新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語の問題点を考えて見よう

2024-04-22 06:58:34 | コラム
無駄な抵抗かも知れないが言うべき事は言っておこう:

カタカナ語排斥主義者としてはどうしても気になるので取り上げていこうと思う。「奇妙なカタカナ語の濫用は日本語を破壊してしまうかも知れない危険性がある事」を認識して貰いたいから言うのだ。

こんな事を何度繰り返して主張しても一般受けしないのは百も承知だが、言っておこうと思う。何故こんな言葉を使う習慣が若い年齢層にまで普及したのは宜しくないと見ているし、単語重視の英語教育に責任があると非難したいし、日本語の将来が不安に思えてならないのだ。

早朝のニュース番組で若いお母さんがスーパーマーケットでお惣菜を買って「ボリュームがあってクオリテイーも高くて、ジューシーで好き」と言っている所を流していた。この三つは今やごく普通の日本語になってしまっている感があって、腹立たしいというか残念に思えて堪らない。何故ごく普通に「量が多く、質も良く、水分が多いのが好み」と言えなくなったのだろうか。

「ボリューム」とはvolumeの事だろうが、この単語の本来の意味は「容積」か「体積」であって「数量」の意味では余り使われてはいない。Oxfordに出てくる説明は「ある物質が満たす場所、広さ等」が出てくる。理屈を言えば「数量」を言うのならばquantityの方が適切なのだ。だが、カタカナ語では「ボリューム」が普及してしまったし、何処かの跳ねっ返りが「ボリューミー」等という戯けた言葉まで創造してしまった。

「クオリテイー」も近頃「品質」の意味で目覚ましく普及し始めた。Oxfordに最初に出てくる意味は「ある物と比べた場合の基準」なのだ。何も格好を付けてクオリテイー等という必然性などは何処を探しても見当たらないと思う。

「ジューシー」も遍く普及してしまった。だが、長い年月アメリカ人の中で過ごし共に食事をしても、juicyという表現を聞いたことがなかった。それでも我が国では標準的カタカナ語になってしまった。“juicy”本来の意味は「果実または野菜に含まれる液体」であり、水分が多いというのは「何か調理された食べ物から液体が出る」という事。思うに「パサパサではない」の意味で使われているようだ。

こんな揚げ足取りと非難されそうなことを言うのは他でもない「単語重視の英語教育の結果で、偶々覚えていた単語の意味が表現したい事象を表してくれると思って使ったのだろう」と考えている。何故広まってしまったかと言えば、テレビに出てくる者たちが使えば「外国語の学習では耳から入れるのが非常に有効」という原則が当て嵌まってしまったのだろう。「なる程。あのタレント様(有名人)が使ったのなら、私も」となったのではないか。

こう考えれば、不肖私などはついぞ使えたことがなかったcollaboration(「~と共に働く」という意味)なる文語調の難しい単語をいとも容易くカタカナ語化して広めただけではなく「コラボ」という省略形まで作り上げてしまったことなどは恐るべき事だと、排斥論者は恐れ入っている。Oxfordにも真っ先に“to work together with 誰それ”とある。会話などでは、このように平易な単語を使って言うのが普通だと知っていてもらいたい。

何度でも言うが「私は日本語には漢字を使う文化がある。それを知らずして何か格好が良いとでも勘違いして英語の単語をカタカナ語化して使うのは控えるべきだ。カタカナ語を多用すれば日本語を破壊してしまいかねない事をキチンと意識して貰いたい」のである。この意味では「テレビ局には厳重に注意したい」のである。

マスコミ報道は偏っていないか

2024-04-21 07:22:01 | コラム
視聴者や読者を欺いているのでは?:

贔屓の引き倒し:
今時、こんな古めかしい表現は通じないかも知れないとは思うが、閃いてきたので使った次第。当方は大谷翔平がこのような目に遭わねば良いのだがと、一人密かに案じている。つい先日も某強豪高校野球部OBと意見交換した結果から「大谷を過剰に持て囃すのは好い加減に止めたらどうか」とマスコミに苦言を呈したつもりでいた。

