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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その14

2016-11-14 10:14:11 | 博物館・タイ
<続き>

●魅了するカロン陶磁・#1

サンカローク陶器博物館の2階は、全てがカロン陶磁の展示で且つ優品揃いであった。これほど優品が揃うのは、当該博物館が初めてである。
先ずびっくりした・・・というより、後になってびっくりしたのだが(最初は贋作?との眼でみた)・・・、そのびっくりした貼花文の陶磁を最初に紹介する。

カロンに貼花文が存在すると、日本で最初に紹介したのは誰であろうか?関千里氏もその一人であろうと考えている。それ以前にJ・C・Shaw氏が、そのことを氏の著作で紹介している。曰く唇の如き膨らみと・・・それは凹版のスタンプで形成したと記されている。凹版で写真のような膨らみを形成できるのであろうか?・・・当該ブロガーは多少なりとも疑問に感ずる。
では、胎土を薄板にして、文様を形成し胴に貼り付けたのであろうか? 象の尻尾や牙、更には唐草文の茎の膨らみを見ると、胎土を溶かした泥漿を筆で、塗り重ねた所謂『置きあげ』の手法であったろうと、個人的にはそのように考えている。・・・既に明らかであれば、どなたか教示ねがいたい。
貼花文のタイルも存在していたようである。これも過日紹介したが、再掲しておく。

このようなタイルは明らかに建築用材である。建築用材は他に屋根の棟先瓦(日本で云う鬼瓦)や瓦あて、さらにはハムサと思われる鴟尾ないしは棟先瓦も展示されている。
これらの品々を見ていると、相当な技量を持った陶工や絵付け工が、複数存在していたと思われる。またランナーの宮殿や王室守護寺院、主要な官衙はこれらで葺かれ、草葺やヤシ葺きの民家が並ぶ街並みで、一際映えて見えたであろうと想像する。屋根材や建築用材はシーサッチャナーライばかりと思っていたが・・・。
擬宝珠紐付の蓋付壺で、壺の形は酒会壺である。この写真をみて、各位ある想いが過ぎったことと思われる。これは明らかに元染の青花紅彩花卉貼花文酒会壺に倣ったものと考えて相違なかろう。
胴は疑似ビーズ繋紐で四区画され、その中央は花唐草文で装飾されている。肩にもそれにより、小さな四区画があり、それぞれ文様が描かれている。磁州窯の陶工の南下云々の話ではなく、優れた将来陶磁を真似るのは、世の倣いか?

カロンの肖形もシーサッチャナーライと同じように焼成された。しかも秀作揃いである。

何れもリアリティーに溢れ、その力量が半端ではない。シーサッチャナーライの肖形は稚拙さが漂うが、カロンのそれはプロの技である。
中世、北タイの風俗史、服飾史を研究の方々は必見で、その研究に大きく貢献するであろう、勝手な見解ながら上流階級の女性と思われる。
三つ頭の象、つまりアイラーバタ(インドラ神:タイでプラ・インと呼ぶ・・・が騎乗する)の上に、仏塔つまり須弥山が載る。それは燈明であろうか?香炉であろうか?仏具に見えなくもないが、60-70cmもの大物から想像するに、ランナー王朝の宮殿で、ランナー王の権威を示す燈明であった・・・と、勝手に想像している。

