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大分で見た装飾付須恵器に驚いた

2023-03-19 07:56:58 | 古代日本

過日、大分県立埋蔵文化財センターを訪れた。驚いたのは珍しい装飾付須恵器を見たことである。その造形等々については、辰巳和弘氏の著作を参考に後程詳細を述べるが、古墳時代の社会情勢を表現したものに埴輪や装飾古墳壁画が存在する。装飾付須恵器もその一つである。しかし、装飾付須恵器は埴輪に比較し、出土する事例は少ないながらも、当時の風俗を表わしたものである。

前置きが長くなったが、大分県立埋蔵文化財センターで眼にしたのが、下掲写真の装飾付須恵器である。

この装飾付須恵器は、大分県国東市安岐町の一ノ瀬2号墳(6世紀末ー7世紀)から出土したものである。古墳は破壊され跡形もないとのことであるが、直径23mの円墳で、横穴式石室は破壊され、石室が開口する南側の周濠から、多くの須恵器と共に出土したとされている。

それは、直径22-23cm、高さ58cmの円筒状で上端は朝顔形に開いている。その円筒は4本の凸帯によって5段に区画され、上部4段には丸い透し穴があけられている。上端は、先に述べたように朝顔形で、そこに壺が載せられたいた器台であった可能性を連想させる。

須恵器・器台&壺 今城塚古墳 6世紀前半 今城塚古代歴史館にて

事実、他の古墳から、そのような須恵器が出土している。以下、その事例を紹介する。先ず、今城塚古墳出土の壺付器台である。

須恵器壺付器台 倉吉市野口1号墳 6世紀 倉吉市博物館にて

二例目は、鳥取県倉吉市野口1号墳出土の装飾壺付装飾器台である。器台は鳥で装飾され、壺は鳥や騎馬人物さらには子持ち壺で装飾されている。このように冒頭の一ノ瀬2号墳出土の装飾付須恵器にも、壺が載っていた可能性を否定出来ない。

そこで、当該装飾付須恵器を注視すると、上側3本の凸帯には、それぞれ数個の子持ち壺が貼りついている。子持ち壺は、下段から突起したアーム状の柱に支えられている。更に上から4段目には、最下段から伸びる数本の支柱の先に別作りの船が組み合わされ、船上には人物のほか、竿とおぼしき柱が立つ。3個体の船が見え、船底のあけられた穴に、支柱の先を差し込んで本体と結合させたらしい。その様子は本体の円筒の周囲を船が周回するかのようだ。支柱の一つには羽をひろげる鳥がとまる。ほかに付属する大小三つの鳥形パーツがあって、腹側に支柱の先端を受ける凹みをもつものもある。おそらく船上に立つ竿の先端に組み合わされたものとも考えられる。このように人を乗せた鳥船が造形されていたのである。

写真には写っていないが、朝顔形の内側口縁部付近に、10cm程の長さをもつ屈曲した粘土紐状のものが貼りついている。見ると角が、さらに短いが前足とみられる表現もみる。埋蔵文化財センターは、これを龍と表現している。

古墳時代の人々は、壺を神仙界を象徴する『かたち』と認識し、そこに前方後円墳の造形思想(ココ参照)があらわれている。当該装飾須恵器が、器台上に壺を載せていたとすれば、様々な造形物は、死者の魂を乗せた鳥船が円筒形の柱を周回しながら、壺の神仙界へ導かれるさまを造形したものと考えられる。円筒形をした須恵器本体は、崑崙山や蓬莱山などの仙山を意図したものであろう。口縁部内に貼りついた龍は、神仙界の瑞獣そのものである。・・・と云うことで、驚きをもって見た装飾須恵器は、他界観を表わしたものと思われる。

<参考文献> 辰巳和弘著 他界へ翔る船 新泉社

<了>



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