ところが、彼等は一向に止める気配がない。ロバーツ監督が好機での初球打ちから凡退に苦言を呈したことも取り上げた。年間100億円もかけた「期待の星」大谷が19打席も打点がなく、ホームランが僅かに4本とあっては、監督が苛立つのも無理はないだろう。アメリカという国では多額の給与に見合わない働きしか出来ない者をどのように処分するかは、最早我が親愛なるマスコミも解っているのではないか。その事にも触れたらどうか。

それでも、マスコミは「今日は松井秀喜の日本人選手のホームラン記録を破るか」と大騒ぎを続けている。だが、彼等は同じ175本でも、そこまでに達した年数と試合数には触れようとしない。何が何でも「大谷さんは偉い」との報道の仕方だ。この姿勢をおかしいと思っていない彼等の感覚を疑う。視聴者を意図的にミスリードしているとしか言いようがない。

当方は史上希に見る高額でDodgersに転進した山本由伸投手についても「一抹の不安を感じる」と述べてあった。そう言う根拠も取り上げた。だが、昨日もそうだったが、このままでは「三振を取り取り負ける良い投手」になってしまう危険性がチラチラと見えて仕方がないのだ。マスコミは「良い投手の条件は沢山三振を取る事」と勝手に定めているようだが、ティームに勝利をもたらせなければ高額年俸には見合わない。山本由伸の奮起を期待したい。

パレスチナとウクライナには何らの瑕疵はないのか:
マスコミ報道の姿勢は「イスラエルはガザで悪逆非道の限りを尽くし、無辜の民を殺害しているのは怪しからん」に尽きると思ってみている。ネタニヤフ首相にも過剰防衛というよりも過剰な攻勢と批判されても仕方ない面はあると思う。だが、ハマスが最初に仕掛けた不意打ちと人質を取っていった事実は非道ではないのか。マスコミ報道は「イスラエルが悪」であり「パレスチナは気の毒だ」を強調しすぎに思えてならない。

戦争とか二国間の紛争の場合に「何れか一方が悪であり、片方は一点の曇りも瑕疵もない」という事が成り立つとは思えない。だが、マスコミ報道を見ていれば、ガザの一般市民に対する同情が過ぎてはいないかと思わせられる。それだけではなく「ガザ発」の報道ばかりで、イスラエル国民の感情やこの争いに関しての偽らざる意見などは余り聞いた記憶がない。片手落ちだと思うのは誤りかな。

「ウクライナには一片の過失がないのにも拘わらず、ロシアに不当にも攻め込まれたのか」との単純素朴な疑問は、あのロシアが仕掛けた時に取り上げておいた。

このイスラエル対ハマスの件を報じるのならば、あの地域で何千年も続いている争い事の歴史をあらためて解説しても良くはないのか。世界史の専門の先生に解りやすく教えて頂ければ良いのだがと思う時もある。自慢じゃないが、当方はイランという国がシーア派の主導的立場あるくらいの知識しか持ち合わせがない。もっと誰にでも解りやすくあの地域の実情を伝えてほしいものだ。

アメリカの日本向け輸出が振るわなかった理由(ワケ)

2024-04-20 08:00:40 | コラム
アメリカ経済は基本的に輸出には依存していない:

アメリカは内需依存型の国:
アメリカ経済は内需に依存していて輸出立国ではないのである。だから日本向け輸出が振るわなかったのも、自然な流れであると言える。振るわなかったのは多くの理由があるのだが、今回はその中でも我が国では余り広く語られていない「労働力の質の低さ」を取り上げて論じていこうと思う。

その前に一つ触れておきたい事がある。それは1990年頃にアメリカの会社の中で最大の日本向けの売上高を誇っていたのがボーイング社で、第2位がウエアーハウザーだったという事実。簡単に言えば1位のボーイング社は近代産業の典型的商品である航空機を売り、我が社は一次産品の紙パルプ製品と林産物を輸出していたので、完成品と素材に見事に別れていた事実である。

