新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

新型コロナウイルス変異種の感染者が帰国していた

2020-12-27 11:54:32 | コラム
“Better late than never”だが:

私は「変異種は大いなる不安材料だ」と思って受けとめていた。政府は28日からビジネス関係者を例外として、多くの外国からの入国を禁止すると発表した。私の見方は“Better late than never.”である。厳密に言えば「一寸遅かったが」だ。北海道大学の某教授は「変異種の感染者が発見された時点で手遅れであろう」と厳しい意見を述べておられた。ここまで言えば十分だろうと思う。

私が不安に感じている理由の一つが「昨日見てきた丸の内から銀座を経て築地に至までの夥しい人出」である。夕方になって変異種の感染者の所在が確認されたとの報道を聞いて益々不安になり、そのご夫婦との濃厚接触者が報道された以上に出ていないようにと祈っていた。それは如何に年末の買い物があるとは言え、あれほど大勢の人が出歩いていれば、在来種だって感染が広がる危険性が高まると思ったからだ。

次なる不安材料は一気に話が飛んで「オリンピック」になるのだ。私は既に「今年の7月に開催されている絵がどうしても見えてこないのは何故だろう」と、「閃き」による不安さを述べてきた。その時には、この新型コロナウイルスの感染は精々今年中に何とかなるだろうという,言わば楽観的な予測すらあったのだ。だが、我が国での状況は兎も角、アメリカやヨーロッパの感染状況を見れば、ここでは閃きではなく、この状況下では仮令ワクチンの接種開始があったとは言え、本当に来年の7月に開催できるのかとの疑念が出てきていた。

そこに新たに変異種が現れて、UKを始めとして多くの国で発見されてしまった。私はその変異種の感染を我が国で如何にして防止するかは喫緊の課題だと思う。それにしては、UKからオーストラリアや南アフリカで発見されたとの報道があってから、28日よりの入国禁止措置の発動までに時間がかかり過ぎているのではないかと言いたくなってしまう。この遅さを、橋下徹氏が何度も「我が国の民主主義政治のもどかしさ」と表現していた。即ち、大統領制の国との違いである。トランプ大統領は何時も躊躇せずに緊急に大統領令を発令されていた。

私は我が国の閣議等を経ての決議に至までの時間の長さは「民主主義のコスト」だと受けとめて、半ば諦めている。だが、それよりも気懸かりなことがある。それは「変異種の感染が何処まで広がっていくのか」という問題もあるが、ヨーロッパ、オーストラリアや南アフリカで広まっていては、何れはアメリカ大陸にも上陸する危険性があると思わずにはいられないのだ。その場合に、7月までに在来種も含めて完全に抑え切れて、海外の諸国から選手団が無事に東京まで派遣されるのかが不安である。

そこで、飽くまでも仮定の筋書きだが、すでにロシアはWADAによって個人のみの参加とされた。アメリカ大陸もヨーロッパの諸国においては在来種との壮烈な戦いが続いている。ワクチンで新規の感染者を防げても、派遣されてくるはずの選手団に万全の準備が出来るのだろうか。卑近な例を挙げれば、昨夜のフィギュアスケートで優勝した羽生君は今年初めて試合に出たのだそうだ。彼は今年中に試合が出来たが、諸外国の選手たちはウイスルを避けて何処でどのように練習を強いるのだろうか。要するに,私は来年になっても開催できなければどうなるかと言いたいのだ。

それは選手たちだけの問題ではない。昨日も首都高から新国立競技場の偉容を少しだけ見たが、あの競技場に投じた費用とその後の維持費だけを考えても容易ならざる金額になる。その他にどれほどの新競技場を東京都その近郊に建設してきたか。その開催の為の組織委員会にどれほどの人数を整えて人件費をかけてきたか。東京都は主催都市としてどれほどの投資をしてきたか。これらの経費の総額の試算は専門の方に任せるとして、万が一の場合の我が国の損失は考えるだけでも恐ろしくなる。

この点だけを考えても、28日からビジネスの関連者を除外して諸外国からの入国を禁止という慎重の上にも慎重な措置では、十分なのかなと思わざるを得ない。この点が私が日頃指摘して来た我が国独得の「落とし所を探る」か「足して2で割る」というような妥協点を模索する思考体系と、アメリカやヨーロッパ式に「二進法的に考えて、決断する」との違いが現れていると思えてならない。余所の国に遠慮することなくアッサリと「何が何でも入国拒否」と発表しても、現時点で失うものなどないと思う。

