何度も紹介したBKK大学付属Southeast Asian Ceramics Museumで見聞きして、驚いたのは新事実である。いや正確に云えば周知の事実であったかと思われるが、当該ブロガーにとっては、思いもしない(つまり無知ということだが)新事実であった。
訪問当日は、学芸員のMr.Burinに博物館内を説明してもらった。中世の南海交易を示すパネルを背にして、向かって左が学芸員氏であるが、このパネルの前方(写真後方)に沈船遺物を再現したコーナーがある。
下の写真がそうで、時代別に3区分されている。1番目は1380-1430年(明初期)、2番目は1488-1505年、3番目は1520-1560年である。砂の上に時代区分に依った陶磁が、当時の様子を再現して展示してある。
ここで、新発見と云うのは、1番目の展示で1380-1430年という時代区分を更に2つに小分類(1368年ー1400年と1400年ー1425年:尚、編年についての詳細な説明がないため、編年根拠は不明)した中の前期である。
そこには何と、シーサッチャナラーイすなわちモン陶とサンカンペーン陶磁が、安南陶磁と中国青磁、褐釉陶と共に発見された・・・と説明されている。どこの海底との言及がないので、当該ブログではこれ以上紹介できないのが残念である。
これは先にも言及したように、当該ブロガーにとっては初耳で、サンカンペーン陶磁の従来説は、”北タイ領域のみを販路としていた”・・・と云うのが定説であった。それが一転モン陶と共に発見されたとある。
つまりモン陶とサンカンペーン陶は同時代ということになる。モン陶が古様を示すことから、サンカンペーンは時代が下るものと確信していたが、音を立てて崩れてしまった。
ランナーとスコータイとの戦乱時、シーサッチャナラーイやスコータイの陶工が捕虜になり、ランナーにつれてこられたとの、史実の裏付けのない、まことしやかな論説に惑わされためんもあるが、沈船の事実はサンカンペーン創業に関し、再考を迫るものである。
尚、今回の事実を詳細に確認しようと思えば、サタヒップの国立海洋博物館を見学すればよいが、何分遠方であり実現していない。
17回に渡って紹介してきたが、カロン陶磁の2回目の紹介をもって最終としたい。シーサッチャナラーイ、スコータイ陶磁も多数展示されていたが、これらの紹介は多々存在するので、当該ブログでは割愛させていただく。
釉下彩鉄絵陶磁は#16でも紹介したが、今回は上掲の2点である。上の蓋付容器は完品と思われ、貴重である。舎利容器であろうと勝手に推測している。下の双環耳小壺の文様をピクンの花だと、説明する識者が多いが、当該ブロガーは太陽文と考えている。
カロンは鉄絵一辺倒ではなく、このような一見シーサッチャナラーイを思わせる青磁盤も存在する。見込みの花文はカロンでは見かける文様である。菊花文と紹介する書籍もあるが、中世の北タイに菊が存在していたかどうか、調べていないので何の花かわからない。
淡い褐釉の碗で、造形に乱れはなく、釉色もほぼ安定しており味わい深い。
このように、深いオリーブグリーンに発色した碗もある。貫入も走り耀州青磁を思わせる。
ずっしりと優美な姿の中型壺である。この発色は、上で紹介した褐釉やオリーブグリーンの青磁と異なり、柔らかい印象を与えてくれる艶のある釉色で、なぜか落ち着く。肩には弓状の印花文を3段に巡らしている。
次回から、バンコク国立博物館でみた北タイ陶磁を中心に、数次にわたり紹介したい。
釉下彩鉄絵陶磁は#16でも紹介したが、今回は上掲の2点である。上の蓋付容器は完品と思われ、貴重である。舎利容器であろうと勝手に推測している。下の双環耳小壺の文様をピクンの花だと、説明する識者が多いが、当該ブロガーは太陽文と考えている。
カロンは鉄絵一辺倒ではなく、このような一見シーサッチャナラーイを思わせる青磁盤も存在する。見込みの花文はカロンでは見かける文様である。菊花文と紹介する書籍もあるが、中世の北タイに菊が存在していたかどうか、調べていないので何の花かわからない。
淡い褐釉の碗で、造形に乱れはなく、釉色もほぼ安定しており味わい深い。
このように、深いオリーブグリーンに発色した碗もある。貫入も走り耀州青磁を思わせる。
ずっしりと優美な姿の中型壺である。この発色は、上で紹介した褐釉やオリーブグリーンの青磁と異なり、柔らかい印象を与えてくれる艶のある釉色で、なぜか落ち着く。肩には弓状の印花文を3段に巡らしている。
