シニアー個人旅行のかわら版

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西伊豆・土肥温泉を散策しました

2011-05-01 04:57:20 | Weblog
 3年ぶりに故郷の土肥に出かけました。東京から三島を経て修善寺駅に、ここから路線バスに乗り換え土肥に向かいます。バスは山間を走る国道を海抜570mの船原峠に向かって登っていきます。トンネルを抜けると視界が一気に広がり、周りの山々の尾根は駿河湾に向かって降りていきます。周囲の山肌には満開の山桜が点々と彩を添えていました。
(冒頭の写真は清水港から到着したフェリーです)

 土肥の町は静けさの中に佇んでいます。東日本大震災の影響で観光客が少なく、旅館の中には休んだり、従業員を一時帰休しているところもあり、観光客相手の店は閑古鳥が鳴いています。眠っているような町の中を散策しました。

西が駿河湾に面し、東、南、北の三方を山で囲まれています
 町を流れる大川の狭い扇状地に開けた町です。大川の北側に昔からの町並み、南側に土肥金山がありました。天正年間に金山が発見されて、江戸時代は佐渡金山と並び繁栄、明治以降は気候温暖な温泉地・保養地そして海水浴場として栄えてきました。

・・・大川の上流を撮影、船原峠に連なる山並みが屏風のように立ち、向う側には修善寺、天城、湯ヶ島、浄連の滝をつなぎ下田へ至る天城街道が走っています。


西・・・海水浴場に面した松原海岸からの駿河湾の夕日です。沼津からの定期船ホワイトマリン号から撮った夏の賑わいもご覧ください。

     

・・・街の北側にあるみかん畑からフェリー発着所方面を撮りました。土肥の町がほぼ一望できます。撮影場所の麓が昔からの町並みです。


・・・フェリー発着所付近から松原海岸越しの土肥です。山向うは山また山、10キロ先に戸田の港があるだけです。


山桜、新緑の木々が山々を美しく飾っています
 土肥の友人の話によると、50年前に植林され山頂まで覆っていた杉やヒノキが切り出されるようになり、山桜など他の木々が山肌に目立つようになったということです。
 輸入木材に席巻されていたわが国の木材市場ですが、輸出国の伐採規制や中国の需要の伸びで外国産木材の価格が上昇、相対的に国産木材への需要が出てきたとのことです。
 放置されたままになっていた杉・ヒノキが伐採されるにつれて、本来の山の美しさを取り戻しつつあり、やがて土肥では花粉病がなくなるのでは・・・と笑っていました。

幻の枇杷・土肥の白びわは5月下旬から6月上旬に食べられます

 真冬でも氷が張ることがない土肥の風土が生み出した、甘くて美味しい究極のびわです。小型の実で、白っぽい淡い表皮は触れるだけで変色し、市場に出荷できず、地元だけで消費されてきました。近年、観光客に知られるようになり、土肥びわ目当てで来られる方も多く、かつてのみかん畑にも多くのびわの木が植えられ、生産量が増えてきました。 子供の頃、やぶ蚊に刺されながら採ったのが懐かしい思い出です。

推奨の土肥散歩ルートです
 海辺の散策の他に見所がたくさんあります。小さな街ですから、1時間もあれば一回りできます。早朝や夕方に食事前に散策して温泉で一風呂浴びる・・・これが私の土肥での至福な時の過ごし方です。
 見所を紹介しましょう。カッコ内は地区名です。

多くの文人が訪れた昔の代官屋敷付近の旅館です。(旧御殿・中村)

     

昔と変わらない土肥の街の懐かしい風景です。この小さな神社で昔は子供の相撲大会が行われました(平野)

     

漁民が多く暮らす海岸近くの細い路地です。(大藪)

    

日蓮上人一代記の浮世絵がある清雲寺です。(平野)
           

最初の温泉が湧き出た安楽寺の大クスノキです。(馬場)


共同浴場「楠の湯」です。熱めの湯ですが、観光客に人気があります。(馬場)


旧土肥鉱山の旧職員住宅跡です。道の左右に生垣に囲まれた住宅が軒を連ねていました。現在残るのは右手の数軒だけ、80年前の建物ですが今でも住民の方がお住まいです。(屋形)



津波対策はされていますが・・・
 街を歩くと電柱に貼ってある「津波に注意:海抜○○m」の標識が目に付きます。大正2年生まれの父から安政地震(1854年)の津波で遭難したロシア艦船の代船を隣村の戸田で建造したという話は何回も聞きましたが、土肥でも津波の被害があったようです。

 下の写真は平野地区集会所前の電柱の標識で、ここが海抜5mであることを示しています。写真では見えませんが、右手すぐに人ひとりがやっと登れる山道が上の畑に通じています。街を見下ろす写真はこの山道を5分ほど登ったみかん畑から撮りました。
 もし東日本大震災のように10mを越える巨大津波が来襲したのなら、街全体が飲み込まれてしまいます。幸い、街の南北に山が迫っており、山腹への避難が可能です。山への避難路や誘導標識が整備されることが今後の課題となるでしょう。


土肥へのアクセス情報と海水浴の紹介は伊豆・土肥へ海水浴・・・電車・船で行く旅の今昔レポート」  土肥の津波対策は万全でしょうか」をお読みください。
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