「オリンピックがあるから」と堂々と述べて、諸外国が「日本は入国を禁止して怪しからん」と、反発してくるとは思えなのだが、如何なものだろう。何れにせよ、菅首相も西村担当大臣も、田村厚労相も各都道府県の知事さんたちも「事ここに至れば強制的に『外出するな』と厳しく要求する。それが皆の為でありお国の為である」と堂々と明言しても宜しいのではないかと考えている。「特措法は後で国会を開いて改正する」くらいのことを言っても良いと思っている。


12月26日 その2 「入管での面会報告」と言う番組

2020-12-26 16:45:37 | コラム
このテレ朝の早朝の番組で考えさせられた:

いきなり「何を考えさせられたか」を述べてみれば「我が国の生真面目な法の執行」と「出入国管理の厳格さ」と「入管の人手不足」辺りになるだろうか。近頃は何となく早寝早起きになってしまったので、午前4時過ぎには所在なくテレビを見て新聞が来るのを待っているようになった。今朝も例外ではなく、土曜日だったので何時もは見ないテレ朝にチャンネルを合わせていた。そこには名古屋で入管に収容されている在留資格がない外国人の面倒を見ておられる高齢の婦人が活動される話が展開されていた。滅多に知り得ない実態というか、現実が取り上げられていた。

途中から見たので良く理解できない点もあったが、先ずはトルコ人の男性が在留資格を失って仮釈放されていた話だった。何故資格を失ったかと言えば、どうやら大学を卒業した為に留学生ヴィザが失効したようだった。その為に入管に収容された後で仮釈放されて滞在しているのだ。だが、その無資格では就労は出来ず、在学中に呼び寄せた家族と暮らし、奥方がアルバイトで何とか生計を立てていたという話だった。仮釈放の場合には毎月入管に出頭して延期を申請するようだが、この一家は出頭した途端に再度収容され,強制送還となってしまった。

この扱いを如何にも厳しすぎると言いたいような音声が流されていた。私は厳密に言えば「それは感情論であり、我が国は普通に法律の建前に従ってるだけだ」と言えると思って聞いていた。きついことを言えば「学業が終了した時点で資格を失う事」はヴィザを取得した時に告知されていたと思うから言うのだ。私は20年以上もの間、アメリカ側の一員として我が国の貿易管理令に接してきた。そこで感じられたことは「我が国の法規制では輸出も輸入も禁じられているが、例外としてこの輸入(輸入)は承認するなっている」と思えば、解りやすいという厳格さがあった点だ。

その対極にあるのがアメリカの法規制で「輸出でも輸入でも何でも行って宜しい。但し、例外としてこれとあれは禁止する」といったような立て付けだと感じ取っていた。アメリカ以外の国がこの我が国とは対極にあるような法律の建前になっているか否かなどは知る由もない。だが、我が国の法律の在り方などを自国民を外国の送り出すブローカーなどが研究しているというか、文化の相違を承知しているとは思えない。そこで、我が国に憧れて留学生ヴィザも取れて家族の呼び寄せまで可能となって一家で来て見れば、ヴィザの失効と同時に不法滞在となってしまうのだ。

私は1975年にW社に転進して液体容器用(牛乳や果汁)の原紙の輸出を担当して先ず驚かされた事があった。それは、厚生省(当時)の規定では牛乳の容器はガラス瓶と定められていて、紙容器を使用する乳業会社は「例外容器」として申請せねばならなかったのだ。この規定は例外容器が80%を超えても続いた。換言すればガラス瓶以外は認められていなかったということ。このように厳格且つ生真面目に法を執行するのが我が国なのである。恐らく、日本国民でもその厳格さに触れるまでは知り得ないことだろう。

トルコ人の次に採り上げていた例は中国の一家だった。矢張り父親の在留資格が切れて収容されてしまった為に、妻が(何故労働資格があったか知らないが)働いて、長女を高校を卒業させ,県立大学にも合格してした。ところがその入学金を工面できずに、入管に面会に行っては収容された人たちの面倒を見ておられたご婦人が募金をしていた。そして、その一家が入管に仮釈放延長の申請に行くと収容されて、強制送還になってしまうのだった。そこで、その面会者と弁護士さんが訴訟を起こして勝訴となり、長女だけが再入国の許可がでたのだった。