そのボーイング社製の大型旅客機が最近になって飛行中に窓が吹き飛んでしまう事故を起こして、ヨーロッパのエヤバス社にその地位を奪われかねない事態に追い込まれている。何故、そのような事故を起こす機材を作ってしまったのだろうか。

労働力の質の問題:
ここでは、1994年7月に(未だアメリカの人口が2億6,000万人だった頃)USTRの代表だったカーラ・ヒルズ大使がNHKと読売新聞が共催したパネル・デイスカションで「アメリカの対日輸出が振るわないのには二つの要因がある」と切り出されて、「即ち、アメリカの労働力の質に基本的な問題ある。それは識字率が低い事と初等教育が充実していない事」と指摘された事実を取り上げておきたい。

当時「猛女」とまで言われていた大使はさらに「我々はこれらの問題点は改善すべきだが、買わない日本側にも責任がある」と真っ向から指摘されて、一歩も引かれなかった強面振りを見せていた。なお、同時期にFRBのポール・ヴォルカー議長は上記に加えて“numeracy”(=一桁の足し算・引き算が出来る能力)の向上が必要と認めていた。改善を要する項目は三つもあるという事だ。

あれから24年も経ってアメリカの人口は6,000万人も増えて3億3,000万人を超え、少数民族(minorities)がその大半を占めるのではないかと危惧されているように変化してしまった。この状態では今でも上記3項目の改善はより困難になっているのではないか。私は「そうであれば、労働力の質の改善は容易には達成されていないのではないか」と考えている。

1975年から19年間にウエアーハウザーで対日輸出を担当していた私としては、大使の発言は極めて尤もで「良くお解りではないか」と寧ろ感心していたくらいだった。「そこまでお解りだったのならば、何故、速やかに改善策を講じておられなかったの」との思いで聞いた。そこで、2024年の今日に、改めて大使の発言に補足説明をしておこうと考えた。

職能別労働組合:
 次に指摘したいこと「究極的には我が国とアメリカの文化の違い論」になってしまうのだが「アメリカでは我が国の間には労働組合の在り方が違う」という問題があるのだ。即ち、アメリカの組合は我が国のような企業内労働組合とは全く性質が異なる職能別労組制である事」なのだ。職能別労働組合(craft union)は会社と別個の存在で、その地位は法律で保護されている。

その在り方を紙パルプ産業界に例にとって説明すると「アメリカ全体を支配する上部団体があり、そこから各地のメーカーの工場に組合員を派遣する形を取っていている」のである。我が社のワシントン州の工場にはAWPPW(「西海岸紙パルプ労働者連合」とでも訳そうか)という組合があったと言う具合だ。

何故、ヒルズ大使が識字率の問題を指摘されたのかと言えば、アメリカの工場の現場には組合員たちの教育資料として良く整備されたマニュアルが準備されている。だが、英語が解らないどころか、字を読めないアメリカ人もいるし、英語での教育を受けていない少数民族(minorities)も、英語を殆ど知らない移民たちもいるのだ。即ち、折角のマニュアルも効果が発揮されない場合が多々あるのだ。この事以外にも困った問題がある。それは「読んだ振りをする者もいる点」なのだ。

識字率が低い事や、英語も知らない者がいるのかとお疑いの向きもあるだろうが、これは紛れもない事実だ。私は何度も本部の指示で組合員たちの直が終わった後で会議室に集合して貰い、「君らの仕事の質を改善し改良して、世界の何処の市場に出しても通用するような製品の質の向上に努力して貰いたい。そして職の安全の確保に努めて欲しい。事業部の将来も君らの双肩にかかっていると言っても過言ではない」と説き聞かせていた。この際には参加者全員に超過勤務代を支給していた。

