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下之郷遺跡(1)

2021-03-09 07:30:25 | 古代と中世

(三重の環濠がめぐらされた下之郷遺跡)

弥生時代中期(2200年前)の稲作遺跡である守山市の下之郷遺跡から温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの稲籾が出土している。環濠や井戸の土を水洗いすると、多くの稲籾が見つかった。炭化していない籾をDNA分析したところ『熱帯ジャポニカ』が含まれていた。

イネの研究家である佐藤洋一郎氏は中国、朝鮮半島、日本の水稲在来品種250品種のRM1というDNA解析を行った。イネは4種類の塩基(A、T、C、G)の並びによって遺伝情報を保存しており、それをSSR領域と呼ぶそうだ。その250品種のSSR領域を調べると、8つの変形タイプが発見された。AからHまでの8遺伝子のうち、B遺伝子は朝鮮半島の在来品種のなかでは見つからず、日本と中国では高い頻度で分布していた。A遺伝子は、中国大陸ではそれほど高頻度では分布せず、朝鮮半島と日本では高い頻度で分布する。この遺伝子は朝鮮半島を経由して日本に達した。つまり水稲のなかに朝鮮半島を経由したものと、中国から直接渡来したものの2系統が存在したと考えられる。

弥生時代中期の下之郷遺跡を遡る縄文前期頃に、焼畑栽培と熱帯ジャポニカのセットが、柳田国男氏が唱える『海上の道』を伝わって来たであろうと想像される。それは西日本の照葉樹林帯に焼畑の陸稲として栽培されていたであろう。

その後、先述したように数次にわたって朝鮮半島南部を経由したり、中国から直接渡来した水稲用の稲籾が、その栽培技術と共に渡来したと考えられる。

守山市の下之郷遺跡からは熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの稲籾が共に出土した。陸稲の熱帯ジャポニカが水稲用に変化したのか、あるいは水稲の熱帯ジャポニカも別途渡来したのか詳細は不明なるも、熱帯と温帯の各ジャポニカを混植すると、その交雑種が生まれるとともに、病気への耐性も向上し収穫も早くなるという、佐藤洋一郎氏の実験結果が存在する。下之郷遺跡から出土した熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの稲籾出土は、混植の結果にほかならない。高度な稲作が展開されていたと想定される。

(上掲写真は下之郷遺跡出土土器:守山市埋蔵文化財センターにて)

<続く>


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