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東近江と北タイの風習(2):アカ族の木偶と上砥山の山ノ神

2021-03-07 14:11:31 | 日本文化の源流

東近江の山ノ神と北タイ・アカ族集落の結界を示すロッコン(鳥居に似た門柱)の柱の根元にある男女一対の木偶(男女交合像)が似ている。これは何だとの想いである。ココでは、その“何だ”について記したい。

(アカ族ロッコン根元の男女一対の木偶、ここでは男女交合像と記す)

ここで東近江は栗東市上砥山の山ノ神を紹介しておく。訪問したのは2月の日曜日、上砥山の山ノ神祭祀場はJRA栗東トレーニングセンターの敷地内で、祭祀場の管理組合が休みであり、残念ながら立ち入って現認することはできなかった。そのレプリカが栗東市民俗資料館に展示されていたので、下にそれを紹介しておく。

上砥山の山ノ神も男女交合像に他ならない。ここ上砥山では旧暦正月一日から七日間に渡って山ノ神・神事が行われている。その神事を挙行することにより、地域の安泰と豊穣、そして地域住民の無病息災を祈念するという。

故・柳田国男氏①は、田ノ神(稲ノ神)が山ノ神(祖先ノ神)であることを説いた。“人の霊は死後山に行き、やがてそこで先祖ノ神、すなわち氏神になるが、この氏神がときを定めて里にくだり稲作を守る田ノ神になると云う。山ノ神と田ノ神は同じ神の二つの姿であり、これが我が国の古い信仰だった”・・・との著述である。

また次のようにも述べられている。“悪霊や悪疫などを防ぐため村境に祀られる道祖神は、結界の役目とは別に、男女の生殖を通して生産神、田ノ神、山ノ神的性格をもつなど習合した。”

そこで信州では、石棒の男根柱を道祖神としている。やはり村境の道祖神は結界の役割と共に、多産(子孫繁栄)や豊穣を願うものとして敬われたと考えて大きな齟齬はないものと思われる。

(出典:WikiPedia 長野県南佐久郡佐久穂町を流れる北沢川から出土し、同町高野町上北沢1433に保存されている石棒が道祖神とされている。縄文時代中期後半に作られたものである)

その男根棒(柱)が山ノ神そのものとして祀られている事例が、旧出雲国は松江市・八重垣神社で見ることができる。

(八重垣神社境内の山ノ神)

八重垣神社では、木製の男根柱を山ノ神と称して、これを祀っている。故・柳田国男氏が述べられた通り、山ノ神は春になると里に下りて田ノ神となり、稲作の豊穣を見守るという、田ノ神と山ノ神の二つの姿をみることができる。

このような故・柳田国男氏の説を受けて、文化人類学者であった故・岩田慶治氏は、アカ族の男女交合像について、“門柱の根方に男女一対の木偶が仕込んでおかれている。これは我が国の道祖伸と同趣旨のものに相違ない。悪霊は一対のあられもない姿態を見て、その前を通ることをはばかるのである”・・・と、その著書『カミの誕生』で述べられている。

つまりアカ族のロッコンの根元にある男女一対の木偶と上砥山の山ノ神は、同じ目的を願う形でおかれていることになる。アカ族の本貫の地は呉越にあり、漢族の南下圧力に押されて貴州から雲南に逃れたと伝えられている。一方我が祖先の倭族は魏志倭人伝によると、呉越の地にあたる“会稽・東冶の風俗と同じ”であると記されている。呉越の地から倭族の一派が日本列島に渡来したであろうと思われ、それはアカ族の本貫の地と隣接していたであろう。そのように考えれば、アカ族の男女一対の木偶と上砥山の山ノ神の類似性は納得できるであろう。

注)①『石神問答』より

<了>


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