から、二羽の鳥が五輪の太陽を抱きかかえて飛翔する図柄が彫られた象牙が出土した。8000年前の湖南省高廟(こうびょう)遺跡からは鳥と太陽が描かれた土器が多数出土している。また、少し時代はくだるが、長江上流の三星堆(さんせいたい)遺跡からは、神樹とみなされる扶桑の木に太陽を運ぶ九羽の鳥がとまっている青銅製の置物が見つかった。
(河姆渡遺跡出土象牙製品・五輪の太陽を抱かえる二羽の鳥)
(三星堆遺跡出土・神樹)
こうしたことから長江流域の稲作文明において、太陽と鳥が信仰されていたことは明らかだ。太陽は稲作農耕民にとって、極めて重要であった。種籾をまき、苗床をつくり、田植えを行い、刈り取りをする。この複雑な稲作の農作業の根幹をなすものが太陽の運行であった。
鳥は、太陽を運んでくると信じられていた。河姆渡遺跡、高廟(こうびょう)遺跡、三星堆(さんせいたい)遺跡という長江の下・中・上流域の遺跡から、それぞれ鳥が太陽を運ぶ姿をモチーフとする遺物が出土したことが、そのことを明瞭に物語っている。太陽は朝に生まれ、夕方に死す。そして翌朝になると再び蘇り永遠の再生と循環を繰り返す。その再生と循環を手助けするものこそ鳥なのである。
太陽と鳥が稲作儀礼と深く関わったものであることは明らかである。そして、この太陽信仰、鳥信仰は、長江最上流域の雲南省から四川盆地、中流域の湖南省、下流域の浙江省まで、長江流域全般に見られるものである。苗族は鳥を崇拝しているが、鳥は苗族にとって大切な稲穂を運んできてくれたという。
(苗族の蘆笙柱の天辺に鳥がとまる)
長江流域に暮らす稲作農耕民たちは、数千年にわたって共通した世界観を持ち続けたといえるだろう。”・・・以上である。
呉越の古い慣習は、周辺の異民族に濃厚に残存する。苗族も呉越を本貫とする百越の一派である。同様に雲南から東南アジア北部に居住するアカ族にも、似たような習俗が残存している。
写真はロコンと呼ぶ、アカ族集落入口にたつゲートである。これは結界を示し、横たわる笠木の上には数羽の鳥が止まる。これは日本の神社の鳥居の原形と思われる。
広島県福山市の沼名前(ぬなくま)神社の鳥居に鳥がとまっているのは、江戸時代にそのような伝承があったであろうと推測させる。当件に関してはココを参照願いたい・・・と云うことで、このロコンは鳥居の原形であろうと考えている。
<不定期で続く>
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