私は一応世界の20ヶ国ほどを回ってきた経験がある。言うまでもなくアメリカの滞在日数が最も多いのだが、何処の国に行って不法滞在者というか在留資格を失っても帰国しない者が多数いる。その不法滞在者,就中南アメリカからの不法移民に非常に厳しく当たられたのがトランプ大統領である。我が国も上述のように厳しいが、その厳しさの質が違うと思う。その上に、この番組に登場されたご婦人のようにやや感情的に「可哀想だ」と同情されて、何とか滞在できるように骨を折っておられる方もおられるのだ。

考えようによっては「もっと入管に人を増やして、個別に合法・非合法の在留者の状況というか実情を調査して、在留資格を与えても良い者には与えるように出来れば理想的だ。だが、現状ではそこまで面倒を見られるほどの人員はいないようだ。私はこのような見方をするよりも「留学生であれ何であれ、在留資格を与える場合の規定をより明解にして、如何なる場合に資格が失効するかを予め周知徹底しておく必要があると思う。同時に、可能ならば我が国の法律の厳格さと文化の違いまでを理解させておく必要があると見ている。日本語が解れば良しとするのでは単純すぎる。

安倍内閣では所謂「インバウンド」なるものを推進され、観光客の誘致に努力された。それはそれで結構だったかも知れない。だが、一方では若年労働者の不足を補うべく技能実習生を何十万人と導入した。外国人が先ずぶつかる困難な問題には、言葉以外に文化の相違と法規制の違いがある。「留学生ヴィザが切れると在留資格を失う」とか「仮釈放の延長の申請に行って有無を言わさずに収容で強制送還がある」等々を予め告知しておけば、安易にやって来ないのではないのかなと思いながら、早朝の番組を見ていた。


東京都の感染者が増える訳だ

2020-12-26 15:16:13 | コラム
東京の中心部のあの人出は問題ではないか:

本26日は主治医の指示に従って公共交通機関を避けて、愚息の車でここ新宿区から巣鴨の染井霊園に亡父の祥月命日の墓参りに行った。その後に愚息の発案で年末の買い物が出来るかと築地の場外市場に行ってみた。築地には有楽町から晴海通り経由で行った。銀座に入ってからは家内が感心するほど多くの人の波が動いていた。築地の場外市場近辺では交通整理が出ているほどの混雑で、駐車場の入場待ちの車が列をなしていた。そこで築地はキッパリと諦めて帰って来た。

その前には、巣鴨では私が必要とする衣料品の補給があったので、永年買いに行っているUNIQLOよりも安いと思っている赤パンツで有名なマルジまで地蔵通りを歩いて見た。この通りにはこれまでは父の本当の祥月命日である12月24日に来ていた。だが、この日は「四の日」の縁日で多数の屋台が出て混雑するので、時節柄「密」を避けて、愚息の時間が取れる26日に延期した次第だった。屋台が出ていないこの通りを歩いて事がないので、その様変わり振りをゆっくりと観察できたのだった。

そこに展開されていた景色は、意外と言うべきか矢張りとすべきか判断出来なかったが、大袈裟に言えば様変わりだった。即ち、更地になっていた所が2~3箇所あったし、閉店して板張りになっていた店舗もあれば、イオンのマイバスケットや新規のコンビニ出ていたりしていた。それは「老人の原宿」などではなく、ごくありきたりの商店街に近い雰囲気だったのだ。歩いている人たちも高齢者よりも若者の方が多いのではないかと思わせられた。私は取りも直さず「高齢者は人混みを避けている」と見たが、私も含めて彼らは散財する余裕がなくなったのではないかと疑った。

銀座から築地に話を戻そう。私は如何に年末で正月の備えをせねばならない時期であるとは言っても、連日のように曜日毎の感染者の記録的増加が報じられている最中に、あれほど多くの人が敢えて密集の中に何も恐れずに中に入って行けば、感染者が増えていくのは当然であろうと思わずにはいられなかった。こちらは万全の防御態勢でしかも車の中にいたのだから安全地帯だと思うが、密でありソーシャル・デイスタンスとやらも取れていないのでは、来年の1月第2週辺りの感染者の数が思いやれる。

昨25日には菅首相も記者会見をされて懸命に自粛を訴えておられたし、小池都知事も厳しい表情で「ステイホーム」と得意のカタカナ語を駆使して在宅を呼びかけていたではないか。私が危惧することは「多くの都民や近県の人たちには英語は通じなかったのではないか」なのである。お二方の呼びかけは、彼らの心には響いていなかったようだ。何れにせよ、「これでは仕方がないな」と思わせられた、一時の東京都心の旅だった。