次回から、バンコク国立博物館でみた北タイ陶磁を中心に、数次にわたり紹介したい。
2015年2月18日にクアラルンプール(KL)に到着した。予約していたサービスアパートに投宿したが、両替していないことから、支払いは1日猶予してもらっていた。2月19日は春節正月、両替商は休みとも考えられたが、ブキビンタンの両替店に出かけてみた。
いきなり両替はできない。そこでインターネットで検索して出かけることにした。両替商が多いのは、LOT10が位置するブキビンタン通りと、スルタンイスマイル通りの交差点付近である。
インターネットで良レートで評価が高かったのは、LOT10の西側(スルタンイスマイル通り側)のKL REMIT EXCHANGE(赤看板:写真下)であったが、2月19日は1万円で295RMであった。確かに良いほうだ。
もう一か所交差点からブキビンタン通りを西に行った、青看板も評価が高く、当日も人が並んでいたが、同様に295RMであった。それよりもっと良いのは、青看板から更に西100mのところにあった、写真のARSであった。1万円で299RMで、当日訪れた9軒の中で最もよかった。
写真ではARSと表示されているが、名刺にはSKY EXCANGEとある。名刺を見て行くわけにいかないので、ARS表示を目印に行けばよい。
当日訪れた最悪レートは1万円で271RM、最良が299RMで実に28RMの差があり、10万円で280RM(約9,500円)の差となる。ちなみに最悪レートの両替商は、パビリオンに近いブキビンタン通りに面した両替商であった。立地の良い両替商は避けるのが賢明。
いきなり両替はできない。そこでインターネットで検索して出かけることにした。両替商が多いのは、LOT10が位置するブキビンタン通りと、スルタンイスマイル通りの交差点付近である。
インターネットで良レートで評価が高かったのは、LOT10の西側(スルタンイスマイル通り側)のKL REMIT EXCHANGE(赤看板:写真下)であったが、2月19日は1万円で295RMであった。確かに良いほうだ。
もう一か所交差点からブキビンタン通りを西に行った、青看板も評価が高く、当日も人が並んでいたが、同様に295RMであった。それよりもっと良いのは、青看板から更に西100mのところにあった、写真のARSであった。1万円で299RMで、当日訪れた9軒の中で最もよかった。
写真ではARSと表示されているが、名刺にはSKY EXCANGEとある。名刺を見て行くわけにいかないので、ARS表示を目印に行けばよい。
当日訪れた最悪レートは1万円で271RM、最良が299RMで実に28RMの差があり、10万円で280RM(約9,500円)の差となる。ちなみに最悪レートの両替商は、パビリオンに近いブキビンタン通りに面した両替商であった。立地の良い両替商は避けるのが賢明。
2015年2月18日、バンコクからクアラルンプール(KL)へ移動した。1年振りのKLである。エアーラインの選択に苦慮した。マレーシア航空もエアー・アジアも事故を起こしたばかりで、多少不安である。それではタイ航空ということになるが、早朝発とKL夕刻8時頃着で勝手が悪い。不安はあるもののマレーシア航空とした。
機体は型番を失念したが、ボーイングで左右3列シートの中型機である。スワンナプーム空港からまっすぐ南下したが、タイーマレーシア国境に近いハジャイを経過したあたりから、進行方向右に旋回した。見ると高度2万メートルはあろうかという積乱雲を回避したのだ。エアーアジアはこれに突っ込み墜落したのだが、この積乱雲は、とんでもないパワーを持っているのだ。
クアラルンプール空港からは、いつもタクシーにしているのだが、KLエキスプレスに乗ることにした。終着はKLセントラル駅である。料金は35RM(約1,300円)で、びっくりしたことに高速運転で、空港からKLセントラル駅まで20分であった。タクシーなら1時間は要するが、これからはこれだ。
写真は車内を写したものだが、大きなバゲージ置場も設置されており、移動手段としては問題ない。
