震災に遭ったあの日から5年
永かったか短かったか、未だに計り知れません。
娘の所に身を寄せて居る時に
孫2のココが主人を仕事に送る時です。
この写真を見る度に5年の歳月に戻されるのです。
子供の成長の早さと反比例して自分の年齢を感じるこの頃
この5年間、何が出来たのか?
何をしてこれたか?
生かされた意味を問う日々です。
沢山の方が亡くなりました
心よりご冥福をお祈りします。
永かったか短かったか、未だに計り知れません。
娘の所に身を寄せて居る時に
孫2のココが主人を仕事に送る時です。
この写真を見る度に5年の歳月に戻されるのです。
子供の成長の早さと反比例して自分の年齢を感じるこの頃
この5年間、何が出来たのか?
何をしてこれたか?
生かされた意味を問う日々です。
沢山の方が亡くなりました
心よりご冥福をお祈りします。
若いときの5年は、さらっと過ぎていきましたが、この5年は、スピードこそ速いけれど、いろいろと重い5年でした。
津波に流されたせっちゃんの家、原発事故が重くのしかかっている私の実家がある福島市。
どこも、復興には程遠い状況だと感じます。。
中途半端な被害状況にある福島市は、悲鳴を上げて、そして、今はもう諦めてしまったように私には思えるのです。
何十年たったら元に戻れるんでしょう
5年経って、目覚めて行く間、涙が止まらなくなる時があります。
当時は変な興奮状態で「後ろを見ない、前だけみて!」と
自分に言い聞かせて過ごして来ましたが
忘れる為の努力が現実逃避だった事に今更ながら気付いています。
あの記憶は私の中では時間が止まっています。
穏やかな日常が突然奪われて
自分の存在さえも不確かだったあの時期。
何度、「生きていて良かったのか?」と
問う思いに悩まされた5年間でした。
若い時にも何度も死と直面しましたが、
生きて行く力が自然と湧いてきて楽観視出来たのに
年齢と共に力が削がれて辛い日々でした。
主人とも「もし、どちらかが居なくなっていたら…」と
恐ろしい(?)話し合いをしますが
「何かの為に生かされているのならお互いの為だから
思い合って暮らしましょう」と決めました。
色々な不安が無いとは云えませんが
次の世代に引き継いで、命が尽きるまで暮らして行ければ幸せな事だと思っています。
長い文章になってごめんなさい。
我が家も、お互いがこうして文句を言いながら暮らしている幸せを、あらためて感謝しました。
せっちゃんとお知り合いになれてよかった。
ありがとうございます。
私の方こそお知り合いになれて良かったです。
還暦を過ぎ、心身ともに衰えて行く先に
不安を抱えながらも生きて行かねばなりませんね
これも人生の切り替えしだったのでしょう
寂しくなる人生で、共に苦楽を乗り越えた伴侶だけが
分かり合える生き甲斐でしよう。
お互いに文句を云いながらも存在が掛替えの無い者だと
分かったような5年間でした。
ブログを通してお知り合いになった方々にも
沢山の勇気を頂いてこちらこそ感謝に耐えません。
ありがとうございます。
これからも宜しくお願いしますね。