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ハノイの博物館・美術館・その8:ドゥオンサー窯址資料館・#2

2017-07-19 07:05:51 | 博物館・ベトナム

<続き>

展示されている出土遺物を紹介する前に、博物館に移設展示されている第1発掘地点の2号窯、パネル展示されている第1発掘地点の1号窯について紹介する。

(移設復元された第1発掘地点の2号窯址)

(第1発掘地点で発掘された1号窯址の様子を示す展示パネル)

以下、東南アジア埋蔵文化財通信第6号の記事をもとに紹介する。窯址は傾斜地を掘り込んだ地下式の穴窯(横焔式地下単室窯)で、窯体は前方にレンガをアーチ状に積んで築いた半円形の焚口を持っており、1号窯の焚口は幅140cmであった。焚口はすべて川に面している。
燃焼室と焼成室は昇焔壁で区切られており、その高低差は約25cmで、焼成室は8°前後の傾斜をもつ、その1号窯は燃焼室の長さが195cm、焼成室の長さは290cmで合わせた窯体の内寸は485cmとなる。前記文化財通信によると、最後尾の窯壁は長軸に直行するように直線状を呈す・・・となっているが、上掲の発掘時の写真が示すように若干カーブを描いている。
窯体の幅は昇焔壁前後が最も膨らんでおり、1号窯は260cmであった。断面は卵を半裁したような形で、最大高140cmであったと想定されている。
2号窯が博物館内に移設復元されているが、煙道が2つあったと想定され、そのように想定復元されている。尚、5号窯でも左右両側2箇所に煙突が設置されていたと云う。
以上が窯構造についての発掘結果である。一部崩落などがあるが、陶磁焼成時の高温で自然釉等によるガラス質化で、窯構造を示す壁面等が残存し得たものである。
ベトナムの窯址の発掘結果より、窯構造が比較的明らかになっているチャンパ・ゴーサイン窯は、焼成室の長さ10m、最大幅280cmで、燃焼室を含めた全長は約14mとなっており、床面は15°の勾配で単室窯である。長谷部楽爾氏によれば中国式の龍窯と云うことであるが、いわゆる横焔式単室窯である。この窯の特徴は煙道部付近が最大幅で、煙道は6箇所設置されており、中膨れではなく長方形に近い構造で、今回見学したドゥオンサー窯址構造とは若干異なる。
ドゥオンサー窯址と北タイの窯構造の比較で云えば、いずれも横焔式単室窯で地下式、半地下式、地上式の違いや煙道が2つあるなど違いもあるが、寸法的なことも含めて類縁関係を想定できそうな程、似ている。
そして、出土する自然釉碗と共伴する越州窯系青磁より、その下限年代を10世紀後半に位置付けたいと、故・西野昌也氏の発言である。・・・とすれば、北タイ諸窯の14世紀に先立つことになり、何らかの影響を与えているであろうことは想定可能である。

以下、出土物の幾つかについて紹介する。

いずれも9-10世紀の年代が与えられており、時代としては李朝以前であり、メコン・デルタ地帯における、陶磁生産の黎明期にあたるものであろう。

この耳付き壺は、残念ながら現地には展示されておらず、写真付きのパネル展示であった。
ここの窯址からは、福建省の越州窯系の窯址から出土しているものと、同形の灯明皿も出土したとのことである。それまでは広東系の技術で、星形釉剥ぎ碗などの灰釉陶を作っていたところに、越州窯系の製品を作る伝統が現れたことになる。ここの陶磁は右回転で、広東系の星形釉剥ぎ碗は左回転であり、陶磁の生産技術が転換したことになる、西村昌也氏は指摘しておられる。

この指摘は示唆に富んでおり、基礎技術は容易に転換しないとの流布と異なるものである。窯の形状は維持する形で伝播したが、その他の生産技術については、転換しうる事例として貴重な存在である。


                            <続く>

 



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