さらに、語りかける際には「これまで君らは良くやってきてくれた。そこでここ一番より一層の製品の品質の改善への努力をして貰いたい」とも語りかけた。その際には、「日本市場は世界の何処の国よりも競争が激しいし、品質については細かい要求をするし、価格にも厳しい事を言われるので、それらの要求に何としても応えないと競争から取り残されてしまう事」を詳細に解説するようにしていた。

私はこのような組合員たちに語りかける機会を与えられていたので、彼等全員が英語を正しく理解できている訳ではないことも認識できるようになった。それは、質疑応答の際に挙手をして質問する者たち全てが正確な英語で話せる訳でもないとの実感を得たからだった。更に品質問題を起こした製品を子細に検討すれば、どうやらマニュアルを読んでいない者がいることくらいは、現場の技術者でもない私にも解るのだった。

 Weyerhaeuserと言えば、当時は(現在では「嘗ては」だが)アメリカの紙パルプ・林産物産業界では世界最大のインターナショナル・ペーパーに次いで第2位の企業であり、世界でもトップ5に入る存在だった。それ程の規模の会社でも、労働組合を上記のような基本的な事から教え、導いていく必要があったのだ。

それも一度や二度語りかけたくらいでは直ちに効果が出てくるような労働組合員たちの質ではなかったのだ。ここまで述べてきた事が「アメリカの労働事情の実態」なのである。念のため再度指摘しておくと、アメリカの労組は我が国の企業内組合ではなく、法律で保護された会社側とは別な組織であり、上記のような職能別労組(craft union)なのである。

異文化の国:
具体的な相違点を言えば「我が国のように新卒で採用された後に、先ず工場勤務を経験してから本社組織に上がっていくようなシステムではない」のである。会社とは中途採用者の世界なのだ。私は労働組合員たちには「我が国のような『会社の為に』のような考え方は一般的ではない」と思っている。また、組合員たちが現場で経験を積んだ後で、会社側に転じていくことは先ずあり得ない世界なのだ。(ごく希に例外はあるが)

 アメリカの労働市場は、かくの如くに我が国とは異なっているし、文化の相違があると認識して貰わないと、その実態は解らないだろうし誤解を生じる危険性もあると思う。現に、トランプ前大統領は実情を認識されていなかったようである。ご存じであれば、我が国に自動車の輸出が過剰だという類いの謂れなき非難攻撃をしなかっただろうと思う。

トランプ氏は労働者階級の支持に大きく依存しておられたので、自動車の分野のUAWという強力な組合組織に配慮したことを言われたのだろうと解釈している。だが、この組織の労働力の質に問題があったので、アメリカ自動車産業界が国際市場での競争力を失う一つの原因になったのだと認識しておいて誤りではないと思う。

ここまでで、アメリカの我が国に向けの輸出が不振だったことの大きな原因の一つに「労働力の質の問題」があったことを理解して頂ければ幸甚である。勿論、この問題以外にも「アメリカの経済がロッキー山脈で西と東の経済圏に分けられていて、東側への依存度が70%であるという要素もある。基本的な事は「アメリカという国は経済面では70%も内需に依存していて、輸出には依存していないというか、輸出国ではない」という点なのだ。


久しぶりに英語の話をしよう

2024-04-19 11:41:48 | コラム
岸田総理の英語でのユーモアのセンスに溢れたスピーチに思う事:

実は、岸田総理のアメリカの国会での演説にはあまり多くを期待していなかった。と言うのも、何時も国会での煮え切らない言質を取られまいとする答弁を聞かされているので「アメリカの国会でもあのような調子で語られるのかな」程度のことしか考えていなかった。また、実際のスピーチの音声が流されたのが遅かったし、それも部分的に聞けただけだったのでは語るべき材料もないかと思っていた。