う~ん、これも唸りたくなるような造形力である。ガルーダ(迦楼羅)は、先ほど逝去されたプミポン前国王の現王朝の象徴である。
左右の手に各々3匹のナーガの尻尾を掴んでいる。以下のような伝承が伝わる。ガルーダの母は、ナーガ達の母の召使いとして働いていた。ガルーダはこの母を救うべく、ナーガ達の処に出向くと、天の聖水を持ってくるよう要求された。それが母を救う条件である。ガルーダは天に昇りビシュヌ神から、それを授かり母を救い出した。
以来、ガルーダに憎まれたナーガは、ガルーダに捕食される存在となる。つまりガルーダは王朝の守護神である。噺は飛ぶが、雲南に似た伝承が残る。金翅鳥(きんしちょう)は龍を食べ続けると云う。
噺は飛んだが、このようなガルーダ像がカロンで焼成されたということは、時のランナー王朝では、バラモンやヒンズー思想が濃厚に存在していたことを裏付けている。
極め付けである。象に騎乗するのは騎象戦隊の隊長であろうか、60cmの高さを越へ迫力以外の何物でもない。象の体には易符が描かれており、胴に帯のように描かれるのは、占星術の符であろうか? 中世東南アジアの易については、ど素人であるが、その道の専門家には垂涎の調査対象物であろう。
先にも記したように、まさに今できのような発色で、大型の焼物は・・・ほんまかいな? との印象を持ったのは間違いない。しかしその時思ったのは、貼花文で装飾した陶磁以外は、カロンに存在している。そこで改めて見つめなおすが、圧倒的な迫力以外の何物でもない。
まだまだ唸りたくなるような焼物のオンパレードである。以降、順次紹介したいと考えている。



                                 <続く>


シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その13

2016-11-12 08:08:32 | 博物館・タイ
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●ランナーからの交易陶磁:カロン陶磁

今回はカロン陶磁を紹介するが、それは<ランナーからの交易陶磁>をテーマとする展示のなかのカロン陶磁で、それとは別に当該陶器博物館の2階に、カロンの優品をコレクションした展示がある。これについては、後日紹介したい。



カロンで最もポピュラーな盤(鉢)は鳥文である。この鳥はカラスと云われ、それをデザイン化したものである。



カロンと云えば鉄絵陶磁であるが、白磁も存在している。それらの他に緑彩陶も存在するが、それらの展示はなかった。
カロンはシーサッチャナーライほど多種多様な肖形物はないが、写真のような肖形も存在していた。
以上紹介したカロン陶の陳列の最後が上写真の盤で、比較的大振り径40cm近いのではないか? 文様は草花文で器面全体に絵付けされ、繁辱以外のなにものでもないが、この繁辱さはカロンの一特徴である。

以上、当該陶器博物館の1階部分の展示品を、13回に渡って紹介してきた。次回から2階部分の展示品を紹介したい。1箇所でこれほどの優品揃いを見た経験がない。はっきり云って、展示されている貼花文の盤など見た経験はなく、当初は後世の贋作と思ったほど程度がよい品々であった。乞うご期待!




                                 <続く>




シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その12

2016-11-11 09:16:55 | 博物館・タイ
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●ランナーからの交易陶磁:パーン陶磁(2)

今回は、当該サンカローク陶器博物館に、パーン陶磁として展示されていた、謎の大壺を紹介する。これら謎の大壺については、過去に「魅了する大壺の彷徨える焼成地」と題して11回のシリーズで、当該ブログにUPしてきた。
魅力と共に内外の専門家も様々な焼成地を候補に挙げ、百家争鳴の様子も紹介してきた。その中でバンコク大学付属東南アジア陶磁館だけは、焼成地不詳とキャップションに記している。不詳のものは表示できないとの態度は、立派なものである。前置がながくなった、以下展示品を紹介したい。



キャップションにはパーンと記し、16-17世紀としている。この年代観も14-15世紀と表示している展示施設もあり、まちまちである。文様は、写真では見にくいが、謎の陶磁に頻出する、巻貝の印花文と、滴のような先端が尖った長丸の中に点文をみることができる。肩には紐を親指と人差し指で、挟み込んだような耳が4箇所につき、頸から口縁にかけ喇叭(ラッパ)形状となっている。まさに北タイでみる姿形である。