12月25日 その2 安倍前首相の国会喚問を見て

2020-12-25 14:32:18 | コラム
安倍晋三前総理大臣は極悪の嘘つき政治家なのか:

私は先ほどまで短時間だったが、立憲民主党の黒岩宇洋議員が安倍氏をここを先途と責め立てる様子をNHKの中継で見ていた。だが、その質問振りの嫌らしさに耐えかねて気分が悪くなる思いで止めてしまった。

私ですら、「安倍氏が何もかも秘書に任せていたことなので知らなかった」という言い訳には説得力が十分だとは思えない。だが、一国の総理大臣をあれほど長期間務めた方が「知らなかったとはいえ私の責任なので、国民にも国会にも黒岩議員にもお詫びする」とまで言われた後でも、「自分を嘘つき呼ばわりした」とか「ホテルが明細書を出さない訳がない」等々の因縁を付けているのかと思わせる黒岩宇洋議員の質問の仕方には、本当に胸が悪くなって来たのだった。

こんな事を言えば「屁理屈」になるかも知れないが、この記載漏れの件を検察が不起訴と決めた以上は、言うなれば「一事不再理」ようなことになるのではないだろうか。野党とマスコミの連合軍は何かと言えば「国民が納得しない」と言い募るが、ここではその国民の一人が「もう十分だ」と思っているのだが。安倍氏は既に昨夜も記者会見をして謝っておられたではないか。何処かでジャーナリストが「あれは選挙を考えて自民党を貶める作戦」という見方をしていた。

私には立憲民主党の狙いがそこにあるとしか思えないし、既に謝罪の意を表された前総理大臣を、あそこまで居丈高に悪し様に罵る彼らの感覚も、正常とは受けとめられないのだが、私の感受性が狂っているのだろうか。


デイビッド・アトキンソン氏は言う

2020-12-25 08:33:12 | コラム
一昨23日のPrime Newsで:

何となく久し振りにアトキンソン氏の「中小企業過多の弊害というか、我が国の生産性が低いのは何故か」という主張を聞いた。彼の主張は些か食傷気味ではあるが、傾聴すべき点はあると思って何時も聞いている。私はアトキンソン氏の指摘の中には不充分であると感じている点がある。それは「一口に中小企業と言っても、そこにはかなり多種多様の業種があるはずではないのか。即ち、中小企業と聞くと直ちに思い浮かぶのが町工場である。彼の主張を聞いていると、その町工場が低生産性の元凶の如くに聞こえる」辺りに疑問を感じるのだ。

アトキンソン氏が毎回指摘するのが「およそ我が国には360万軒もの会社があり、その97%が中小企業である事が問題である」なのだ。だが、前回は「その中でも飲食業が占める比率が高いのを問題ではないのか」と、初めて中小企業の内訳に触れたのだった。私はこの点は尤もだと思うのだ。

それは、何時頃から始まって流れか知らないが、個人商店のような家族で運営されてきた八百屋、鮮魚店、テレビ局が言う街中華、飲み屋等々の同族経営の店舗が、節税対策になるし極小資本金で法人化できることになり、競って「会社」となり、亭主が社長でお上さんが専務、息子が常務というような形が方々で整っていったと聞いていたのだった。

アトキンソン氏は専ら中小の3~5人の街中の小さな工場(コウバ)の低生産性と技術革新の欠如を問題にしてこられたようだった。だが、上記のように法人化された個人商店を考えれば、こういう組織での生産性など低いのは当然だろう。また、軽減税率導入の際にそれに適応したキャッシュレジスターの導入にすら動けかなかった「会社」が数多くあったことを考えれば、生産性だの労働生産性の議論をこのような業種に持ち込むことに、何らの意義はないとしか思えないのだ。

私はアトキンソン氏の主張を聞いていて、彼は確かに低生産性という視点から見た我が国の中小企業界の実体に精通されているようだとは解る。家族で運営されている小売業や飲食店を引っくるめて低成長論の対象にしおられるのであれば,少し見当が違うのではないかと思った。彼にはウイルス対策でその生存の危機が明らかになり、数多くの倒産や閉店や撤退が続いていることの対策を論じることの方が意義があると思わせられた。即ち、彼らを救うことよりも、医療崩壊を回避することの何れを選択すべきかということが喫緊の課題なのではないのかな。