だが、実際に短い音声を聞きだして「アレッ」と思ったのが、綺麗に抑揚が付いたEnglishの流れになっていたし、democracyの発音が正確に「モ」にアクセント付けておられた点だった。要するに「我が国の英語教育のような平板に流れていなかったこと」は、アメリカに行かれる前にリハーサルを重ねられた程度のことできるものではなかったのだと解った。何時何処であのようなアメリカ式Englishを習得されたのかと思って聞いた。

そこまで、岸田総理の経歴と言えば「開成高校から早稲田大学法学部のご出身」程度の知識しか無かったので、慌ててWikipediaに訊いてみた。すると、小学校1年から3年までをニューヨークで過ごされたと解った。いや、不勉強にして知らなかった事を恥じた。なる程、それならばAmerican Englishになっていても不思議はないし、その3年間に覚えられた発音を今になっても維持しておられるとは立派なことだと、感心した次第。

さらに、後刻かなり長時間総理のスピーチを改めて聞いてみると、アメリカ人と語り合う際には必要な要素であるユーモアと面白おかしい冗談まで挟んでおられたのには敬意を表していた。失礼を顧みずに言えば、国会答弁のような「慎重に検討して」のようなことばかり言っておられる無味乾燥振りが全く消えていて、性格が変わったというか、恰も別人に変身されたかのように聞こえた。

岸田文雄という方はこれほどまでのEnglishでの話術を心得ておられるとは知らなかったと解った。仮に、あの語りの原稿はスピーチライターの手によるものだったとしても、あれほど自信たっぷりに淀みなくユーモアたっぷりに語られたのは、総理のEnglishの実力だったのだと受け止めた。「お見それいたしました」と詫びせねばならないとすら反省した。

この総理のように日常的に日本語で話している時には「如何にも謹厳実直風で詰まらない人」が、「いざ英語になると人が変わったようにユーモラスであ冗談交えるは小話も挟むという風になってしまう人」はおられるもの。最初に転進したM社の代表だったHM氏は、平生は言うなれば石部金吉金兜とでも形容したいような方だったが、英語になると「こんなに面白い人だったのか」と感心させられた程ユーモラスで諧謔的な性格に変身された。

岸田総理もHM氏(残念ながら故人である)も海外での経験を基にして、英語で語る時にはユーモアのセンスが必須であると承知して努力されたのかも知れない。確かに、アメリカのビジネスの世界では、ビジネスパーソンたちは「こんな重要な会談中に不謹慎では」とヒヤヒヤさせられる程冗談を言って笑わせて、会談の雰囲気を和らげようとするのだ。会談や会議中に冗談を言うことなど、我が国の企業社会ではあり得ない事ではないか。

あの総理の演説を聴いて、アメリカの議員たちが拍手喝采したのも当然かと思っていた。帰国された総理は未だ未だ多くの難問が待っている国会や、ウクライナ対ロシア、イスラエル対パレスチナの紛争に加えるに、新たにイスラエル(アメリカ)対イランという更なる面倒な紛争が生じた国際情勢を、あのユーモアのセンスを十二分に活用されて、鮮やかに乗り切って頂きたいと切に願っている次第。

4月18日 その2 私の大谷翔平論

2024-04-18 08:29:32 | コラム
デーブ・ロバーツ監督が大谷に苦言を呈した:

デイリースポーツだったかが、このように報じていたのを受けて、冷静なる評論家としてあらためて大谷翔平論を展開してみようと思う。

これまでに何度も「大谷翔平は希代の素質の持ち主で最高の逸材である」と論じてきた。そして、実際にアメリカン・リーグのLAエンジェルスでtwo-way playerとして二度もMVPを獲得して、その素質MLBに転じて一層磨き上げたことを立証して見せた。更にはナショナル・リーグのLA Dodgersに史上最高の年俸を獲得して移籍した。途中で2度の肘の手術を受けたが、順風満帆と言っても良い状況だろう。

