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栗東市上砥山の山ノ神

2021-03-01 08:02:19 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

上砥山の山ノ神については、Blog「愛しきものたち」のココに詳しい。この山の神の男女合体像をみていると、北タイ・アカ族集落の結界を示すロッコン(鳥居に似た門柱)の柱の根元にある男女交合像を思い出す。

何故、結界や豊穣を願う肖形が、北タイのアカ族と上砥山のそれと類似しているのか・・・との、当然の疑問を抱くが、倭族とアカ族の本貫の地が呉越にあるとすれば、当然の結果とも思われる。

ここ上砥山の山ノ神を見たくて、過日栗東市上砥山を訪れた。具体的な場所は不明である。然るべき処で尋ねると、渋々ながら教示頂いた。その場所は、上砥山の入会権が設定されており、その管理組合が管理しているとのことであったが、訪れた当日は日曜日のため事務所は閉まっていた。

諦めきれず現地へ行ってみると、高さ1.5m以上はあろうフェンスに囲まれ、無断侵入できないようになっていた。従ってフェンスをよじ登って、山ノ神の祟りにでもあえば大変である。諦めざるを得ない。

幸いなことに、その管理組合にて作成されたレプリカが、栗東市歴史民俗博物館に展示されていた。下の写真がそれである。2009年時点の現地の実態は、上掲のBlog「愛しきものたち」を参照されたい。

手元に2018年刊行の栗東歴史民俗博物館紀要第24号がある。そこに「上砥山山之神共有文書である『山之神祭記録』」に文化14年(1817年)の記載がある。その時、既に祭事が行われていたことになるが、年代的にどこまで遡れるかは不明である。

その博物館紀要第24号に“山ノ神神事(紀要では山ノ神行事と記されているが、ここでは神事と記す)”の次第が掲載されている。ここでは、その概要を紹介する。

  • 旧暦正月壱日:<花揃え>

 明・正月弐日に上砥山近在に配る花(ハナ)と呼ばれる樒(しきみ)と「山の神 上砥山」と摺った札を用意する。

  • 旧暦正月弐日:<花配り>

 近在の村々に花を配る。

  • 旧暦正月参日:<神木切り>

 祭祀当番四人で股木人形用の松の木を切る。男女二組分を切り出す。採ってきた松の木の形を整え、男女の顔を描く。男の股木人形はオッタイ(男体)、女のそれはメッタイ(女体)と呼ぶ。

  • 旧暦正月四日:<道具類の準備>

 股木人形を載せて運ぶための藤弦のモッコ一対、藁苞二対、竹徳利一対、箕皿一対、炮烙(ほうらく)一枚、菜種油を準備する。供物は玄米、キュウリ等の写真にある品々で、股木人形の祭壇に供える。

  • 旧暦正月五日<餅搗き>

 祭壇に供える紅白の餅を搗く。

  • 旧暦正月六日:<神移し>

 嫁入りと称し、藤弦のモッコに股木人形を載せ神宿に移す。そして祭壇を整え、氏神である日吉神社の宮司が立会い、股木人形の三々九度が交わされる。

  • 旧暦正月七日:<合体>

 仮設のかまどで炮烙を用いて玄米を炒る。炮烙は玄米を入れたまま半分に割って藁苞に納める。

藤弦のモッコ一対に男女一対の股木人形、供物を載せ二手に分かれて西山と東山と呼ばれる祭祀場へ向かう。祭祀場の檜の神木の根元に股木人形、供物を供え燈明を灯す。

オッタイを下にメッタイを上にして、当番が呪文を唱えながら何度も合体させ、神事は終了する。

なんと今日でも七日間かけて神事をおこなっている。伝統の神事を維持するには膨大なコストと地域住民の熱意以外の何物でもなかろう。上砥山に限らず東近江は“山ノ神”信仰の聖地のようである。過去に滋賀県東近江市蒲生岡本町の梵釈寺裏の山ノ神を紹介したが、股木人形のオッタイ・メッタイを信仰する風習が残っている。但し並列に並べる程度で、上砥山のように合体しているのは珍しいのではないか。いつまでも保存して頂きたい風習である。

(梵釈寺裏の山ノ神)

・・・ということで、アカ族の風習と上砥山の風習は深部で繋がっているであろうとの話題であった。

<了>

 


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