“Better late than never”だが:
私は「変異種は大いなる不安材料だ」と思って受けとめていた。政府は28日からビジネス関係者を例外として、多くの外国からの入国を禁止すると発表した。私の見方は“Better late than never.”である。厳密に言えば「一寸遅かったが」だ。北海道大学の某教授は「変異種の感染者が発見された時点で手遅れであろう」と厳しい意見を述べておられた。ここまで言えば十分だろうと思う。
私が不安に感じている理由の一つが「昨日見てきた丸の内から銀座を経て築地に至までの夥しい人出」である。夕方になって変異種の感染者の所在が確認されたとの報道を聞いて益々不安になり、そのご夫婦との濃厚接触者が報道された以上に出ていないようにと祈っていた。それは如何に年末の買い物があるとは言え、あれほど大勢の人が出歩いていれば、在来種だって感染が広がる危険性が高まると思ったからだ。
次なる不安材料は一気に話が飛んで「オリンピック」になるのだ。私は既に「今年の7月に開催されている絵がどうしても見えてこないのは何故だろう」と、「閃き」による不安さを述べてきた。その時には、この新型コロナウイルスの感染は精々今年中に何とかなるだろうという,言わば楽観的な予測すらあったのだ。だが、我が国での状況は兎も角、アメリカやヨーロッパの感染状況を見れば、ここでは閃きではなく、この状況下では仮令ワクチンの接種開始があったとは言え、本当に来年の7月に開催できるのかとの疑念が出てきていた。
そこに新たに変異種が現れて、UKを始めとして多くの国で発見されてしまった。私はその変異種の感染を我が国で如何にして防止するかは喫緊の課題だと思う。それにしては、UKからオーストラリアや南アフリカで発見されたとの報道があってから、28日よりの入国禁止措置の発動までに時間がかかり過ぎているのではないかと言いたくなってしまう。この遅さを、橋下徹氏が何度も「我が国の民主主義政治のもどかしさ」と表現していた。即ち、大統領制の国との違いである。トランプ大統領は何時も躊躇せずに緊急に大統領令を発令されていた。
私は我が国の閣議等を経ての決議に至までの時間の長さは「民主主義のコスト」だと受けとめて、半ば諦めている。だが、それよりも気懸かりなことがある。それは「変異種の感染が何処まで広がっていくのか」という問題もあるが、ヨーロッパ、オーストラリアや南アフリカで広まっていては、何れはアメリカ大陸にも上陸する危険性があると思わずにはいられないのだ。その場合に、7月までに在来種も含めて完全に抑え切れて、海外の諸国から選手団が無事に東京まで派遣されるのかが不安である。
そこで、飽くまでも仮定の筋書きだが、すでにロシアはWADAによって個人のみの参加とされた。アメリカ大陸もヨーロッパの諸国においては在来種との壮烈な戦いが続いている。ワクチンで新規の感染者を防げても、派遣されてくるはずの選手団に万全の準備が出来るのだろうか。卑近な例を挙げれば、昨夜のフィギュアスケートで優勝した羽生君は今年初めて試合に出たのだそうだ。彼は今年中に試合が出来たが、諸外国の選手たちはウイスルを避けて何処でどのように練習を強いるのだろうか。要するに,私は来年になっても開催できなければどうなるかと言いたいのだ。
それは選手たちだけの問題ではない。昨日も首都高から新国立競技場の偉容を少しだけ見たが、あの競技場に投じた費用とその後の維持費だけを考えても容易ならざる金額になる。その他にどれほどの新競技場を東京都その近郊に建設してきたか。その開催の為の組織委員会にどれほどの人数を整えて人件費をかけてきたか。東京都は主催都市としてどれほどの投資をしてきたか。これらの経費の総額の試算は専門の方に任せるとして、万が一の場合の我が国の損失は考えるだけでも恐ろしくなる。
この点だけを考えても、28日からビジネスの関連者を除外して諸外国からの入国を禁止という慎重の上にも慎重な措置では、十分なのかなと思わざるを得ない。この点が私が日頃指摘して来た我が国独得の「落とし所を探る」か「足して2で割る」というような妥協点を模索する思考体系と、アメリカやヨーロッパ式に「二進法的に考えて、決断する」との違いが現れていると思えてならない。余所の国に遠慮することなくアッサリと「何が何でも入国拒否」と発表しても、現時点で失うものなどないと思う。
「オリンピックがあるから」と堂々と述べて、諸外国が「日本は入国を禁止して怪しからん」と、反発してくるとは思えなのだが、如何なものだろう。何れにせよ、菅首相も西村担当大臣も、田村厚労相も各都道府県の知事さんたちも「事ここに至れば強制的に『外出するな』と厳しく要求する。それが皆の為でありお国の為である」と堂々と明言しても宜しいのではないかと考えている。「特措法は後で国会を開いて改正する」くらいのことを言っても良いと思っている。
