せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

あの日から5年

2016-03-11 07:57:17 | 日常
震災に遭ったあの日から5年
永かったか短かったか、未だに計り知れません。

娘の所に身を寄せて居る時に
孫2のココが主人を仕事に送る時です。
この写真を見る度に5年の歳月に戻されるのです。

子供の成長の早さと反比例して自分の年齢を感じるこの頃

この5年間、何が出来たのか?
何をしてこれたか?
生かされた意味を問う日々です。







沢山の方が亡くなりました
心よりご冥福をお祈りします。

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4 コメント

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もう5年、まだ5年 (tabinidete)
2016-03-11 21:00:28
この歳になって、5年と言う歳月の重みを感じています。
若いときの5年は、さらっと過ぎていきましたが、この5年は、スピードこそ速いけれど、いろいろと重い5年でした。

津波に流されたせっちゃんの家、原発事故が重くのしかかっている私の実家がある福島市。
どこも、復興には程遠い状況だと感じます。。
中途半端な被害状況にある福島市は、悲鳴を上げて、そして、今はもう諦めてしまったように私には思えるのです。
何十年たったら元に戻れるんでしょう
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記憶では時間が止まっています (せっちゃん)
2016-03-12 10:26:27
tabinideteさんへ

5年経って、目覚めて行く間、涙が止まらなくなる時があります。
当時は変な興奮状態で「後ろを見ない、前だけみて!」と
自分に言い聞かせて過ごして来ましたが
忘れる為の努力が現実逃避だった事に今更ながら気付いています。
あの記憶は私の中では時間が止まっています。

穏やかな日常が突然奪われて
自分の存在さえも不確かだったあの時期。
何度、「生きていて良かったのか?」と
問う思いに悩まされた5年間でした。

若い時にも何度も死と直面しましたが、
生きて行く力が自然と湧いてきて楽観視出来たのに
年齢と共に力が削がれて辛い日々でした。

主人とも「もし、どちらかが居なくなっていたら…」と
恐ろしい(?)話し合いをしますが
「何かの為に生かされているのならお互いの為だから
思い合って暮らしましょう」と決めました。
色々な不安が無いとは云えませんが
次の世代に引き継いで、命が尽きるまで暮らして行ければ幸せな事だと思っています。

長い文章になってごめんなさい。

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せっちゃんありがとう (tabinidete)
2016-03-12 11:30:52
せっちゃんの思い、真摯に受け止めました。
我が家も、お互いがこうして文句を言いながら暮らしている幸せを、あらためて感謝しました。

せっちゃんとお知り合いになれてよかった。
ありがとうございます。
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私の方こそ… (せっちゃん)
2016-03-12 14:06:59
tabinideteさんへ

私の方こそお知り合いになれて良かったです。
還暦を過ぎ、心身ともに衰えて行く先に
不安を抱えながらも生きて行かねばなりませんね

これも人生の切り替えしだったのでしょう
寂しくなる人生で、共に苦楽を乗り越えた伴侶だけが
分かり合える生き甲斐でしよう。
お互いに文句を云いながらも存在が掛替えの無い者だと
分かったような5年間でした。

ブログを通してお知り合いになった方々にも
沢山の勇気を頂いてこちらこそ感謝に耐えません。
ありがとうございます。
これからも宜しくお願いしますね。

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