写真の像をスワンナプームで御覧になった方々は多いと思う。この像は<乳海撹拌>の場面で、アンコールワット第一回廊のレリーフが著名である。スワンナプーム空港の乳海撹拌のキャップションによると、以下のように説明している。少々長いが全文転記すると、以下の内容である。
「この巨大な彫刻はビシュヌ神と、その乳海撹拌という天地創造神話を描いています。蛇王であるナーガ・ヴァースキは、大マンダラ山をその長い胴体を絡ませています。ヴィシュヌ神の化身である大亀クールマは、大マンダラ山をその背中に乗せています。不老不死の甘露<アムリタ>を作り出すために、両サイドからデヴァ(正義の神々)とアスラ(阿修羅:神々に対する悪神)は、大蛇ナーガの胴体を綱として引き合うことで、山を回転させながら海中をかき回します。さらに1000年以上も撹拌が続き、乳海から多くのものが次々と生まれました。最後にようやく天界の医神ダスヴァンタリが不死の妙薬アムリタの入った壺を持って現れました。その後、正邪両神の奪い合いは、デヴァ(正義の神々)がアムリタを得たことで止まりました。デヴァはアスラ(阿修羅)を天上界から地下界へ追い出しました。」・・・とある。
その大マンダラ山の手前をよく見ると、何やら巻貝のオブジェに水が注がれている。これは日本伝来の仏教でいう法螺貝で、シャンク貝というベンガル湾やスリランカに棲息する巻貝らしい。聖貝とされ、更には聖水を注ぐ器とされた・・・とある。
北タイ陶磁の貯蔵壺の耳に巻貝状の耳をみる。中国伝来であろうと考えていたが、そのような短絡思考では、彼の地の背景を見誤ることに、改めて気づかされる乳海撹拌像であった。
機体は型番を失念したが、ボーイングで左右3列シートの中型機である。スワンナプーム空港からまっすぐ南下したが、タイーマレーシア国境に近いハジャイを経過したあたりから、進行方向右に旋回した。見ると高度2万メートルはあろうかという積乱雲を回避したのだ。エアーアジアはこれに突っ込み墜落したのだが、この積乱雲は、とんでもないパワーを持っているのだ。
クアラルンプール空港からは、いつもタクシーにしているのだが、KLエキスプレスに乗ることにした。終着はKLセントラル駅である。料金は35RM(約1,300円)で、びっくりしたことに高速運転で、空港からKLセントラル駅まで20分であった。タクシーなら1時間は要するが、これからはこれだ。
写真は車内を写したものだが、大きなバゲージ置場も設置されており、移動手段としては問題ない。
写真の像をスワンナプームで御覧になった方々は多いと思う。この像は<乳海撹拌>の場面で、アンコールワット第一回廊のレリーフが著名である。スワンナプーム空港の乳海撹拌のキャップションによると、以下のように説明している。少々長いが全文転記すると、以下の内容である。
「この巨大な彫刻はビシュヌ神と、その乳海撹拌という天地創造神話を描いています。蛇王であるナーガ・ヴァースキは、大マンダラ山をその長い胴体を絡ませています。ヴィシュヌ神の化身である大亀クールマは、大マンダラ山をその背中に乗せています。不老不死の甘露<アムリタ>を作り出すために、両サイドからデヴァ(正義の神々)とアスラ(阿修羅:神々に対する悪神)は、大蛇ナーガの胴体を綱として引き合うことで、山を回転させながら海中をかき回します。さらに1000年以上も撹拌が続き、乳海から多くのものが次々と生まれました。最後にようやく天界の医神ダスヴァンタリが不死の妙薬アムリタの入った壺を持って現れました。その後、正邪両神の奪い合いは、デヴァ(正義の神々)がアムリタを得たことで止まりました。デヴァはアスラ(阿修羅)を天上界から地下界へ追い出しました。」・・・とある。
その大マンダラ山の手前をよく見ると、何やら巻貝のオブジェに水が注がれている。これは日本伝来の仏教でいう法螺貝で、シャンク貝というベンガル湾やスリランカに棲息する巻貝らしい。聖貝とされ、更には聖水を注ぐ器とされた・・・とある。
北タイ陶磁の貯蔵壺の耳に巻貝状の耳をみる。中国伝来であろうと考えていたが、そのような短絡思考では、彼の地の背景を見誤ることに、改めて気づかされる乳海撹拌像であった。
過日、バンコク国立博物館を見学した、リニューアル工事中で見学できない部屋もあるが、入館料の割引などはない。おまけにタイの運転免許証を持参するのを忘れたため、外国人料金で200Bも徴収された。日本人の常識はここでも通用しないが、リニューアル工事中との理由で閉館しないよりましか?