これもまた巻貝の印花文をもつ双耳壺で、2色の掛け分け釉で装飾している。口縁もまた北タイでみる盤口タイプである。

これも最初と同じ耳が4箇所についている。これら3点は、日本で云えば重文級である。
当該陶器博物館は、これらがパーンであるという根拠を何ら示していない。そして当該ブロガーの浅薄な知識で云えば、パーン陶磁で2色の掛け分けをみた記憶がなく、窯址の陶片にもそのような掛け分けや、印花文をみた経験がない(但しこれもいい加減な私見であるが・・・)。
アデレード大学のドン・ハインはラオと比定しているが、北ラオスの窯址から、このような陶片は出土していない。
関千里氏も産地が定まらないようだが、その著書「ベトナムの皇帝陶磁」でパーンと記述しておられる。その根拠を伺いたいものだが、その出所は当該陶器博物館の、この展示によるものかと、勝手に勘繰っている。いずれにしても、若く新進気鋭の学者に追及して欲しい、大きなテーマである。

当該ブログの写真は、各博物館や美術館で撮影許可されたものを掲載しています。従いまして全て無断転用可能です。各位の学習や研究に役立てば幸甚です。


                                   <続く>


シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その11

2016-11-10 08:50:59 | 博物館・タイ
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●ランナーからの交易陶磁:パーン陶磁(1)

パーンではバン・チャンプー窯群とポーン・デーン窯群が知られている。青磁の発色はよく、シーサッチャナーライ青磁を凌ぐものがある。先ず展示されていた盤から紹介する。
(青磁無文大鉢)
青磁の発色は鈍い。口縁に刻線で二重圏線を刻んでいる。胎土は灰白色で、化粧土はない。
(青磁刻花四弁文輪花縁盤)
四弁の花文と考えているが、この手の文様を刻んだ盤は、パーンの代表的な盤である。
(青磁無文兜鉢)
このような幅広の鍔縁で、全体が兜のような形をした、大振りの鉢もまたワンヌアの一特徴である。
(青磁刻花四魚文盤)

径が40cmもあろうかという大盤で名品である。ワンヌアには何故か回遊する四魚文が刻まれており、これも一つの特徴である。似たような盤が数点、日本にもたらされているようである。尚、シーサッチャナーライに類似盤があり、それとの関連が気になる。
次回は、パーンと表示されている謎の壺を紹介したい。




                            <続く>

シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その10

2016-11-09 08:02:03 | 博物館・タイ
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●ランナーからの交易陶磁:ワンヌア陶磁

いや~ビックリと云うか、認識の浅さであろう。まさかワンヌアに緑釉陶が、存在するとは思わなかった。ここサンカローク陶器博物館に、その緑釉のハムサ(ハンサとも云う、ヒンズー教の神ブラフマー(仏教名:梵天)の乗り物で白い鵞鳥ないしは白鳥と云われている)が展示されていた。

並々ならぬ造形力と、鮮やか且つ均一に発色した緑釉であろうか。お隣カロンのトゥンマン窯でも緑釉陶が焼成されていたことは、周知のことであるが、それに劣るものではない。暫く見入ってしまった。
残念ながら最初(上写真)の印象が強すぎ、以降のワンヌア陶は下写真の蓋付壺を除き、一般的な陶磁であった。
これはクメール陶で見たような、見なかったような、一度調べなおしが必要だ。蓋はストゥーパ(チェディー)を模しており、これは須弥山に他ならない。多分仏教関連の品と思われる。
この盤は青磁であるが、いわゆる翠色に発色しておらず、酸化焔のもとで焼成されたものである。縁に凹凸がついており、まさに花弁を思わせる。
この形状もワンヌア陶では、よく見る形状である。見込みには印花四つ菱文で装飾されている。これもまた酸化雰囲気で焼成されたものである。
ワンヌアでは、最も一般的な形状の盤であるが、発色がいま一つである。

ワンヌア陶の発色は、上写真の盤欠であるが、写真はややくすんだように写っている。青磁色に発色し、無数に貫入をみるのが一般的である。また写真のように鍔縁でその先端は丸みをもたせ、輪花のように凹凸を持たせている。このようにワンヌア陶の特徴は口縁形状にあると云っても過言ではない。




                                  <続く>