私は「変異種は大いなる不安材料だ」と思って受けとめていた。政府は28日からビジネス関係者を例外として、多くの外国からの入国を禁止すると発表した。私の見方は“Better late than never.”である。厳密に言えば「一寸遅かったが」だ。北海道大学の某教授は「変異種の感染者が発見された時点で手遅れであろう」と厳しい意見を述べておられた。ここまで言えば十分だろうと思う。
私が不安に感じている理由の一つが「昨日見てきた丸の内から銀座を経て築地に至までの夥しい人出」である。夕方になって変異種の感染者の所在が確認されたとの報道を聞いて益々不安になり、そのご夫婦との濃厚接触者が報道された以上に出ていないようにと祈っていた。それは如何に年末の買い物があるとは言え、あれほど大勢の人が出歩いていれば、在来種だって感染が広がる危険性が高まると思ったからだ。
次なる不安材料は一気に話が飛んで「オリンピック」になるのだ。私は既に「今年の7月に開催されている絵がどうしても見えてこないのは何故だろう」と、「閃き」による不安さを述べてきた。その時には、この新型コロナウイルスの感染は精々今年中に何とかなるだろうという,言わば楽観的な予測すらあったのだ。だが、我が国での状況は兎も角、アメリカやヨーロッパの感染状況を見れば、ここでは閃きではなく、この状況下では仮令ワクチンの接種開始があったとは言え、本当に来年の7月に開催できるのかとの疑念が出てきていた。
そこに新たに変異種が現れて、UKを始めとして多くの国で発見されてしまった。私はその変異種の感染を我が国で如何にして防止するかは喫緊の課題だと思う。それにしては、UKからオーストラリアや南アフリカで発見されたとの報道があってから、28日よりの入国禁止措置の発動までに時間がかかり過ぎているのではないかと言いたくなってしまう。この遅さを、橋下徹氏が何度も「我が国の民主主義政治のもどかしさ」と表現していた。即ち、大統領制の国との違いである。トランプ大統領は何時も躊躇せずに緊急に大統領令を発令されていた。
私は我が国の閣議等を経ての決議に至までの時間の長さは「民主主義のコスト」だと受けとめて、半ば諦めている。だが、それよりも気懸かりなことがある。それは「変異種の感染が何処まで広がっていくのか」という問題もあるが、ヨーロッパ、オーストラリアや南アフリカで広まっていては、何れはアメリカ大陸にも上陸する危険性があると思わずにはいられないのだ。その場合に、7月までに在来種も含めて完全に抑え切れて、海外の諸国から選手団が無事に東京まで派遣されるのかが不安である。
そこで、飽くまでも仮定の筋書きだが、すでにロシアはWADAによって個人のみの参加とされた。アメリカ大陸もヨーロッパの諸国においては在来種との壮烈な戦いが続いている。ワクチンで新規の感染者を防げても、派遣されてくるはずの選手団に万全の準備が出来るのだろうか。卑近な例を挙げれば、昨夜のフィギュアスケートで優勝した羽生君は今年初めて試合に出たのだそうだ。彼は今年中に試合が出来たが、諸外国の選手たちはウイスルを避けて何処でどのように練習を強いるのだろうか。要するに,私は来年になっても開催できなければどうなるかと言いたいのだ。
それは選手たちだけの問題ではない。昨日も首都高から新国立競技場の偉容を少しだけ見たが、あの競技場に投じた費用とその後の維持費だけを考えても容易ならざる金額になる。その他にどれほどの新競技場を東京都その近郊に建設してきたか。その開催の為の組織委員会にどれほどの人数を整えて人件費をかけてきたか。東京都は主催都市としてどれほどの投資をしてきたか。これらの経費の総額の試算は専門の方に任せるとして、万が一の場合の我が国の損失は考えるだけでも恐ろしくなる。
この点だけを考えても、28日からビジネスの関連者を除外して諸外国からの入国を禁止という慎重の上にも慎重な措置では、十分なのかなと思わざるを得ない。この点が私が日頃指摘して来た我が国独得の「落とし所を探る」か「足して2で割る」というような妥協点を模索する思考体系と、アメリカやヨーロッパ式に「二進法的に考えて、決断する」との違いが現れていると思えてならない。余所の国に遠慮することなくアッサリと「何が何でも入国拒否」と発表しても、現時点で失うものなどないと思う。
「オリンピックがあるから」と堂々と述べて、諸外国が「日本は入国を禁止して怪しからん」と、反発してくるとは思えなのだが、如何なものだろう。何れにせよ、菅首相も西村担当大臣も、田村厚労相も各都道府県の知事さんたちも「事ここに至れば強制的に『外出するな』と厳しく要求する。それが皆の為でありお国の為である」と堂々と明言しても宜しいのではないかと考えている。「特措法は後で国会を開いて改正する」くらいのことを言っても良いと思っている。