シニアー個人旅行のかわら版

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臼杵・佐賀関・別府温泉を楽しむ・・・九州冬の旅

2008-02-17 13:43:58 | Weblog
 大分空港からレンタカーを借り出し、二泊三日の九州旅行を楽しみました。大分空港からのレンタカーの旅は2度目となりますが、前回訪れなかった名所旧跡を訪れるのが今回の旅の目的です。
 その第三日目の報告です。

8:00 臼杵市内ホテル出発
8:30 稲葉家下屋敷前駐車場へ
9:00 野上記念館
10:00 野上記念館→二王座道→市内散策 
10:30 駐車場発
12:00 佐賀関着
13:00 佐賀関発
14:00 大分市通過
14:30 別府浜脇温泉着
15:30 浜脇温泉発→別府国際観光港
17:00 大分空港着
18:05 大分空港発、羽田へ

臼杵市内見学:
 臼杵の町でまず最初に目にするのが臼杵城址でしょう。竹田の岡城は川沿いの丘陵に、佐伯の城山は100mの山頂に築城されているのに対して、臼杵城は町の中にあります。浜辺の島に築城されたのが、町の発展とともに周辺が埋め立てられ、町の中に取り込まれた形になりました。現在は公園となり、桜の名所でもあります。築城は大友宗麟で、その絶頂期の頃は、ポルトガル船も寄航していており、当時の臼杵は異国情緒豊かな町でした。
 大友家が没落し、関が原の戦いで戦功があった稲葉家が美濃から移ってきました。稲葉家は、織田信長、豊臣秀吉に使えた稲葉一鉄が始祖で、市内には稲葉家の家臣団の屋敷が幾つかあり、往時の姿を伝えています。その中で、丸毛屋敷跡が見所の一つでしょう。明智光秀の名家老であり、光秀と運命をともにした斉藤利三に連なる丸毛氏は、山崎の合戦後流浪の身でしたが、姻戚である稲葉家に200石で召抱えられました。そんな関係から、利三の娘お福、後の春日の局が、住んだこともあるという斉藤家の屋敷跡もありますが、お福が住んだというのは伝説でしょう。なお、お福の子、稲葉正勝は小田原城主となっています。
 歩くだけならば、一時間かからずに一回りできるという旧城下町は江戸時代に戻ったような家並みが続きます。ポルトガル人が闊歩していた時代の町割りとほとんど変わらない町割だと野上弥生子が書いていましたが、そんな雰囲気が濃厚な町です。商家が多く、目に付くのは「推薦店 ふぐの郷臼杵」という看板を掲げた店です。ふぐの鰭を店先に干してある店もあります。昨夜訪れた武家屋敷跡にある春光園と異なり、庶民的な雰囲気が魅力的、次回はこちらを訪れてもよい・・・と考えながらの散策です。その商家の一角が野上弥生子の生家が記念館となっています。
 南の高台の一角が武家屋敷と寺が織り成す石畳の道、二王座道です。切通しあり、階段ありの石畳の坂は晴雨を問わず散策したいところです。
 映画「なごり雪」を撮影した大林宣彦監督は、タイムカプセルに包まれたようなこの城下町の情感をあますことなく捉えています。

*前回訪れている国宝「臼杵石仏」には行きませんでした。
*「観光ガイド・・写真で見る臼杵・・原山隆編集」が大変参考になりました。駐車場の管理人の方の手元にあり、無料で配布されています。

野上記念館で:
 野上(小手川)弥生子の生家、小手川酒造の一部が記念館となっています。臼杵への旅での一番の楽しみは、この記念館を訪ねることでした。甥であるフンドウキン株式会社会長小手川力一郎氏の野上弥生子逸話や松岡正剛氏の千夜千冊「秀吉と利休」を読んで、野上弥生子という作家の幅広い交友関係、説得力ある鋭い洞察力、リベラルな思想、老年になっても衰えない創作意欲と知識欲に深く心打たれたからです。
 記念館での展示物の中で特に惹かれたのは、二階の展示室入り口のケースに展示されている一冊の本、1911年創刊の女性文藝雑誌「青踏」です。その隣に置かれた伊藤野枝の写真から、二人は青踏社で知り合い、その縁で大杉栄と伊藤野枝の結婚式に野上弥生子が出たのだと合点がいきました。そして、展示室に隣接する、弥生子が上京するまで使っていた部屋を覗いた時、ふと、二年前に訪れた福島県二本松市の智恵子記念館の、智恵子の過ごした部屋となにやら雰囲気が似ているなと感じ、そして突然、智恵子が「青踏」の創刊号の表紙絵を描いたということを思い出したのです。
 部屋の佇まいが似ているのも当然です。高村(長沼)智恵子の生家も酒造業を手広く営んでいました。ただ、酒造業を継いだ弟は経営能力が無く破産、一家離散となり、これが智恵子の精神を追い詰めていくことになります。
 帰りがけにもう一度「青踏」に目を向けました・・・弥生子と智恵子は青踏社で出会ったことがあるのでしょうか・・・同じような境遇に育ち、はるばる九州から東北からと、夢と希望を持って上京した若き二人の女性は、一人は99歳まで執筆活動を続け、天寿をまっとう、「天神丸」「秀吉と利休」などを遺し、一人は精神病の闇に閉ざされたまま53歳の生涯を終えましたが、夫高村光太郎の「智恵子抄」となって後世に生きています。