我が国のテレビも新聞も大谷の活躍振りを連日真っ先に取り上げて、視聴者/聴取者/読者を良い心地を味あわせている。当方はこの大谷賞賛の状況は「大谷の神格化にも近いのではないか」とすら指摘した。いや、この報道の仕方は「自民党の裏金問題処理の不手際」の報道や「円安を阻止し切れていない後手踏みの日銀と財務省」を論じるよりも遙かに良いニュースであるのは間違いない。彼等は競って「何時、松井秀喜の記録を破るか」を流している。

だが「一寸待ってくれ」と言いたいのだ。私が指摘し始めた大谷の「しゃくり上げ打法」では、未だにボールの上っ面を叩くので、鋭いゴロのヒットばかりを量産して、恰も大谷が「打率狙い」のバッターに方針転換したが如きである。あの打ち方では何れは「apple to apple」の比較ではないまでも、松井の記録を抜くのは間違いないだろう。だが、マスコミに言いたいことは「記録のことだけではなく、打ち方の違いも少しは論じろ」なのだ。

Angels在籍中から(言うなれば天をも恐れぬ所業で)指摘してきてしてきたことがあった。それは「Angelsは下位球団であり恐ろしい打者は大谷とトラウトくらいしかいなかったので、走者無しで大谷が出てきた場合にはホームランを打たれても1点を失うだけだから」と勝負してくれた。

だから、大谷は1人で帰ってきていた「ソロホームラン」が多かったが、打点は上がっていた。しかしながら、打率は中々3割に届かなかった。要するに「大谷はMLB最高の強打者かも知れないが、イチローのような巧みな打者とは言えないという事。

言い方は悪くなるのを承知で言えば「弱小ティーム」の強打者だったが、これは大谷の責任ではないと言える。しかし、「間違っていたらご免なさい」だが、大谷はチャンスに強いバッターではなかったようだったし、反対方向にも巧みに持っていく巧みな打者ではないのだ。その背景には相手ティームが「大谷を四球攻めにするか、申告敬遠(intentional walk)にしてしまうので、タイムリーヒットを打つ訓練(OJT)が出来ていなかったのではないか」なのだ。

ところが、Dodgersに来ては前にベッツというMVPの好打者がいて出塁しまくるので、大谷はどうしてもRBI(打点)を稼ぐヒットを打たねばならない立場にあるのではないのか。Angelsの頃とは与えられた条件が違いすぎるし、経験していなかった立場に置かれたのだ。しかも、一度調整が微妙に狂った打法では打球が上がらず、RBIも稼げていないので、ロバーツ監督に「焦らずに打て。初球から行くな」と苦言を呈されてしまったようだ。

我が国では大谷は大選手として賞賛され、それに相応しい報道のされ方だ。だが、強豪球団のDodgersでは大谷をどのように扱っているかの実態をマスコミは伝えようとしていないのではないのか。Dodgersが歓迎はしたが、それは不世出の大選手として尊重しているのか、強打の2番を打たせるDHを取ったので、それ相応の扱い方で、ロバーツ監督はRBIを稼げない2番打者に苦言を呈したのか。この実態はこちらにいては不明なのだ。

既に、野球には通暁している我が友SM氏は「大谷の人気はカリフォルニア州内では勿論高いが、他の州ではそれほどまでには盛り上がっていないようだ」と伝えてくれていた。私は今日までに繰り返して「我が国のマスコミの贔屓の引き倒し的な過剰な賞賛というか持ち上げの報道の仕方」を糾弾してきた。

大谷がそんな事で慢心する選手ではないと思うが、彼等マスコミは賞賛一辺倒の方式を改めても良い頃ではないのか。ロバーツ監督に「ご発言の真意は」くらいの取材に伺っても良いのではないのか。

大谷がナショナルズ戦に見せた打率を稼ごうとするかのような巧みな打法に変わった感がある(アウトサイドの低目をレフトの前に軽打した)背景には何があるのか、何時になったらしゃくり上げ打法からWBCの時のような目にも止まらないスゥイングに戻すのか辺りの取材をして欲しいものだ。結局はマスコミ批判になった。