写真は、タイ東北部の遺跡で出土したマカラが刻まれた、石造構造物の一部である。キャップションをみると11世紀中頃とある。タイ東北部のみならず、ハリプンチャイ(中世のランナー領域)を除くタイ全土がクメールの支配下にあった。12世紀初頭にはスーリヤヴァルマン2世がアンコールワットを築くが、その前時代の石造物である。勝手な解釈ながら、建物の入り口を見下ろす位置に設置されていたものであろう。
マカラの上の、仏教で云う仏龕と呼ぶ位置に像があるはずだが、欠けて見ることができない。その像はビシュヌ神(仏教で毘紐天)である。
このようにタイの中世は、ヒンズー教の世界であり、後世の人々に多大な影響をあたえたのである。それらは生活にも影響を与へ、陶磁器の装飾文様にも影響を与えたものと考えている。
写真は、クアラルンプールのヒンズー教寺院Srikandaswamyのゴープラムの装飾を昨年1月の滞在中に、スケッチしたものである。ここの中央にもマカラが鎮座している。マカラは伝承によれば、鼻が長く鋭い牙を持つ魚身・魚尾の動物である。マカラは生き物の源である水を操る力を持ち、生命の進化や繁殖を表すとされる。
ベトナムを除く東南アジアの国々は、何でもありの世界である。中国からの一辺倒の文化流入ではなく、西のインド、アラブ世界の文化との十字路に位置したがため。東西の文化を受け入れてきた。その結果が何でもあり・・・と勝手に解釈している。
写真は、タイ東北部の遺跡で出土したマカラが刻まれた、石造構造物の一部である。キャップションをみると11世紀中頃とある。タイ東北部のみならず、ハリプンチャイ(中世のランナー領域)を除くタイ全土がクメールの支配下にあった。12世紀初頭にはスーリヤヴァルマン2世がアンコールワットを築くが、その前時代の石造物である。勝手な解釈ながら、建物の入り口を見下ろす位置に設置されていたものであろう。
マカラの上の、仏教で云う仏龕と呼ぶ位置に像があるはずだが、欠けて見ることができない。その像はビシュヌ神(仏教で毘紐天)である。
このようにタイの中世は、ヒンズー教の世界であり、後世の人々に多大な影響をあたえたのである。それらは生活にも影響を与へ、陶磁器の装飾文様にも影響を与えたものと考えている。
写真は、クアラルンプールのヒンズー教寺院Srikandaswamyのゴープラムの装飾を昨年1月の滞在中に、スケッチしたものである。ここの中央にもマカラが鎮座している。マカラは伝承によれば、鼻が長く鋭い牙を持つ魚身・魚尾の動物である。マカラは生き物の源である水を操る力を持ち、生命の進化や繁殖を表すとされる。
ベトナムを除く東南アジアの国々は、何でもありの世界である。中国からの一辺倒の文化流入ではなく、西のインド、アラブ世界の文化との十字路に位置したがため。東西の文化を受け入れてきた。その結果が何でもあり・・・と勝手に解釈している。