記念館を出ると、棟続きの隣は九州では一、二を競う大手の小手川酒造、忙しく作業をしている社員の方々の姿が見えます。向かい側の、同じような佇まいの小手川商店で、お茶をご馳走になり、土産を買い求め、臼杵を後にしました。

ところで雑感・・・小手川酒造は、フンドウキン株式会社となっており、その名を架した醤油の製造元です。この「フンドウキン」という名前ですが、記念館でその紋を見て、ようやく納得しました。「分銅紋」に創業者の名前の一字「金」を埋め込み、「分銅金・・・フンドウキン」だったのです。
因みに、千葉県野田市に「亀甲紋」に「萬」を入れ「亀甲萬」という醤油製造元がありますが、カタカナ表示を始めたのはどちらが先なのでしょうか。また、いつの頃からのことでしょうか。いろいろ調べたのですが、結局、分からずじまいでした。

佐賀関に向かう:
臼杵を出て、すぐ217号線を佐賀関まで進みます。狭く、山の縁の海岸沿いの道路です。ところどころに抜け道があり、カーナビが機能しませんが、基本的には海岸に沿っていけばよいのです。九州旅行最終日のこの日は晴天、日向灘の海も凪いでいます。冬だというのに暖かく、まるで故郷の南伊豆の海岸沿いを走っているよう、海岸すれすれの道ですから、ひとたび海が荒れれば、波しぶきを浴びることになるでしょう。のんびりと磯で釣りを楽しんでいる人もおりました。佐賀関の漁港は朝の漁を終えた船が連なっています。 
 佐賀関を訪れたのは、あまりにも有名になった関さば、関あじを賞味することです。丁度昼時になり、歩く人のほとんどいない佐賀関の町を過ぎると、海岸沿いに「関あじ関さば館」があり、駐車場に4,5台の車が停まっています。中に入ると、一階が水産物販売所、二階がレストランです。水産物はもちろん関あじ、関さばが中心、関あじは3月から10月まで、関さばは9月から3月までが旬の魚です。干物は、、鮮度と味を保つため、神経抜き、血抜きをパックに入れてあります。
 二階レストランは、平日にもかかわらず、8割の入りです。新築で、見晴らしがよく、休祭日は混雑するのでしょう、待合室までありました。関さばの刺身は、一本500gの大きさで7,000円、二人ではとても食べきれそうもなく諦めました。家内は地魚の煮付け、私は関さばのりゅうきゅうをオーダーです。

別府温泉へ:
 佐賀関から愛媛街道と呼ばれる197号線になります。ほぼ直線道路で、改修も進み走りやすい道路です。道なりに進むと、大分市内で10号線と合流です。大分から別府、日出までの別府湾沿いに走る10号線は、片側三車線の一般道として高規格道です。平日の午後でしたが、渋滞することはまったくありませんでした。
大分を過ぎ別府に近づくと、鶴見岳、由布岳が見えてきます。野上弥生子は「或る女の話」の中で「・・・幾つかの円い山を後に負うて、前には瀬戸内海から続いた綺麗な入江を控え、また至るところに、無尽蔵に地の下から湧き出る熱い湯を持った・・・」と別府を描いています。

高崎山を過ぎて、最初の温泉が別府八湯の一つ浜脇温泉です。「湯都ピア浜脇」の道路標識があり、そこを左折、直ぐです。スーパーマーケット、入浴施設が一体化した区画になっており、地下駐車場があります。「湯都ピア浜脇」は昭和の初めに立てられたコンクリート三階建ての旧浜脇高等温泉の地に建てられました。昔からの共同浴場とヨーロッパのクアハウス風の入浴施設は別棟で、どちらに入ろうか迷っていましたら、地元の方でしょうか、「向こうは値段が高いぞ」と教えてくださいましたが、結局、貴重品入れが完備したクアハウスにしました。
 二階が、受付とロビー、60畳位の和室の休憩室、ジムがあります。階段を下り、一階が浴場です。かぶり湯、気泡浴、全身浴、圧注浴、打たせ湯、運動浴、寝湯の8つの浴槽があり、ここでも入浴注意書きは日本語、ハングル、英語です。
ゆっくりと入浴三日間の九州冬の旅の疲れを取りました。午後三時頃ということもあり、入浴者は10人足らずでした。和室には若者が二人、おそらくバイクで九州を回っているのでしょう、熟睡していました。
一人500円の贅沢なひと時でした。

大分空港へ:
 10号線に戻ります。10分も走ると、別府国際観光港が右手に見えてきます。ここは大阪、神戸のフェリーボートが発着する港です。ここのみやげ物店は大分県の物産展の趣があり、水産物以外なら大抵の品が販売されています。また、毎年2月に行われる別大毎日マラソンの折り返し地点になるところです。
 10号は日出(ひじ)町まで三車線の走りやすい道路が続きます。日出で213号に入り、直ぐに大分空港道路(有料)の標識が出てきます。こちらが新しい213号線のようですが、距離的にも大差が無く、海岸沿いを走り、美しい杵築城を眺められる本来の213号線を走りました。
 杵築城を望む別府湾の海で取れる城下かれいは食通の間では有名です。初夏が旬で、その頃に訪れたなら味わうことができるでしょう。ここから空港までは、わずかな距離です。

 三日間の走行距離は384キロ、スタッドレス付レンタカー料金20,000円、ガソリン代は3,000円でした。

九州の旅シリーズもお読みください。
国東半島から黒川温泉へ
竹田・佐伯・臼杵へ
大分の郷土料理と臼杵のふぐ











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